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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
マッチ売りの少女アリーセ

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マッチ売りの少女アリーセ 第四十話

 ストーンハート屋敷のメイド、サリエル・サルヴェールがカトラスブルグ警察の拘置所から釈放されたのは、火曜日の午前七時だった。


「お騒がせして、申し訳ございません」

「……もうこんな所に来るなよ」


 エレーヌは他にする事があったので、伯爵家お抱えの弁護士軍団にサリエルの事を任せるのを忘れていた。

 その為サリエルは月曜日の深夜に不起訴方針が決まるまで取り調べを受けていた。釈放が更に朝に延期されたのは、さすがに十二月の深夜二十三時に少女を外に放り出すのは良くないとの判断からだった。


 拘置所の冷たい部屋でも文句も言わずに眠り、早朝五時半に起きて拘置所の朝食を綺麗に平らげたサリエルは、朝焼けの街を元気に走って伯爵屋敷へと帰って行く。



   ◇◇◇◇◇



 アリーセの母テレーズの元にはカラー印刷工場のエタンカラー社からの連絡があった。近隣に工場を構えるヤニック化成工業から突然、エ社の従業員の健康被害への賠償の申し出があったというのである。

 内容はテレーズが健康を回復する為に風光明媚ふうこうめいびな別荘地であるサンドリッツでの転地療養を受けるのに十分な金額と、戻ってからの職業斡旋の保証に、娘のアリーセの二十歳までの奨学金まで備えていた。

 勿論テレーズもアリーセもこれを聞いて大いに驚き、喜んだ。こんな事は想像も出来ない奇跡だと思った。

 ただしその奇跡の裏では、主力銀行からヤニック化成工業への突然かつ強引な融資打ち切りと旧経営陣の退陣要求に始まる苛烈な敵対的買収劇が起きていたのだが、テレーズ母娘がそれを知る事は無かった。


 ともかく伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートはディミトリの素早くスマートな仕事に満足し、彼を称賛した。


 しかし水曜日には、エレーヌが全く想像出来なかった大事件が起こったのである。



   ◇◇◇



 伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートはその日の通学を終えると、友人のアリーセを守る為、自ら馬車で出撃していた。

 戦勝記念通り付近でいつもの商売をしている所をエレーヌの馬車にピックアップされたアリーセは、素直に喜んでいた。


「こんな素敵な馬車は初めてだわ! ありがとう、エレーヌ」

「私もアリーセと御一緒出来て嬉しいですわ!」


 エレーヌはまるでごく普通の気さくな少女のようにアリーセに接し、目的地までの移動時間をアリーセと、日々のささやかな発見や街で見聞きした事を話し合って過ごしていた。

 そんな仲睦まじい友人同士である二人の手には、揃いのミトンがついていた。


 サリエルは馬車の隅で、なるべく気配を消してたたずんでいた。サリエルとしては正直、アリーセに嫉妬してしまう気持ちもあった。けれでも本当にその数倍の気持ちで、エレーヌのそんな姿を見る事が出来た事を喜んでいた。


 しかし楽しいだけの時間はここまでだという事を、自分は伝えなくてはならない。サリエルは恐る恐る、口を開く。


「皆様……ダニエル先生の診療所につきましたわ」


 そう言ってサリエルは横目で二人の様子を見た。アリーセはサリエルの方を見て、単に微笑んでうなずいていたが。エレーヌは恨めしそうな目でサリエルを上目遣いに睨みつけていた。「この、地獄の鬼め」とでも言いたげな表情で。

 サリエルは涙目で小さく首を振る。違います、私のせいではありません、そういう気持ちを籠めて。


 ともかくエレーヌはこの日、ダニエル医師(やぶいしゃ)の診療所を訪れる約束になっていたアリーセを心配して、一緒について来たのである。

 そして事件は起こった。



   ◇◇◇



「下です、先生」

「では、これは」

「右です、先生」


 ダニエルが誇る診療所の最新の医療設備、視力検査表の前で。エレーヌは唖然あぜんとしていた。エレーヌだけではない。アリーセの正式な主治医となっていたダニエル医師もポカンと口を開けていた。


「念の為聞くが……君はどこかでこれと同じポスターを見て、丸暗記していたのではあるまいな?」


 ついにはダニエル本人までもがそんな事を言い出す。アリーセが左右両眼で視力検査表の一番下まで、全ての記号を読み切ってみせたのだ。


 アリーセは屈託なく微笑む。


「ごめんなさいダニエル先生、こんなにすぐ良くなるなら、私もっと早く母の言う通りにして先生に診ていただいていれば良かったですわ」


「良く……なりましたの??」


 エレーヌはアリーセの横顔を覗き込み、首を傾げて尋ねる。


「ええ本当に! 先生からいただいたお薬を飲んでいたら、日に日に良くなって……今まで暗闇の中では特に見えなくなっていたのに、昨夜は財布からお釣りを取り出す時も全然迷いませんでしたの!」


 エレーヌはそのまま、ダニエル医師の方を見る。するとダニエル医師は両手を小さく振って応える。


「待て待て、そんな訳無いだろう、何かの偶然だ、俺にそんな事が出来る訳が」


 それを聞いたエレーヌは前のめりに転倒しそうになる。


「貴方が処方した薬でしょう!? 何だと思って出したのよ!」

「俺はただ、活力を与える薬を処方しただけで……」


 ダニエルが処方した、活力を与える薬。ダニエルはそれをエイの肝から精製した肝油で、製法は秘密だと言っていた。

 実の所伯爵屋敷にも彼の薬の愛用者が居る。酷い薬だが気持ち効き目があると言って、ジェフロワやエドモンは肉体疲労時に飲んでいるらしい。



 エレーヌの頭上で、電球が点灯する。



「まあ、素晴らしいですわダニエル先生! カトラスブルグ随一の藪医者と思わせていたダニエル先生は、実は眼の病に関しては世界一の名医でしたのね!?」

「まっ、待て伯爵令嬢! そんな訳が無いだろう、私はまごうことなき藪医者だ、その事は誰よりも私自身が良く知っている!」

「いいえ違うわ! 先生は世界中の夜盲症に苦しむ人々の救世主ですのよ! サリエル! フーリエ先生の所へ行くわよ!」

「あ……あんな偉い奴の所へ行って何をする気だ、伯爵令嬢!? おい!?」



   ◇◇◇◇◇



 カトラスブルグの片隅で、元気な者には診断書を渡し大病の者は成す術もなく見送って来た藪医者のダニエル医師はその後、ストーンハート家の策謀もあって世間から夜盲症治療の権威と祭り上げられ、多額の研究費と優秀な助手が待つ大手製薬会社へと連れ去られて行ったという。

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