えろほん
えろほん
一
今時の青少年はフィルタリングでアクセス制限されている人は別としてもインターネットで刺激的な動画や画像を見ることが出来るからおかずを見つけるのに苦労しないが、僕の青年期にはインターネットなんて便利なものはなかったから僕の世代の者はおかずを見つけるのに苦労したし、おかずの内容も可愛いもので新聞の広告欄に週に一回か二回、掲載されるエロ雑誌の広告の中の白黒写真がおかずになりそうだったら切り取っておかずにしたり、道端なぞに捨ててあるエロ雑誌を見つけたら拾って見て、おかずになりそうだったら持ち帰っておかずにしたり、当時は深夜にテレビでエロ番組が放送されていたので親が寝静まったのを確かめてからテレビのある居間にこっそり忍び入り、親が起きて来ないか冷や冷やしながらテレビ映像をおかずにしたりとまあ、こんな具合に苦労しておかずを見つけていた訳だ。
二
僕の友達の大池は僕らが小六の時からおかずを見つけるのに苦労していた。
そんな大池をからかおうと僕は十一月も半ばを過ぎた秋の或る日、樫の木や椎の木から落ちた団栗を沢山拾って準備万端整ってから大池の家に遊びに行った。
「ひ~ろしくん!あそぼ!」
僕は大池に分かるよう態とインターホンを押さずにそう呼ぶのだ。すると、果たして大池が玄関から嬉しそうに飛び出して来て僕に挨拶するなり、まるで超大型の銅鐸を発掘した様に驚いた。
「うわあ!もっこりしてる!」
「道端に捨ててあったエロ本拾って見てみたら、こんなになっちゃいました!」
言いながら股間を強調しようと僕が腰を前に出すと、大池は僕の股間に瞠目し、「えー!ほんとに!」
「うん、それでさあ、エロ本、服の中に隠してあるんだけど見てみたい?」
「うん、見たい!」
「嘘ダヨーン!ほんとは団栗を一杯股間に詰め込んでおいただけなんダヨーン!」
そう僕がお戯けて言って半ズボンの社会の窓を開け、団栗を数個取り出し、「あげるよ!」と言いながら差し出すと、大池は当てが外れたので恨めしそうに僕を見つめるのだった。
三
そんな風に僕は大池をからかう事も有ったが、僕も中学時代は大池同様おかずを見つけるのに苦労した。それと並行して僕らは奇しくも共に数奇な運命を辿って欲求不満な高校生になり、高2の時の或る日の学校帰りに駄弁っていたら大池が言うには、日テレの深夜番組を観ていたら、とても可愛いAV女優の存在を知ったのだそうだ。それで、その女優のヌード写真がどうしても見たくなって或る日、本屋へ行ってエロ雑誌コーナーで、その女優が載っているエロ雑誌を探していたら偶々その女優のビニ本が見つかったので、どうしても中身が見たくなって無理を承知でレジへ持って行った所、女の店員に直様、見破られのだそうだ。
「あなた、高校生でしょう」
「えっ、いや、違います」
「だったら、何か証明になるものを出しなさい」
「そんなの有りません」
「じゃあ、売る事は出来ません」
「えっ、本を買うのに証明なんか要るの?」
「だって、あなた、どう見たって高校生でしょう」
「いや、違うよ」
そうやり取りした後、大池は諦め切れずレジに置いたビニ本の写真集を暫く、じっと見つめて粘ったが、店員が大池を矯めつ眇めつ眺めるばかりで売ろうとしないので、「ちぇっ、くそー」と言い捨てて本屋を出たら、それこそ欲求不満で一杯になったのだそうだ。
それから何日か経った或る日の休み時間の事、大池はトイレから教室に帰り自分の席に戻る途中、思わぬ事に出くわした。何と先日、大池が買い損ねた写真集と同じ物を二人の男子生徒が椅子を寄り合わせ、喜び合って見ていたのだ。だから大池は思わず立ち止まってしまうと、色黒の方がにたにたしながら問い掛けて来た。
「お前、見たいんだろう」
大池は、しまったと思い、「い、いや・・・」と言葉に詰まった。
「いいから正直に言って見ろ」と色黒が言うので大池は、もしかすると仲間に入れてくれるかもしれないと、つい、うっかり期待して、「あ、ああ、見たい」と正直に答えた。
すると色黒は、「誰がお前なんかに見せてやるか!」と言って明け透けに笑って見せた後、相棒と顔を見合わせ、申し合せたように笑い合った。
実はこの色黒は中二の時も大池と同じクラスだった生徒で中二の時は大池がクラスの人気者だったから、この色黒も大池の事をちやほやしていたし、大池とよく遊んでいたのだが、高二の時はこの様にからかうだけで相手にしなくなった。大池が挫折し、零落したからだ。
大池は二人が、「すげえなあ、こんな可愛い子が脱ぐんだぜ」等と聞こえよがしに言い合って、これ見よがしに喜び合っているのを横目に、「畜生、どうやって手に入れたんだろう。嗚呼、見たいなあ。いいなあ、あいつら。くそー、あの野郎。中二の時はちやほやしてた癖に」と恨めしがったり訝ったり羨ましがったり憤ったりしていると、ふと小四の時に学芸会で演じた芥川龍之介作「杜子春」の噺を思い出し、成程なあと思うのだった。
この事も大池は僕に話した。
僕も大池と同じような境遇にあり、同じような目に遭っていたので大池に心底、同情し共感した。
僕らの絆はどんな友達同士のものより深いのだ。
「人は規格外の者には排他的になるんだ」
「そうだね」
僕らはこんな会話もして同情し共感し合うのだ。確かにとても深い絆に違いない。
「エロ本なんて高校卒業すれば、幾らでも見られるよ」
「うん、でも、高校卒業してからはそれだけでは満足できなくなるだろうね」
「ああ」
僕らはこんな会話もして、お互いにエロ本に載るようないい女を抱く夢に思いを馳せるのだった。
四
僕らは刻苦して勉学に励み、同じ大学に入り、四年生の時にバイトで稼いだ金を持って初めてソープランドへ行って夢を果たした。
その翌日、寮の部屋でそのことに思いを巡らしていた時、「しかし、女って誰しもいい女に生まれつくと、自分の美貌を武器に金儲けするものなのかなあ」と大池が持ち出してから談論風発した。
「確かにあんな体をしていたら恥じらいは有っても時には見せたい気にもなるだろうし誘惑したくもなるだろうから体以外に取柄が無ければ、体を武器に金儲けする様になるのも自然の数と言えなくも無いからAV女優にしても、ああなるのも運命で仕方のない様に思えてしまうね」
「しかしAV女優というのは人間の屑とも言うべきAV男優と全国の人間にお互いの陰部を晒し合い醜態を晒し合って金儲けする事が何であんな恬然と疚しさや後ろめたさが一切無い様な笑顔で出来るのか?本当に恥を晒して金を稼ぐ事程、人として恥ずべき事は無いのに、全く犬みたいにケツの穴を晒しやがっている癖に、いやはや、ぬけぬけおめおめしゃあしゃあとよくもまあ、臆面もなく人間をやっていられるものだなあと不思議でならないから、いっその事、どういう神経をしているのか、一回、頭をかち割って脳みそを見てみたい気がするよ」
「ハッハッハ!確かにね」と僕は同意した。「しかし、そんなことをもし、AV女優の前で言ったら、『私達の世話になってる癖に何だよ!その言い種は!言いたい放題抜かしやがって!そんな事が言える立場なのかよ!』って言われてしまうだろうね」
「ああ」と大池は同意した。「確かに世話になるし世の男性諸君を気持ち良くさせ男優も気持ち良くさせ自分も気持ち良くなれて普通の仕事より何十倍も良いお給金を貰えるのだから、『こんな良い仕事は無いと笑顔になれるのは当然よ!』と言われてしまえば、それまでだがね」
「しかしだ、だからと言って彼女らの営みを良しとして彼女らをほくほくぬくぬくさせておいては日本を益々堕落させる一因になる事は目に見えているから非難しなければいけないと思うがね」
「そうだよな」と大池は同意した。「だって昔の春を鬻ぐ女達は生活に困窮した場合に限り恥を忍んで心ならずもそうしていたが、今時のそれは大半が遊ぶ金が欲しいとか裕福な生活がしたいとか、そんな強欲な目的で而も目的が目的だけに恥を忍ぶ心無く厚顔無恥にしている訳だから全く以て彼女らは日本人が昔持っていた慎む心、恥じる心を寸毫も持っていないと非難しなければいけないね」
「まあ、正確に言えば、彼女らは春を鬻いでいる訳ではないが、しかし昔の春を鬻ぐ女達より遥かに癡な淫らな仕事をしているのに違いなく破廉恥極まりないのに違いなく矢張り彼女らは人間として大いに欠陥が有るから非難しなければいけないよ」
「思うに彼女らは強欲な上に自尊心も貞操観念も羞恥心も欠如しているから破廉恥になってしまうんだ。但、彼女らばかりを責めていても仕方が無いよ。そもそもAV監督自体が破廉恥でAV女優に破廉恥な事をさせ、AVの買い手もそれを求めるからいけないのであってAV監督が美意識を持ってAVをアートとして制作し、買い手もそれを求めれば、彼女らをアートにする事が出来るから僕は彼女らを破廉恥と非難しなくて済むんだよ」
「だよね」と僕は同意した。「それとAV女優にしてもソープ嬢にしても金、快楽は二の次で奉仕献身が第一の目的で仕事をするのなら僕も彼女らを破廉恥と非難しなくて済むんだよ」
「元はと言えば、彼女らを破廉恥にしてしまう欲に塗れ堕落し切った社会全体がいけないんだが、彼女らは自尊心や羞恥心や貞操観念に加え自我も主体性も欠如しているからそんな社会にもいとも簡単に節操無く染まってしまうんだ。おまけに彼女らに限らず女は多かれ少なかれ受動的だから要するに包括して言えば、彼女らは自分を持たない人間であり俗世の煩悩と風紀に支配された奴隷だから社会人になる前から自然と俗世に染まり、尻軽女となって社会に出てしまったんだよ。そして偶々スカウトされたり害毒な広告が目に入ったりしただけで癡な淫らな世界にむざむざと踏み込んでしまった訳だよ」
「ま、皆、利に喩るから堕落するんだなあ・・・僕は堕落しても心を磨いて改心するから堕落を脱するが、女は大抵、外見ばかり磨いて心を磨かないし、自分を持たない人間であり俗世の煩悩と風紀に支配された奴隷だから常に利に喩り堕落した儘になるんだな」
「うん」と大池は同意した。「だから女は誰しも男を迷わす程の美貌が有れば、癡な淫らな世界に踏み込み兼ねないのであってだね、それで言えば、僕の母も男を迷わす程の美貌さえ有れば、どうなっていたか分からない。何しろ10年位前、当時、ポルノ女優であり、まともな女優でもあった美〇純に憧れを抱いていたんだからね。つまり美〇純の様に市民権を得たセックスシンボル的スターになれるのなら男を迷わす程の美貌を武器にポルノ女優になっても良しとする不貞な娑婆気を持っていた訳だよ。だからと言って母が男を迷わす程の美貌が有れば、美〇純の様になるのかと言うと性格の問題が有るし色んな偶然が重ならないと、あんな風には成り得ないから断言は出来ないけど、まあ、しかし、女は自分を持たないが故に案外、性格云々とかは関係なしに女氏無くして玉の輿に乗るとも言うし、男を迷わす程の美貌が有れば、美貌を武器に利になる方へ転んで身の上が一変するのは確かで、また、美〇純の場合で言えば、若かりし頃、別にエロ路線でもないテレビドラマや映画を担当するプロデューサーにスカウトされ、どんな成り行きでなったのかは知らないが、ロマンポルノ女優になる様な女だから仮にロマンポルノという分野の代わりにAVという分野が有る今、若かりし頃を迎えAVのスカウトマンにスカウトでもされれば、AV女優になるのは必至で兎に角、どんな場合にも利に喩るから、どうにでも転び堕落するのさ」
「つまり美〇純は偶々良い仕事に恵まれ世相にも恵まれ市民権を得てスターになれたが、生まれる時代がもう少し先だったらAV女優になって後は市民権を得たスターになる為の努力をする機会すら与えられなかったに違いなく、彼女は偶々僥倖に恵まれてスターダムに伸し上がった時代の申し子であり選ばれし人間であったって訳だね」
「ああ」と大池は同意した。「そうなんだけど、その実、母同様、自分を持たない人間であり俗世の煩悩と風紀に支配された奴隷であるのに変わりはなかったのさ」
「だよね」と僕は同意した。「だから今時の一般の女も自分を持たない人間であり俗世の煩悩と風紀に支配された奴隷であるのに違いなく男趣味的映像画像文化に振り回される女が持て囃される社会を抵抗なく受け入れて育っているから泥中の蓮は皆無に等しく、そこらの不細工女でも立派な理念や固い操が有って慎んでいる訳ではなく、男を迷わす程の美貌さえ有れば、利に喩ってグラビアアイドルか何かになって要求通り肌を晒して青少年を矢鱈に刺激する様な破廉恥な格好をしてセックスアピールして金儲けする様になり、行く行くは玉の輿に乗ろうと奔走するに違いないよね」
「ああ」と大池は同意した。「現にそういう邪淫とも言うべき事を罪悪や疚しさや後ろめたさを感じずに為して成功した取りも直さず堕落した女にほとんどの女が憧れを抱いていて、そういう堕落した女を正当に成功したと解釈しているから、そういう堕落した女を愚かにも嘉する者さえいるんだよ」
「今時の女がそういう傾向にあるのは態々制服のスカートの丈を短くして太腿を晒す女子高生を見れば明々白々だ。彼女らは表向きは可愛いから短くする、亦は、皆がしているから短くするとしか言わないけどね」
「確かにファッションには敏感で皆と一緒にしていないと居られない様な連中だから、そこに嘘偽りは無いのだろうが、彼女らのネットの投稿映像を見ると野暮も野暮、下衆の極みという奴で彼女らの破廉恥振りは目に余る程、酷く性的アピールが露骨で身も蓋も無い淫語を連発し卑猥な動作を平気でやるから、あれを見る限りでは男子を誘惑、或いは挑発する手段として短くしているとしか思われない」
「そうだね」と僕は同意した。「矢張り彼女らには胸に一物が有るのに違いなく全くあの格好だけでも性犯罪に遭っても仕方がないし、援助交際宜しくと言っている様なものだから淫らなセックスアピールをしていると非難されても言い訳の仕様が無い有様だね」
「ああ」と大池は同意した。「他にも彼女らの公共での醜聞は数知れないが、社会に出ると臨機応変に妙に落ち着いて淑女を演じたりするのだから彼女らの実体を思うと恐ろしくなる」
「全く女は怖いが、彼女らの品行の悪さは話にならない程、酷いから淑女を演じるのも覚束ないね」
「全く世も末だが、彼女らをここまでにしたのはインターネットの有害サイトの影響が多分に有ると思う。彼女らは政府の3S政策に因り愚民化され汚れた事を知り過ぎた。彼女らに比べると僕の母の方が遥かに初心で清純だ」
「彼女らは親の躾が甘いのと親以外の誰にも注意されないのと自国の治安が良いのと男の立場が弱くなったのを良い事に付け上がっていて怖い物知らずといった感じで世の中を嘗め切っている。苟も人間に生まれた以上、理性を養い倫理を養わなければいけないのに彼女らは本能剥き出しといった感じで彼女らの頭の中に貞淑という理念は存在しないだろうね」
「ああ」と大池は同意した。「彼女らは西洋の学問の第一義を学んでいないから千古不易の神仏の倫理観が無いし、自分を持っていないから、それに代わる自分が創造した確固たる倫理観も無い。有るのは時代が創造した俗世の倫理観に基づいて彼女らの間で創造された彼女らが所属する小社会の倫理観だけだ。従って千古不易の理念である貞操観念が無いに等しい。性に奔放過ぎる。但、そう彼女らを非難する僕だって性に大らかだった明治維新以前の西洋的貞操観念の無かった時代の日本の方が良い様に思わなくもないが、それではちと野蛮だし矢張り和魂洋才が理想なのであって余りにも彼女らは精神が堕落し切っているからどうしたって堅い事を熟々言って彼女らを非難しなければいけなくなるんだ」
「だけど彼女らを責めてもマジうぜえとか言われて鬱陶しがられるのが落ちだし、闇夜に鉄砲を撃つ様なもので意味が無いだろう。責めるべきは親か、先生か、エロ漫画家か、自分の醜態を自らネットに流す馬鹿か、有害サイト運営者か、AVに携わる全ての者か、延いてはこいつらの営みを許可する政府か、兎に角、皆だ。此の儘だと今に皆、人としての尊厳も誇りも無い恥知らずの人間許りになってしまうよ。実際、既に異常事態なんだ。二十一世紀初頭にして世紀末的だ。全く風紀紊乱たる有様だ」
「風紀紊乱と言えば、彼女らに限らず女は概して風紀が乱れた社会にも柔軟に順応してしまうものだが、思うに一般に女が男と比べて精神年齢が高くて大人に見えるのも其の為で女は自分を持たないが故に漱石も言っていた様に、『女は与えられたものを正しいものと考え、与えられたものの中で差し障りの無い様に暮らすのを至善と心得ている』所為で概して偶々与えられた境遇にも柔軟に合わせてしっかり順応出来て男よりも落ち度が無い様に見えるから大人っぽく見えるだけの話で其の実は低俗社会に順応して大張り切りの大馬鹿野郎に過ぎないのだ」
「亦、女は自分を持たないが故に母も、『いらない事は言わなくて良いから返事と挨拶だけはちゃんとするのよ』と僕に諭していた様に同調した人間、換言すれば、自分を持たない人間になれと諭すかの様な事勿れ主義に基づく教育しか出来なかったし、母に限らず女は自分を持たないが故に世の中の不正不条理に憤慨している男に対して、それなりに権威や名声や地位の有る人なら未だしも子供じゃあるまいし、無闇に怒っても損するだけよ、何の得にもなんないじゃないの、波風立たない様に茶坊主になって長い物に巻かれて世の中に合わせて澄ましていれば、それで良いのよと、こんな事を諭す自分が大人だと思っているんだ」
「ああ」と大池は同意した。「それを大馬鹿野郎と言わずして何であろうと言いたいね。が、そう非難する僕はいつも田作の歯軋りをしているのであり女の言う通り損ばかりしているのであって僕が正しいという事になった例が無いのだ。だから現実は僕が子供で大馬鹿野郎という事になってしまうのだ。漱石の奨励する個人主義が現代日本に全く浸透していないから僕が馬鹿を見るんだよ」
「僕も漱石の『私の個人主義』を読んだけど、それに依れば、本来、人の上に立つ権力者金力者は皆に影響力を及ぼすのだから倫理的修養を積まなければ、権力を使う価値も金力を使う価値も個性を発展して行く価値も無いとしている。そして権力者金力者以外の人々も多かれ少なかれ他の者達に影響を与えるのだから倫理的修養を積まなければ個性を発展して行く価値は無いとしている。そして倫理的修養を積んだ権力者金力者は自分の個性を発展して行く自由を得ると共に倫理的修養を積んだ他の者達にも個性を発展して行く自由を与える義務が有るとしている。そして全ての倫理的修養を積んだ者達はお互いに個性を発展する事に努めると共にお互いに個性を尊重し合わなければいけないとしている。そして全ての者が集団主義から脱し倫理的な個人主義者になる事を漱石は望んでいる。亦、権力者金力者は金力を使うに当たり人心を堕落させない様にする責任が有るとしている」
「それなのに現代日本の権力者金力者どもは倫理的修養を全く積んでいないから権力金力を濫用し、自分の個性だけを発展して行き、人々の個性を没収し、人々を骨抜きにし、人々を去勢し、人々の徳義心を買い占め、人心を堕落させてしまっている。当然、これでは不正不条理が罷り通る訳だ。そして人々は人々で倫理的修養をしないから自分に誇りを持てず、お互いに尊重し合える筈も無く、常に義に喩れず利に喩り、集団主義でありながら集団の利益を求めず個人の利益だけを求める利己主義者として只々同調し退廃の一途を辿るんだ」
「全く浅ましい限りで権力者金力者の恩恵に与ろうと努めるのを始め何事にも利害得失を優先し、損得勘定して世渡りする様になり、その中でも、転んでもただは起きぬをモットーにする様な計算高い者程、正しいという事になり、大人という事になってしまうのだ」
「殊に女は寄らば大樹の陰という諺通りの生き方になる傾向が強いから正しいという事になり、大人という事になってしまうのさ。女はそんな自分達を肯んじる価値観に納得して雪隠虫も所贔屓といった具合に暮らしているから俗世に何の疑問も感じず順応しようと日々孜々として努めるのさ。全く御立派な事だとアイロニーの一つでも言いたくなる。女は概してインディペンデントスピリットとアイデンティティーとインテリジェンスが無いのさ」
「ああ」と僕は同意した。「仮令、女がそれらを養っても社会人になると俗世に順応しようと同調するか屈従せざるを得なくなり、インディペンデントスピリットとアイデンティティーを自ら放棄し、インテリジェンスを錆びつかせ、結局、自分を持てなくなって馬鹿になって俗世に順応出来てしまうのさ。それはもう哀れにも力の有る者に跪き身を捧げる程の献身さで以て順応しようとするのさ。そして俗世に順応し、胸を張って、私は大人よ、男は子供よと思い上がって生きている女程、実は馬鹿なのさ。馬鹿、馬鹿って酷い言い様だけれども僕は健全な批判精神から言っているのだ。決して女に対する恨みから言ってる訳でもなく俗世に順応出来ない僻みから言ってる訳でもない。そもそも僕は俗世に順応する積もりはないし女を恨む事は止めた。只、女を軽蔑するのみだ。勿論、僕は概してという言葉を使っている通り女を皆、馬鹿と軽蔑している訳では無いが、悲しい哉、十中八九、否、それじゃあ甘過ぎる。掛け値なしに九十九パーセント以上、馬鹿と言って間違いない。幾ら勉強が出来たって一流大学出てたって仕事が出来たって名声が有ったって金力が有ったって権力が有ったって馬鹿は馬鹿だ。勉強が出来て一流大学出てて仕事が出来て名声が有っても馬鹿と言えば、俗世から才色兼備と持て囃されている女子アナなんてのは最たる者だ。確かに高学歴で器量も良いのだが、馬鹿に変わりはない」
「君の言う馬鹿とは俗物の事で俗物度が高ければ高い程、馬鹿という事になるんだろ」
「ああ」と僕は同意した。「だから情報化社会の恩恵に与かって知識を幾ら蓄えて生き字引になろうが博識になろうが俗物なら馬鹿なのさ」
「君の言う俗物とは、まともな人間の事であり、ニーチェの言うおしまいの人間の事であり、論語に出て来る小人の事であり、基本的に辞書の通り世間的な名誉や利益にばかり心を奪われている詰まらない人間の事だろ」
「ああ」と僕は同意した。「女子アナなんて最たる者であろうが!現に玉の輿ばかり狙ってるじゃないか!」
「そうだねえ・・・」と大池は同意した。「そう言えば僕は或る怪我で入院した時、或る看護婦が、『医院長様がお出でになったわよ!』と五人で駄弁っていた看護婦達に知らせると皆、一斉に、『きゃあー!』と叫んで医院長を出迎える為、医院長の居る所へ駆けて行くのを見た事が有ったし、漱石も自著『三四郎』の中でキリシタンで知性的な里美美禰子でさえも結局、やんごとなき良家に片付いてしまう様に描いているから所詮、女という者はシェークスピアの『弱き者、汝の名は女なり』という格言通り利に喩り、漱石の言う露悪を思うが儘に操る権力の有る者の方へ金力の有る者の方へ靡く者なんだね」
「ああ」と僕は同意した。「しつこい様だけど女子アナはその最たる者で彼女らには教養が無いということも指摘せねばならない。何故、一般的には教養が有ると認められている彼女らにそんなケチを付けるのかと言うと僕の言う教養とは俗物が定義する様な上辺の洗練された振る舞いで誤魔化したスノッブな空虚な物では無く辞書の通り実質の伴った物だからだ。僕が教養が有るか無いかを判別するのは知識人文化人に成り得る素質が有るか無いかを判別するのと一般だ。僕の言う知識人文化人とは民衆、つまり、おしまいの人間達、換言すれば俗物達の尊敬を集める者でも民衆に対し権威を持つ者でも民衆の代弁者でもなく、民衆から時に恐れられ時に妬まれ時に馬鹿にされる偉大な孤独者であり真実の代弁者の事だ。つまりツァラトゥストラの様な人の事だから僕の定義する知識人文化人に成る為には相当、脱俗した人でないと無理だ。だから彼女らは僕の言う知識人文化人には成りたがらないだろうし、到底、成り得ない。第一、成る為に不可欠な知性が無い。僕の言う知性とは辞書の通りなんだが、敢えてもっと言えば、俗世の価値観に囚われず学んだ知識を知恵に変え、知恵を遺憾なく発揮する勇気ある能力の事だ」
「知行合一にも通じていてインテリジェンスより高等だね」
「ああ」と僕は同意した。「僕がその知性が有るか無いかを判別するのは、俗世に於いて有りはしないと思われる程の希少な義に関するメリットを只管信じ求める善のニヒリストであるか、若しくは義に関するメリットなぞ此の世では糞の役にも立たない、亦、そんなものは有りはしないとして利に関するメリットだけを信じ求める悪のニヒリストであるかを判別するのと一般だ。だから女子アナに限らず俗物は知性の欠片位は有るかもしれない、否、無いといったレベルの形容で済むが、虚しさすら感じずに俗世に順応出来てしまう俗物の中でも低能な女は、知性の欠片も無いと言うより知性なぞ有りよう筈が無いと形容しなければ済まない程、馬鹿と断言する事が出来、主体性も理性も貞操観念も自尊心も羞恥心も独立心も想像力も乏しいに違いないから俗世で生きて行く中で確実に堕落し退廃する」
「だから零落すれば、淫らな仕事でも汚い仕事でも臭い仕事でも何でもする様になるよ。金の為なら何でもやるんだな。例えば僕が好きだったアイドルにしても清純なアイドルだと信じていたのにアイドル歌手から女優に転身して、ちょっと左前になっただけで手っ取り早く稼ごうとヌード写真集を出して更には映画でも濡れ場を演じる様になったんだ。だから当時、僕は、裏切られた気がしてショックで彼女のファンでいられなくなってしまったんだ。確かに女優というのは脱ぐ仕事も有る訳だから清純なイメージの儘でいて欲しいと願った僕に無理が有ったと言えば、それまでだが、同じ脱ぐにしても落ちぶれて金の為に脱ぐのと女優としての真価を問う為に脱ぐのとでは芸術性に於いて同日の論ではないのだから僕が彼女のファンでいられなくなった事は無理からぬ事だったのだ。彼女にはあんな窶れた姿で脱いで欲しくなかった。痩せても枯れても脱いで欲しくなかった。あれでは仕事の為の仕事をしたとはどう贔屓目に見ても到底、言う事は出来ないのだ」
「パンの為の仕事だね」
「ああ、皆そうさ」
「これに載ってる女たちもね」
僕がエロ本を取り上げてそう言うと、「ああ」と大池は同意したもののバツが悪そうに言った。
「でも、僕、まだエロ本の世話になってるんだ」