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伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの平凡な日々  作者: 堂道形人
マッチ売りの少女アリーセ

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マッチ売りの少女アリーセ 第一話

 十二月も中旬に入り、カトラスブルグの中心街の一つ、戦勝記念通りには方々に祭日の飾りが取り付けられていた。


 時刻は夕方。行き交う人々もどこか浮き立っているように見える。

 買い物袋を手にした婦人が八歳くらいの女の子の手を引き、四辻を渡って行く。袋の中には何か少女の好きな物が入っているらしい。女の子は大変にはしゃいでいて、母親らしくその婦人はそれを笑顔でなだめている。


 一台の馬車がその親子連れが道を渡るのを待っていた。女の子はちょうど馬車の行く手の先で踊り出してしまった。

 母親は手を引くが、何が嬉しいのか女の子はなかなか動こうとしない。

 困り顔の母親は辺りを見回し馬車が待ってくれているのに気付くと、慌てて会釈をする。

 馬車の持ち主であり自ら御者も務める若き医師マティアス・マナドゥは、慌てなくていいという意志を籠めて微笑んで手を振る。



 マナドゥは本当は少し急いでいた。医者の不養生で自ら腰を痛めて往診に出られなくなったフーリエ博士の代わりに、先程博士の患者の往診を終えたのだが、今度は自分の患者の往診に回らなくてはならない。

 無駄に気持ちが逸らないよう、マナドゥはゆっくりと辺りを見回す。


 角のテーラーにショーウインドウが出来ている。そういえば最近改装をしているようだった。

 そこは婦人向けの店でマナドゥには馴染みがなかったが、患者等の噂話から、評判が良く格式の高い店だという事は聞いている。


 昔気質の人の中にはショーウインドウを誇示的で悪趣味だと言う人も居る。それは品物を見せびらかしいたずらに購買意欲を刺激する下品なやり方で、老舗の名店のする事ではないと。

 マナドゥはショーウインドウを眺める。暮れゆく街の中で、内部に電灯を取り付けられた大きなショーウインドウは確かに大変な存在感を持っている。


 ショーウインドウにはもう一つ役割がある。季節の消費を促す事だ。

 テーラーのショーウインドウに飾られているのは、プレゼント向きの商品ばかりだった。コートにマフラー、ショール、帽子にハンカチ……可愛らしいミトンも。


 マナドゥは感心していた。ショーウインドウとはたいしたものだ。


 今まで自分はこの店に興味が無かった。婦人向けの店だという事は知っていたし、中に入って何を売っているのか見るのは恥ずかしいと思っていたからだ。だけどショーウインドウがあれば店に入らなくても品物を見て吟味する事が出来るし、買いたい物があると解れば躊躇せずに店に入る事も出来るだろう。


 マナドゥは毎年妹マルセルへのプレゼントに頭を悩ませていた。今年はこのショーウインドウで選んだらどうだろう。あのうさぎのミトンはどうか……さすがに子供っぽ過ぎるだろうか。



―― カン、カン。



 誰かが後ろで控え目にベルを鳴らす。気が付けば親子連れはもう歩道に立ち去っていて、マナドゥの馬車の後ろには別の辻馬車が追いついていた。

 マナドゥは少し慌てて会釈をして、前を確認し、馬車を発進させる。




 マナドゥの馬車が去って数分後。赤い木綿のスカーフを被った十二、三歳の、あまり垢抜けない雰囲気の少女が、角のテーラーのショーウインドウに近づいて来る。


 少女はショーウインドウのガラスに手を触れる。その手は肌荒れが酷く、霜焼けもいくつも出来ていた。

 少女の視線はショーウインドウの中のうさぎのミトンに釘づけになっていた。婦人用というより女児用と思われるその商品は、上質な毛糸で編まれているようには見える。

 よく見るとミトンには小さな赤い紙の札も取り付けられている。それはその商品が予約済みである事を示す札だ。


「あの、窓を拭かせていただいてもいいかしら?」


 テイラーの入り口の両開きの扉から出て来た店員らしい二十代の女性が、少女に声を掛ける。


「あっ……ごめんなさい!」


 少女は慌ててショーウインドウのガラスから手を離し、頭を下げる。


「いいえ、こちらこそ。オーナーがね、常にピカピカにしておけってうるさいの」


 店員の女性はそう言って少女に肩をすくめて見せて、少女の手形がついたガラスを布で拭き始める。


「あの! このミトン、まだ売らない……ですよね?」

「ええ! ちゃんと土曜日の閉店までは予約済みって事にしておくから。でもそれまでに間に合わなかったら、予約は無しになるわ。そうしたら、最初にお金を持ってこれを買いに来た人の物になるからね?」

「は、はい! 大丈夫、お小遣い、金曜日までにはきっと溜まります! だから絶対とっておいて下さいね!」


 目を輝かせて少女は店員にそう迫る。そこへ、通りすがりの山高帽を被った髭の紳士が、少女が左腕に提げている篭を見て声を掛ける。


「君、そのマッチは売り物かね? 一つ貰おうか」

「あっ、はいっ、ありがとうございます、二十サンクになります」



 少女、アリーセは煙草と喫煙具の行商をしていた。店舗を持たず街のあちらこちらを歩いて、煙草の葉を小分けにした紙包みや紙巻き用の巻紙、マッチなどを売るのだ。売り上げは胴元が取るのでたくさん売れてもアリーセの収入は変わらないのだが、売り上げが少ないと叱責され、最悪解雇される。



 テーラーの店員は店内に、髭の紳士は往来に去って行く。アリーセはもう一度ショーウインドウのうさぎのミトンを見る。


「いいなあ……」


 アリーセは伸ばし掛けた手を引っ込める。今店員が拭き上げたガラスにまた触れてしまう所だった。

 少女は未練を振り払うように踵を返し、その場から小走りに立ち去って行く。

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