黄昏の洞窟01
次の日もそのまた次の日も同じ修行をした。
「洞窟までを十回往復しなさい。それから洞窟を最上層までのぼることが修行だ」
マンシャムは曇りのない笑顔でそう言った。
ベルは家から洞窟までの十本ダッシュ、それから洞窟で魔物退治を繰り返し、獣人としての身体の使い方を学び、気配探知能力を研ぎ澄ませ、魔物への恐怖心を拭い去った。怪我もあれから一つもしていない。
不思議なことに前日に数十の魔物を倒したはずなのに、次の日も数は変わらなかった。マンシャム曰く、魔物の繁殖力は凄まじく、数十倒したくらいでは次の日にはほとんど元通りになっているとのことだった。
また、この修行を通していくつか新しいことが分かった。その一つが体力とHP、MP(魔力)についてである。
ベルは便利ツールの中にゲームにはなかった体力のパラメーターがあることに気づいた。これは運動したり疲れたりすれば減り、休めば回復する『体力』そのものであった。加えて鍛えれば増えるらしく、ベルは十本ダッシュで体力の数値を上げることに成功した。対してHPは100までしかなく、傷ができれば減るものだということが分かった。傷が癒えるまでメーターは減ったままだったが、傷が完全に癒えたときには100になっていた。また、MPは魔法を使うと減り、何もしなければ少しずつだが時間と共に回復することが分かった。体力とMPの上限は人それぞれらしいことも分かっている。他人のステータスを見ることができるというのに気づき、マンシャムのステータスを見たからである。体力ははるかに勝っていたが、MPはマンシャムの方が多かった。マンシャムは賢者と呼ばれているくらいの魔法使いのため、MPが多い方なのではないかとベルは推測した。
かくしてベルは様々なことを学び、なおかつコウモリモンスターに負わされた傷も全快した状態で四日目の修行に挑んだのであった。
「師匠。今日はそっちじゃニャくて、こっちから行きませんか?」
この日、洞窟の中で先を行こうとするマンシャムをベルが止めた。マンシャムは「分かった」とだけ返して素直にベルに従った。
ベルは耳をぴくぴく動かし、辺りを警戒しながら慎重に洞窟をのぼっていった。そうしてなんと、一匹も魔物に遭遇することなく最上層の出入り口まで辿りついたのであった。
「師匠は私に『洞窟を上層まで上ること』と言いました。つまり、洞窟を抜けてここまで来られれば良いってことですよね? 魔物と戦わニャくても良いんですよね?」
ベルが金色の瞳を向けると、マンシャムは青い瞳で見つめ返してきた。
「どうして、そんなことを?」
「できれば魔物って戦いたくニャいじゃニャいですか。戦わなきゃいけニャいニャら戦いますが、私は傷つきたくニャいし、傷つけたくニャいです。だから避けられそうだったので避けました。この三日で上層までいく道にいる魔物の行動パターンはだいたい把握できましたし、探知能力が向上したので新しい道でも魔物のいそうニャところは避けられました。それに、これ以上ここであの魔物たちと戦ってもあまり意味がニャいと思ったので」
ベルのレベルはここ三日で遭遇した魔物をはるかに上回っている。初日こそ慣れない戦闘や初めて見る魔物に怯えてしまったが、慣れてしまえばどうということはなかった。これ以上続けてもただの虐殺にしかならないとベルは思ったのである。
「……結構。では今日の修行はここまでにして帰ろうか」
「分かりました」
四日目の修行はこれで終わった。
五日目。家から洞窟までの十本ダッシュがなくなり、ベルはマンシャムの魔法で洞窟の前までやってきた。
「……今日は別の修行をしてもらう。これまでとは比べものにならないくらい大変な修行になるから、心して挑むように」
洞窟に入る前、マンシャムは真剣な顔つきでそう言った。緊張したベルが「はい」と強張った声で言うとマンシャムはふにゃりと笑ったが、どこか寂し気な、悲し気な表情に思えてならなかった。
洞窟の中間地点まではほとんどいつもと同じ道のりだった。ただ、マンシャムも魔物を避けたらしく、魔物には出会わなかった。
マンシャムは広い空間に出ると足を止めた。
この場所にだけ水晶がないのだが、他の場所よりは明るい。壁が一部壊れて縦横二メートルばかりの穴が開いているからだ。そこから外界が見渡せるようになっており、陽の光や月の光も入ってくるのだった。そのおかげなのか、岩の隙間から小さな植物が顔を出していたりする。
今はちょうど夕刻。黄昏時というやつだった。
ぽっかり開いた穴からは黄金に染まった木々が見下ろせる。あつらえたように橙色の輪郭をしたまんまるの太陽も見える。どうやらちょうど太陽が沈むところにこの穴が開いているようだった。
眩しい。ベルは目を細めた。
だが、とても綺麗だった。心の底からため息が出る。
太陽が金色の森の中に沈んでいく。斜めに入った光が足元を照らしている。
「ベル」
呼ばれて振り返ると、マンシャムが右の人差し指を立てていた。
指につられて視線を上げる。
「え、すごい!」
思わず驚いた声を上げてしまった。
穴から入った光が筋を作り、洞窟の壁の天井に近いところを照らしていた。照らされている場所に、横穴が空いているのが見えたのである。洞窟が暗いままだったらあんなにも上に通路があるとは気づかない。いわゆる隠し通路だ。
「この時間、この角度から太陽が照らす時間だけそこにあることが分かる道だ。きっとこの道のことは私と……ベルしか知らないだろう」
マンシャムの口元は柔和に微笑んでいた。顔の上半分はすでに影がかかっていてよく見えない。
「すごいです師匠! だから師匠はこの洞窟のことを『黄昏の洞窟』と呼んでいるんですか?」
興奮で耳がぴんと立ち、尻尾もぴんと立っている。
「そうだ。黄昏時にしか本来の姿を見せないからね。……さ、行こう。今日の修行はこの先で行う」
マンシャムは風魔法で己の身体を浮き上がらせ、隠し通路に足をつけた。ベルも返事をして身体をふわりと浮き上がらせ、マンシャムの後に続いた。
ところどころ小さな金色に光る水晶があるだけで暗い隠し通路は狭い一本道だった。こんなところで魔物に襲われたらどうしようとベルは考えていたが、幸い魔物は出てこなかった。
十数分歩いたところで前を行くマンシャムが足を止めた。
「さぁ着いた。君の修行の場だ」
マンシャムが半身を反して腕を広げる。ベルは一歩足を踏み出してマンシャムが腕を広げてみせた景色を覗いた。
「わぁ……広い……。綺麗です……」
金色の光が世界を満たしている。
眼下に広大な空間が見えた。岩に囲まれた空間には金色に光る大きな水晶がいくつもあり、まるで宝石箱のようだった。幻想的な光景である。
「この場には特殊な魔物がいる。それを倒すことができれば、ここでの修行はおしまいだ」
視線を上げるとマンシャムの笑顔が目に入った。何となく、寂しそうな笑顔に見える。
「この下にいる魔物を?」
「もう一度言うが、これまでとは比べものにならないくらい大変な修行になるから、心して挑むように。……期待しているよ」
ぽん、とマンシャムの手がベルの背を叩いた。ベルは気を引き締めて頷いた。
「行ってきます」
身体を浮き上がらせ、ゆっくりと降りた。