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煙突掃除のフリック 第五話

 紳士らしく、アンドレイはすぐさま立ち上がり、暖炉の方へ歩いて行く。今日は暖かい日だったので、火は入っていない。


「エレーヌ殿は離れていて下さい」


 ついて行こうとするエレーヌを、アンドレイはそう言って制し、マントルピースの上にあったランプの一つを手に取り、暖炉の中を照らして見る。


 そこへようやくディミトリが駆けつけた。


「申し訳ありません、御客様のお手を煩わせる事では無いと思います、この暖炉の煙突は別の暖炉と繋がっておりますので、どこかの部屋で使用人が粗相をしたのだと思います、今、人をって調べますので……」

「板金の鎧が、鎧掛けごと倒れたような音だった」


 アンドレイはそう言って、ゆっくりと席に戻り……椅子に浅く腰掛け、天井を眺める。


「さて、何の話だったかな……」


 アンドレイは皿の上のオマールロブスターとブリキの騎士を一瞥したが、レバーに手を出そうとはしなかった。


「これはその……あの若い料理人は、このブリキの騎士のようなからくりが好きなのですわ、正餐にお出しするには少々諧謔かいぎゃくが過ぎますわね、ごめんあそばせ……」


「解っております」


 場を取り繕おうとするエレーヌ。しかし。アンドレイはロブスターを見つめたまま、薄笑いを浮かべて切り出した。


「リシャール・モンティエ大尉を、ヒストリア王国に派遣する軍事顧問団に推薦したのは、私です」



 サリエルは身動ぎせず、その言葉を受け止める。周りのメイド達は皆大なり小なり、驚きの表情を浮かべている。伯爵令嬢と大尉の接近の事は、使用人の間でも当然噂になっていたのだ……ディミトリも驚いたとは思うが、さすがに老練な執事はそれを顔に出さなかった。


 エレーヌはどうか。サリエルは直接エレーヌに視線を向けないようにしつつ、視界の隅でエレーヌを観察する。エレーヌは。先程の暖炉の奥の謎の声とブルーノの趣味の悪い主菜から来る怒りを、何とか作り笑いで克服しようとしていた。


 そこに、アンドレイの、完全な開き直りとも取れるこの台詞。さすがのお嬢様も、少し動揺しておられるように見える。



 サリエルは考える。この後どうなるのか。

 そして閃く。アンドレイは愛の告白をするつもりではないのか?


 有り得ない事ではない。ここは愛と恋人の国だ、貴女を手に入れる為、私は恋敵を遠ざけたと、堂々と宣言するのか?

 勿論人としては最低だ、だが時にそれが通ってしまうのが、この国の国民性である。どうするのか。お嬢様はどう答えるのか?



「あの……モンティエ大尉は優秀な軍人とお聞きしましたわ……」

「そうですね。私より一つ年下で、私と違い正規の手順で大尉に昇進した男です。武勇に優れているだけでなく、注意深く辛抱強い。失敗続きのヒストリア王国での暴動鎮圧も、彼ならばきっと成功させるはず」

「それは……素晴らしい事ですわ、私の屋敷の家政婦にも、夫がヒストリアで従軍されている方が居りますのよ」


 エレーヌはホッとしたような笑みを浮かべる。


「ですが……私が彼をヒストリアに派遣するよう勧めたのは、彼がただ優秀だからという訳ではありません……」



 エレーヌは息を飲む。

 サリエルもまた息を飲み、アンドレイの次の言葉に備える。

 どうするのですかお嬢様? この男に愛の告白をされたらどうするのですか?



 サリエルは考える。


 アンドレイ男爵は血統や身分、財産は申し分ない。外見も十分だ。そこは個人で好みの差はあると思うが、見た目だけの話ならサリエルはアンドレイをリシャールと互角の美男子いけめんだと思う。


 ただ、中身は……男気に溢れ正義感の強いリシャールには数段劣る。卑怯者で遊び人、そして……自宅の秘密の部屋に、密かに作らせたエレーヌの蝋人形を置き、部屋を新婚夫婦の寝室のように飾っていた……変態である。


 一方、芸術への造詣が深いとか、社交的で交遊範囲が広いとか、性格の外面という部分では、アンドレイはリシャールに勝っているとも言える。


 まあそんな事より何より、一番大事なのは愛の深さとその形なのだが。恐らくリシャールの愛情は深く真っ直ぐだ。あんな人が浮気をする所は想像出来ないし、いかなる時もエレーヌを忘れる事はあるまい。

 しかし……あの男。リシャールは本当にこの国の男なのだろうか? 軍用封筒に軍用便箋を使い、単刀直入に書かれた愛の言葉を、封もせずに相手の屋敷の下男に預ける……おおよそ、愛と恋人の国の男としては有り得ない。あれは本当はこの国の男ではなく、遥か北の国から来た狩猟民族の男なのではないのか。


 アンドレイはそんな事はあるまい。恐らく日頃から方々で色んな女に愛を囁いているのだとは思うが。

 それでもエレーヌの事は特別に、気持ち悪いくらいに偏愛しているというのなら、それはそれでいいのかもしれない。恐らくアンドレイなら、器用に愛を囁く事に掛けては、リシャールよりずっと優れているだろう。



――ひえっ!? 何だこれ気持ち悪りぃ! か……かつら?



 再び。暖炉の奥から聞こえて来た声に、サリエルは現実に引き戻される。ぼんやりしていたのはごく短い時間だと思うが、随分いろいろな、恥ずかしい事を考えていたような気がする……サリエルは密かに赤面する。



――ガタッ!



 そして突然立ち上がったのはエレーヌだった。


「一体何……! コホン。ディミトリさん、何が起こってますの? 調べに行った方はどなたですの?」


 エレーヌが狼狽している。アンドレイの前では隠していた素のエレーヌが一瞬出て来る程に。


「男手は殆ど帰らせてしまったので……メイドを四名派遣しておりますが、恐らく彼女達も物音を恐れて、遠巻きに調べているのかと……」


 エレーヌは朗らかな笑みをアンドレイに向け、少し恥じらうように言った。


「私、少し化粧直しをさせていただきますわ、今日の私、少々はしゃぎ過ぎですもの……どこかほころんで無いか心配ですわ」


 そしてアンドレイに背を向けたエレーヌはサリエルに、鋭い目の動きだけで「ついて来い」と伝える。

 サリエルは、女主人の化粧直しを手伝いに行くごく普通のメイドのように、その影と化して静かにエレーヌに追従する。




 ダイニングから外のホールへ、そして手近な洗面室に入ったエレーヌは、まず大きな深呼吸をしながら、がっくりと肩を落とす。


 そんな姿を見せられては、サリエルも色々と察せざるを得ない。無理ですわお嬢様。そこまでして普段とは違う御自分を演じないと、付き合えない相手なんて。


「誰の為にこんな事してると思ってるのよ?」


 エレーヌはそう言った。それはサリエルが予想していたどんな言葉とも違っていた。


「あの、お嬢様、それは……」

「何でも無いわよ! サリエル貴女。今すぐ、私があの席に暫く戻らないけど、アンドレイが気を悪くしないで済む方法を考えなさい」

「ど……どういう事でしょう……」

「私があの暖炉の奥に居る鼠を始末する間、正餐の場を繋ぎとめておくのよ! それ以外の手はありませんわ!」

「お嬢様いけません、侵入者は私が排除しますから、お嬢様はダイニングにお戻り下さい」

「お黙りなさい! 貴女は私に言われた事をやればいいのよ!」


 今までのサリエルならば、ここで引き下がっていたのだが。最近のサリエルはもう一押し粘るようになっていた。


「不自然ですわ、何故お嬢様がイブニングドレスで煙突を覗き込み、下女が正餐の貴人をもてなすのですか、首尾よく侵入者を追い出したとして、お嬢様は煤だらけの顔とドレスで正餐の場に戻るとおっしゃるのですか?」


 エレーヌは返事の代わりに、洗面所の掃除用具入れを開け、デッキブラシを取り出し、ふりかざす。


「とっとと行きなさいと! 申し上げているでしょう!」

「きゃーっ!?」



 デッキブラシを振り回し、側仕えのメイドを追い回す伯爵令嬢。悲鳴を上げて逃げるメイド。


 ダイニングにもその声は少しだけ届いていた。

 アンドレイは聞こえないのか、聞こえないふりをしているのか、黙ってワイングラスを傾けていた。ディミトリはそんな様子を見て、ただ冷や汗をかいていた。

『伯爵令嬢エレーヌ・エリーゼ・ストーンハートの一生』をお読みいただきまして、誠にありがとうございます。


 以下の文章は前作にもありました、所謂ネタバレになります。

 自分が書いた小説にそんな物をつけるのは、芸人がネタをやった後で、


「今のネタのどこを笑っていただきたかったかというとですね」


 などと、ネタの説明と笑いの御願いを始めるようなものとは思います。


 勿論そのような不様な物を目にしたくはない、そういう向きのお客様もいらっしゃると思います。お目汚し大変失礼致しました、こちらから戻るボタン等で御戻りいただければ幸いです。お読みいただきまして誠にありがとうございます。



 その「ネタバレ」とやら、見てやっても良いというお客様は、このまま下にスクロールをお願い致します。



 ↓




 アンドレイを接待するエレーヌ。前作でも少し触れていましたが、エレーヌはアンドレイ、というより彼のローゼンバーク家との仲違いを望んでおらず、出来る事なら和解したいという望みを持っているようです。


 一方のアンドレイは、自分のしていた事がストーンハート家の人々にばれているのでは? との懸念を抱いております。自分には何か意趣返しがあるのではないか、半ばそんな覚悟を決めて、ストーンハート家に来訪しました。


 この正餐がつつが無く進み、平和裏に済んでいれば良かったのですが。



 今回の話、第四話でエレーヌは三回ショックを受けています。



 一つ目は鎧が倒れた音。前作でもギミックとして何度も出て来ましたが、伯爵屋敷の内部には秘密の通路がございます。鎧も前作に登場しました。


 エレーヌはその鎧を秘密の通路に置いていたので、暖炉の中からそれが倒れる音がしたという事は、誰かが秘密の通路に入ったという事です。


 ですが秘密の通路自体は、前作で複数の使用人にその一部を見られており、機密の優先度としてはそこまで高くありません。



 二つ目はアンドレイが、リシャールを飛ばしたのは自分だと自白して来た事です。エレーヌはこれを何とかただの世間話にしようと努めました。



 しかし三つ目が問題でした。侵入者がかつらを見つけたようなのです。エレーヌがナッシュに化ける時に使うかつらと付け髭は、秘密の通路の中の秘密の物入れの中に隠してあり、それは誰にも見つかってはいけないはずの物でした。こうなると自分で調べに行くより他はありません。



 エレーヌが最近急に写真に凝り始めたというのも、単に使用人の目を様々な仕掛けやストレージから逸らすための方便……なのかもしれません。

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