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煙突掃除のフリック 第十六話

 正面の幅の狭い廊下から迫り来る両手剣をふりかざしたアンドレイに対し、怪人エレーヌは慌てて、アンドレイが出て来たのとは別の、右手の納戸の扉を開く。扉板は怪人エレーヌの姿をアンドレイから隠す恰好にもなった。


「渇ッ!!」


 アンドレイはあまり武術を好まず一通り以上には習わなかったが、その身体能力は決して低くない。


――バシャーン!!


 先程までのような遠慮や気遣いもなく、アンドレイは扉ごと怪人を斬り捨てようと全力で剣を揮う。果たして扉板は二つに割れて砕けたが、怪人エレーヌの姿はそこにはなかった。納戸の中に入ったのだ。


 そこに、サリエルもようやく追いつく……エドモンとディミトリを引きずりながら。


「アンドレイ様! 怪人を追いましょう!」


「待て、君達は全ての暖炉に火を入れてくれ。隠し通路の中には暖炉の煙が流れ込まないようにいくつかの扉がついていた。私はそれを壊すか開けっ放しにして来る。それから誰か煙突に登れるか? カーテンでもシーツでもいい、そこに蓋をして、隠し通路に煙を充満させるんだ」


 頭に血が上っていたサリエルだったが、このアンドレイの台詞には思わず唖然としてしまった。先程までの紳士ぶりもどこへやら、この奸智こそがアンドレイ・アンセルム・ローゼンバーク男爵の本領か。


「どうやら奴は隠し通路に精通している、ただ追うだけでは捕まるまい」

「で、ですがその……そのような作戦を行うには、お嬢様の許可が……」


 ディミトリは冷や汗をかきながらそう口籠るが。


「あのような化け物が、すっかりこの屋敷を自分の庭にしてしまっているのだぞ! そもそもそのエレーヌ殿にどんな危険が迫っているかも解らないのに、躊躇ちゅうちょしている時間は無い!」

「アンドレイ様のおっしゃる通りですわ! アンドレイ様! 私も陸軍で訓練を積んだ兵士です、戦えます! 私も戦線に配置して下さい!」

「いいだろう。怪人は必ずエレーヌ殿の部屋に戻る、もしかすると今にも。君は待ち伏せをするんだ、決して持ち場を離れないように」


 アンドレイはそれだけ言って、怪人エレーヌが消えた納戸へと飛び込む。


「心得ました! 皆様ー! 全ての暖炉に火を入れて下さい! それから、湿った薪や悪い炭を入れて、どんどん煙を出して下さいませ!」


 サリエルはそう叫びながら、大階段の方へと駆けて行く。




 一階の大小のダイニング。普段は使われていない伯爵家族用区画のリビング。キッチンでは既に火を使う料理を終えていたのだが、煙を提供する為グリルやかまどに再び火が起こされる。


 二階はオーギュスト伯爵のリビングとエレーヌのリビング。ここの暖炉はほぼ装飾用で、実際にはほとんど使われていない。伯爵にせよ伯爵令嬢にせよ、本当に寒い時は灯油ストーブを使う。

 しかし今日は、その暖炉にも火が灯された。


「本当にこれでいいのかしら……」


 ヘルダは他の二人のメイドと共に、先程アンドレイが破壊した納戸の扉の残骸を持って来て、エレーヌのリビングの暖炉の火に放り込む。



 屋敷の屋根の上では庭師見習いのトマが、煙突にじゃがいもの収穫用の麻袋を被せていた。トマはもう今日の仕事は終わったと思い自分の長屋の部屋でジンをちびちびやっていた所を呼び出されていた。


「これで合っているのか……サリエルがいいと言うんだから、合ってるのかな」

「トマ! 袋掛けが終わったら下を手伝えってよ」

「ああ、今行く」



 ダイニングでは。ジェフロワの弟子達が屋敷の中央にある暖炉に良い燃料と悪い炊き付けをくべ、団扇による風を送っていた。


「うえっ……ゲホ、ゲホ……酷い煙だ」

「これをなるべく煙突の方へ送れとの命令だ」

「だけどこれ、煙突が詰まってるんじゃないか? 煙がやたらと逆流して来るぞ……ダイニングが焦げ臭くなってしまう」


 料理人達はそう言い合う。


 一方、料理人の一人で主任パティシエであるブルーノは打ちひしがれていた。ダイニングに来た彼が見た物は、またしてもフォークをつけて貰えなかった、彼の渾身の力作であるロブスター料理だった。

 女主人の側の皿は、仕掛けが発動し全てのロブスターの身が食べやすく切り分けられた状態になっているのにも関わらず、一口も食べた痕跡が無い。

 客人の男性側の皿は仕掛けすら発動していない。


「お前も手伝え、暖炉の火を煽るんだ、ほら!」

「今……やります……」


 ブルーノは震える膝を押さえて何とか立ち上がり、団扇で暖炉を扇ぐ作業を手伝う。



 サリエルはエレーヌの区画を巡回し駆け回る。サリエルは焦っていた。お嬢様を最後に見たのはいつだったろう。考えたくはない。考えたくはないが、怪人にどこかに閉じ込められているのだろうか。

 だけど今はアンドレイの言う通り、先に怪人を始末すべきだとは思う。


 アンドレイは言っていた。お嬢様は何かの事情で、着替えて外に出られたのではないかと。これだけ大騒ぎしているのに、屋敷内にはエレーヌの気配が全く無いのだ。


「あら……?」


 サリエルはエレーヌのリビングの納戸の一つに目を留める。先日その奥のクロゼットを開けて激怒されて以来、開けないようにしていた部屋だが。その扉の前を通った時に、少し焦げくさにおいがした。


「お嬢様、申し訳ありませんが」


 サリエルは覚悟を決めてその納戸の扉を開き、中に入る。するとやはり。窓も出口も無いはずの納戸に、煙の臭いが立ち込めている。サリエルは左手のランプであちこちを照らす……天井とクロゼットから、煙が漏れているようだ。


 サリエルは右手の捻じ曲がり、ぼろぼろになったマスケット銃で天板を押してみる。それは簡単にずれて、開いた……直後。


――ゴトッ!


 何か平たい物、どうやら幅三十センチ程の額縁が一つ、天板をずらして出来た開口部から落ちて来た。サリエルはそれを何気なく拾い上げる。


「ひっ……!?」


 小さな悲鳴を上げるサリエル。額縁に入っているのは写真だった。それも自分……あの、写真館で撮られた男装姿の写真だ。

 サリエルは納戸のチェストに足を掛け、天板の上を覗き込みランプで照らす。

 他にもあるではないか。サリエル自身の手で間違いなく捨てたはずの、オーバン・オーブリーの写真が。



「サリエル殿! 怪人はまだ出ないか!」


 その時だ。リビングからアンドレイの声が聞こえて来た。先程落ちて来た写真はまだ足元の納戸の床にある! あれを今ここでアンドレイに見られるのはまずい!


「御用心下さい!」


 サリエルはアンドレイが急に入って来ないようそう呼び掛けたのだが、今のアンドレイにその呼び掛けは逆効果だった。アンドレイは急いで納戸にやって来た。


「何か見つかったのか!」

「い、意外な所から煙が漏れていましたわ! 他にも隠し戸があるかもしれません!」


 間一髪、納戸の床に落ちていたオーブリーの写真は、チェストから飛び降りたサリエルのスカートの影に隠れた。


「これだけ燻してもまだ頑張っているのか。怪人め、敵ながら恐ろしい奴だ……む?そのクロゼットからも煙が出ているようだ」


 アンドレイはクロゼットの扉を無造作に開ける。次の瞬間、サリエルの頭の上に別の額縁が落ちて来て強かに当たった。


「……ッ!」


 サリエルは必死で声を抑える。その努力の甲斐もあり、アンドレイは背後で起きた事に気づかなかった。サリエルは自分の頭に当たった額縁を床に落ちる前に捕まえる。

 それはよりによって、オーブリーがエレーヌを抱き寄せた所を撮ったものだった。こんな物を今のアンドレイに見られていたら何が起きていたか解らない。


「クロゼットの奥に小さな部屋がある。サリエル殿、ランプを」

「は、はい!」


 サリエルは後ろ手に額縁を隠しながら、左手のランプを渡す。アンドレイはその隠し部屋に入ろうとしている……

 ここに到り、サリエルはようやく今目の前で起きている事に気づいて青ざめる。

 このクロゼットを開けた時にエレーヌが激怒したのは、本当に、エレーヌがここを写真術の暗室として使っていたからだろうか?


「お待ち下さいアンドレイ様! 危険です、私が先に参ります!」

「サリエル殿。私はこの命を惜しいと思っていない」


 アンドレイの声は異様な真実味に満ちていた。サリエルは慌てて後を追う。

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