マッチ売りの少女アリーセ 第十九話
「ミトンを……お返しになるんですか!?」
二人は以前エレーヌの蝋人形を返しに行く時にも使った、一頭引きの荷馬車に揺られていた。
「本当は先程……このミトンがこのショーウインドウにあった物だと解った時点で返すべきだったのでしょうけれど。私、どうしても写真だけは撮らせていただきたかったの。折角お母様が買って下さったんですもの」
エレーヌは溜息交じりにそう切り出す。
荷馬車は長屋通りから鍛冶屋通りへとゆっくりと進む。二人は普段屋敷で着ている服の上に、ごく庶民的なフード付きの黒い外套を着ていた。
アリーセとの出会い、彼女がこのミトンを巡る自分の正式なライバルとなった経緯、その後で彼女に起きた事態、そもそもの彼女の境遇。エレーヌはそれらの事について包み隠さずにサリエルに語った。
「お嬢様……そのような事が……」
サリエルは驚いた。何より、エレーヌがこういう事を素直に明かすのは大変珍しかった。
エレーヌは容易な事では人に本心を明かさない。何事も用心深く心に秘め、何かを明かす時にもタイミングをよく吟味して最小限の相手にのみ明かす事を好む。時にはそれが手痛い失敗に繋がる事もあるのだが。
「お母様がどのようにしてこのミトンを購入されたのか解りませんけど、このミトンについた予約札はまだ失効していませんわ。明日の夜までの間、このミトンを正式に購入出来るのはアリーセとベル、その二人だけですの」
サリエルはエレーヌの横顔を見つめ、溜息をつく。何と気高きお考えなのだろうと。
「それでは、お店の方に事情を話して返品という事に」
「そんな事出来ないわ!」
サリエルの何気ない一言にエレーヌは即答する。
「その事がお母様に知れたらどうなさいますの!? 折角のプレゼントを娘が店に返して来ただなんて、そんな事になったらお母様がどんなに悲しむか!」
「申し訳ありませんお嬢様、私、そこまで思い当たりませんでしたの!」
「貴女……いいえ……私もごめんなさい、私もちろん、貴女のお母様が天国にいらっしゃるのは存じてますのよ……だけど私のお母様も天国程ではないけれど、いつも遠くに居るの」
表向きは静かに主人の話を聞いているサリエルの心の中では、凄まじい嵐が吹き荒れていた。
まずお嬢様が驚愕する程可愛い。たった一枚のカードが起こした化学反応がこれなのか。普段は実の母の名前を敵国の将軍辺りと同じ意味合いで使うエレーヌが、心から母を慕う優しい娘になってしまった。その優しさは自分、側仕えのサリエルにまで振り向けられている。
しかしエレーヌをこんなふうにしてしまった年の終わりの奇跡は自分のボーンヘッドであり、儚い蜃気楼に過ぎない。本当はクリスティーナ奥様はお嬢様にミトンを贈っていない……これが本当の事ならどんなに良かったか解らないのに。
お嬢様の誤解を今すぐ解くべきか? そうは思わない。これだけお嬢様の変貌を楽しんだ上で本当の事を明かしたら自分はどんな仕置きを受けるか……いやいや、それ以前に、そんな事をしてはお嬢様が可哀想だ。
では、このまま黙ってついて行くべきなのか? お嬢様がミトンを返したいと考える事情も今聞いた。お嬢様のお考えは正しい。正しいが、しかし。
「あの……お嬢様、それではこれから一体、何を……」
◇◇◇◇◇
かつては午後六時閉店だったテーラー『梟の森』は、現在では午後九時まで営業している。首都レアルの大通りではそういう店も珍しくはないが、カトラスブルグではここまで遅くまで営業している店は少ない。
そんな宵っ張りな梟の森にも、閉店時間が迫っている。
「黙って返すのですか!?」
「声が大きいわよ!」
エレーヌとサリエルは馬車を離れたブロックに止め、街路樹に身を隠しながら梟の森へと接近し、様子を伺っていた。
「貴女が入店した時、店員は何人いらっしゃいましたの?」
「おそらく三人ですわ、客は私の他に五組ほど」
「今は閉店前ですし、その時より増えているという事は無さそうね。簡単な事よ……いい? 貴女は店員を呼んで商品について質問なさい。その隙に私はショーウインドウにこのミトンを戻すわ」
サリエルは考える。お嬢様の計画は自分にとっても極めて都合がいい。
この作戦が成就すればどうなるか。まず、お嬢様はミトンの贈り主がクリスティーナ様だと思い続ける事が出来る。後は自分がクリスティーナ様に口裏合わせを御願いする手紙を書けば、自分の関与については完全犯罪が成立する。
余裕の出来たサリエルは一度腕組みをして、策士の表情を浮かべて答える。
「お嬢様、油断してはいけません。お嬢様の計画は崇高で正しいものなのですが、その手口は万引きと同じ物なのです」
「万引き……って何よ?」
「市井に蔓延る犯罪の一つですの、お店の商品を懐に入れ、お金を払わずに立ち去る事ですわ……高貴な伯爵令嬢がご存知無いのは仕方ありませんね。お嬢様が実行なさろうとしている事は万引きの逆で、返金を受け取らずに商品を店に返そうという事なのですが、その手口は万引きがよく使う物と一緒なのです、一人が店員の注意を引く間に、もう一人が商品を懐に入れるのです……当然、お店の店員というのはそういうものを警戒しております」
「……サリエル!」
エレーヌは小声で、しかし鋭くその名を呼ぶ。サリエルは何か叱責されると思い、小さく震えるが。
「私、そのような事には全く思い至りませんでしたわ。さすがですわねサリエル。貴女が居て下さって本当に良かったわ」
エレーヌは珍しく家臣にそのような賞賛の言葉を贈りながら、凄味のある笑みを浮かべる。
サリエルもそれを受け、こちらは敢えてごく平坦な薄笑いを浮かべる。
「お嬢様、ミトンをショーウインドウに返すのは臣にお任せ下さい。お嬢様は無理に店員の気を引く必要はございません。ただ、品物選びを楽しんでいるふりをして下されば結構です」
策士顔のサリエルに、エレーヌは素直に頷く。
「万引きに造詣がございますのね?」
「そ、それはさすがに……臣にもございません」




