獣人ベル01
「実は、この家の周りには結界が張ってある。この結界を破れる者は優れた魔法を使うことができるという証明になるのだ」
「ニャるほど……。昨日感じた違和感はそれだったのかもしれません」
ベルとマンシャムは家の前に広がっている草原の真ん中でお茶を飲んでいた。机と椅子は地魔法で作った岩の塊である。お茶は家で沸かして持ってきたものだった。
「とはいえそれだけで判断するのも早計だろう。もう少し君の実力を見て判断したかったのだ」
「結果はどうですか?」
「素直に驚いた。ベル、君には類稀な才能があるようだ」
「そう思ってもらえて光栄です。……でも、ちょっとやりすぎたんじゃニャいですか?」
ベルはカップを口につけた状態で首を動かし、辺りを見渡した。
先ほど草原と表現したが、実は草原ではなくなっている。ほんの数十分前までは綺麗な草原だったのだが、今はところどころ大地が抉られて土が露わになっていたり、燃やされて黒こげになっていたりで、荒れ野と言った方がしっくりくる状態である。
草原が荒れ野になってしまったのは、ベルとマンシャムが軽い力比べをしたからであった。ベルの実力を知りたがったマンシャムが対戦を申し出て、ベルがそれを受けたのである。両者ともに一歩も引かない攻防が続いた末、決着はつかず、災害レベルの被害だけが残ったというわけだ。
(ゲームの中では話をするだけだったからこの人の実力は分からなかったけど、こんなに強かったなんて)
ほんのり温かいお茶を飲みながらベルはマンシャムに視線を戻した。
マンシャムはどこからどう見ても優しそうなお爺さんだ。長い白髪で、顔には無数の深いしわが刻まれており、動きはゆっくりだ。話してみると綽々としていると感じるが、見ているだけではそんな印象は受けない。誰にもこの老人が杖を構えたら迷わず致命傷になるような魔法を仕掛けてくるとは想像できないだろう。かくいうベルもできなかった。対戦が始まった瞬間に『外見詐欺』だと気づかされ、軽くショックを受けたのももう何十分か前の話である。
「これくらいは序の口だろう。それに私たちならすぐに元通りだ。怪我をしている者もいない。何も困ることはない」
口元に笑みを浮かべるマンシャム。ベルは「まぁ確かにそうですが」と同意してみせたが、心の中では(これが序の口……)と肝を冷やしていた。
「ベルは私が今まで出会った数多の者たちの中でも優秀だ。久しぶりに弟子を持ちたいと思ったよ」
深い青の瞳がベルを見ている。ベルはごくりとお茶を飲み込んだ。
「弟子にしてくださるんですか!?」
そういう口ぶりだった。
「ベルが望むならそうしよう。言っておくが、私から申し出ることなんて早々ない。ベルで二人目だ」
「是非お願いします! 世界屈指の魔法使い、賢者と言えば貴方様です! そんニャマンシャム様の弟子にしてもらえるニャんて嬉しい限りです!」
異世界に来てまだ三日目。ベルには分からないことが多すぎる。マンシャムの家に置いてもらえることに加えて弟子にしてもらえるなんて願ってもないことだった。有意義な時間を過ごせそうだ。それにこの世界の情報も効率的に得られそうだった。
「結構。では、ここを片付けてから早速訓練しよう」
言ってマンシャムは立ち上がった。ベルも同じく立ち上がると、マンシャムは二つのカップを左手に持ってポットをその脇に挟んだ。そうして右手を挙げ、くるりと手を返した。すると岩のテーブルと椅子が引っ込み、そこかしこにあったクレーターが盛り上がって地面が均された。
「後は頼んでも良いかね?」
「はい」
マンシャムは柔和に微笑むと家の中に戻っていった。ベルは右手に出したタクトと左手を顔の前で構え、指揮をするように一振り腕を振った。
焦げた大地、土が露わになっていた大地に草花が芽吹く。鮮やかに色づいた草原が風にそよいだ。
背後で音が聞こえたので振り向くとマンシャムが立っていた。
「ふむ、元通りだな。では行こう。目的地はこの森……山と言ったほうが良いだろうか。この山にある洞窟だ。私は『黄昏の洞窟』と呼んでいる」
「存じています。ここから少し登ったところにある洞窟ですよね?」
「そうだ。知っているなら話が早い。私はそこまで飛んでいくが、ベルは魔法を使わずに来なさい。これも修行の一環だ」
「分かりました」
「では入り口で会おう」
マンシャムがそう言うと彼の足元から風が起こり、竜巻のように彼を包んだ。ベルが強風から守るために顔を覆った腕を降ろした時にはもう、マンシャムは姿を消していた。
さて、どんな修行になるのだろうか。
ベルはタクトをしまい、代わりにクリスタルの杖を出して洞窟に向かって歩き始めた。
ゲームの『黄昏の洞窟』には『賢者の森』の中にいる魔物よりはレベルの高い魔物が出て、尚且つ近くに『賢者の家』という回復場所があったので序盤のレベル上げポイントだった。
何度もゲームで行き来した道だったことが功を奏したのか、ベルは迷うことなく洞窟についた。
洞窟までは意外と距離があった。ゲームではそんなにないように思える距離も、実際に歩いてみると三十分強だ。時間は様々なステータスを見ることができる便利ツールで確認したので確実である。おまけに山道で軽いのぼりになっていたのでほんの少し疲労感がある。
「お待たせしました」
洞窟の前で岩の椅子に座っていたマンシャムが視線を向けた。
「遅い。戻ってやり直しなさい」
「えっ!?」
開口一番にそう言ったマンシャムにベルは驚いて金色の目を大きくした。マンシャムはにっこりと笑っているが、有無を言わさぬ威圧を感じる。
「……わ、分かりました」
ベルは驚いたときに立たせた耳を伏せ、尻尾も丸めて来た道を戻ることにした。
なんとなく惨めでとぼとぼ歩いて戻り、家の前まで来ると気を取り直して小走りで洞窟の前までやって来た。記録は二十五分。まぁまぁ早いのではないだろうか。
「お待たせしました!」
再びマンシャムの前に立つ。マンシャムはにっこり笑って言った。
「往復に時間がかかっている。戻る時、ゆっくり歩いて戻ったのかね? 私は君がここを離れた時から計っているのだ。戻る時も急ぎなさい。もう一度」
確かに、ここにいるマンシャムはいつベルが家についたのか分からない。自ずと往復の時間で計ることになる。仕方なく、ベルはもう一度家に戻ることにした。
「では行ってきます」
ベルは駆け出した。行きは上りだが帰りは下りだ。降りで時間を短縮しようと考えたのである。
身体能力の高い獣人だからか下り坂でも足がもつれることなく走ることができ、帰りは五分程度だった。家についた瞬間、足首を回して方向転換し、走って傾斜を上っていった。
三度目。今回は往復で十五分とかかっていないので及第点がもらえるのではないだろうかとベルは期待した。
「お待たせしました!!」
「ふむ。精人や魔人ならこのくらいで良いだろう。しかし君は獣人だ。獣人ならもっと早く来られるだろう。魔法は使うなと言ったが、身体強化スキルを使ってはならないとは言っていない」
(確かにそうだ)
獣人が使える身体強化は魔法というくくりにはされておらず、スキルというくくりにされている。ベルはそのことを忘れていた。