黄昏の洞窟02
地面に足をつける。感覚は今までと一緒だった。何も変わりはしない。ただ、肌で感じる空気が違っていた。いつもよりもひんやりとしている。温度が低いのか、そんな気がするだけなのかは分からない。
(ここにいる魔物を倒す……。たぶん師匠の感じからして、前の魔物たちよりは強いやつがいるんだ)
ベルは考えながら慎重に歩き出し、辺りの気配を探った。
しかし、魔物の気配が感じられない。というより、魔物らしき気配は感じるのだが、ぼんやりしているというか何というか、いまいちはっきりしないのであった。
(なんだろう……よく分からない。集まっているのか……?)
個というよりは塊。気配が強いというより大きいといった方が分かりやすいだろうか。
ベルは警戒を緩めずにその気配の塊に近づいていった。
早い段階で目的地に一際大きな水晶の塊があることが分かった。黄金に輝く、縦横共に三メートルはある大きな水晶の塊である。
(あー、なんか嫌な予感がする)
ベルはこの時だんだん強くなってくる気配に確信を持ち始め、また、数多のRPGをやってきた経験からこの後起こるであろう展開を予想して歩みを止めた。
手足が小刻みに震えている。
単純に言って、怖い。
今予想していることが当たれば、マンシャムの言う通りこれまでとは比べものにならないくらい大変なことになるだろう。できれば避けて通りたいところだが、マンシャムは倒してこいと言った。避けられない。何せあの師匠は温厚に見えて鬼師匠なのだ。敵前逃亡なんてすればその後どうなるか分からない。まだ見ぬ不確かな恐怖より、容易に想像できる恐怖の方が恐ろしい。
ベルは一度深呼吸し、よし、と呟いてから再び歩を進めた。
そうして大きな水晶の前で立ち止まった。
(どうか、予想が当たりませんように……)
願いながら杖を構えた。
「アストロ・フレイムスター!」
丸まった杖の先から直径三メートルほどの火の玉が現れ、勢いよく発射されると水晶に当たった。熱せられた水晶が真っ赤になる。
ゴゴゴゴゴゴ……
すると目の前の水晶が動き始めた。地響きと共に地面が揺れだす。ベルは杖に横座りして飛び、少し離れたところからそれを観察した。
「やっぱり……君が師匠の言っていた魔物か」
笑んだ口元がひくつく。
大きな水晶の塊が、長い眠りから覚めたようにゆっくりと起き上がる。
耳障りな地響きと、地面に足をつけていたら立っていられなかったのではないかという大きな揺れ。バキバキビキビキと先程までベルが立っていた地面が豪快に割れ、魔物がその全貌を表す。
岩のような四つ脚と胴体。それから額から背、尻尾にかけて黄金の水晶が突き出している。その名も知らぬ魔物は、血のような真っ赤な目を動かし、己の眠りを妨げたものを探していた。
どしん、と降ろした足が世界を震わせる。山でも崩したような筋肉の動く音が、質量を感じさせる。
例えるならワニガメとステゴサウルスを足して二で割ったような姿だ。現代では決して見ることのできない恐ろしい姿に身震いする。
(こいつ、起こさなきゃ戦わなくても良かったんじゃないか? 何年も眠っていたみたいだし……。何だって師匠はこんなやつを倒せって言ったんだ?)
離れたところでうまく視界の中に収まらないよう空を飛びながら、ベルは魔物を観察していた。
水晶は肌を貫いて生えているようだから、後から付着したものではないだろう。しかし岩の地面に完全に埋まっていたことを考えると、それだけの年月はじっとしていたことになるのではないか。
(何にせよ、倒せというのがオーダーならやるしかない。叩くなら目覚めたばかりの今か。本調子になる前に倒すのが妥当)
ベルは魔物に掌を向けた。
「アストロ・ブレースト!」
ベルの黒髪が巻き上がり、周辺で風が起こったかと思うといくつかの刃となって魔物に向かっていった。鋭い風の刃は、まるで柔いものでも切っているかのようにスパスパと水晶を切り、魔物の足も輪切りにした。
パキィィィィン ガシャンッ
水晶が地面にぶつかって割れる音や、岩の割れる音が響く。
魔物は身体をよろめかせ、体勢を崩した。ベルは倒れたところを畳みかけようと構えた。
(……倒れない? どうして……!?)
しかしいっこうに倒れる気配がない。
眉を寄せながら近寄って理由が分かった。
「まさか、高速再生!?」
切ったはずの魔物の足が元通りになっていた。いつの間にか水晶も元通りになっている。これでは倒れるわけがない。
ベルが視線を上げるとギラ、と光る赤い目と合った。
(しまっ)
ドッ
「がはっ!」
気がついたときには遅く、ベルは魔物が乱暴に振り回した尻尾に当たって地面に落とされてしまった。
頭が揺れてくらくらする。
「にゃぁっ!」
顔を上げた瞬間、再び尻尾で地面ごと薙ぎ払われ、身体が宙に投げ出された。
「いっ」
肋骨が何本か折れている。しかし今は構っていられない。ベルは身体をひねって何とか空中で体勢を整え、指先で杖を呼んだ。
飛んできた杖に両足をつけ、スケートボードのようにして尻尾の届かない範囲へ回り込む。尻尾は縦横無尽に動き回り、飛んでいるベルを落とそうとした。
尻尾が頭の上を通過する。身体の右側を通過する。今度は足を狙ってくる。ベルは身を低くして自在に杖を操り、全て寸でのところで交わして魔物の頭までくると杖の頭を跳ね上げて上昇した。数メートル上空で回転し、魔物を見下ろす。
「コスモス・フレイムスター!」
人差し指を魔物に向けて叫ぶ。
ベルの周りに無数の大きな火の玉ができ、次々と魔物に向かって発射された。たちまち魔物は炎に包まれ、その姿は影でしか把握できなくなった。
魔物の影が、真っ赤に燃える炎の中でゆらりと揺れる。
「アストロ・タイクーン!」
指先がくるくると回るのに合わせて炎の周りに渦ができ、炎を巻き込んでいった。広がっていた炎が渦を作って柱となり、そして、赤い色から青い色に変わっていった。
青い炎が赤い炎を舐めるように取り込んでいく。
ついに全てが青い炎になり、巨大な柱を作った。凄まじい熱気と炎の明るさがベルの肌や目を焼く。
魔物の輪郭が、どろり、と溶けた。黄金色の液体が流れて炎の外へ出てくる。
「オオオオオオ!」
雄叫びが青い炎の渦から聞こえてくる。
まだ、叫ぶ。
まだ、生きている。