危険な「アレ」は新商品
相手がネーロのチンピラだけなら、モカの予想通りにビオラが「圧勝」していただろう。
彼女はハニートラップを得意とする諜報員だが、優秀な戦士でもある。電磁ムチを使わせれば(女王様なだけに)ほぼ無敵だし、体術の腕もかなりなもの。
しかしそれが今、相手が痩せっぽちの中年女だというのに押されている。
電磁ムチの攻撃を最小限の動きでかわし、狙い定めて銃を撃つ。ドロリス・ナージャの動きにはまったくもって無駄がない。
すでに息を切らしつつあるビオラが、次第に壁際へ追い詰められていく。
(あり得ね~。あのオバちゃん、手練れじゃんよ。
なんで一企業の社長夫人(事実婚)が、傭兵並の実戦訓練積んでやがんだ?)
ジュニア=ナムは驚きを隠せなかった。
「・・・きゃっ!?」
突然、ビオラがよろめいた。
疲弊した足がもつれ、体勢を崩したのだ。この絶好のチャンスを敵が見逃すはずはない。
銃を構えるドロリスが口を歪めて嘲笑した。
(ヤバい!)
ジュニア=ナムは咄嗟にエレベータから飛び出した!
「 ママぁ ~!」
ドロリスがハッと振り返る。ビオラを狙う銃が下ろされ、険悪だった顔つきが甘ったるい笑顔になった。
「まぁ坊や!無事だったのね?
とっても心配したわよ、マイ・ボーイ♡♡♡」
(うわぁ・・・。)
全身の毛が逆立った。
嫌悪感が半端ない。逃げ出したいのを必死で堪え、愛想笑いで「ジュニア」を演じる。
「う、うん大丈夫だよ、ママ♡」
「もう、イケない子ね。意識が戻ったならママに教えてくれないと。
それに、勝手にママから離れちゃ めっ♡ でしょ? いったいどこに行ってたの?」
「(ひいぃ、キモ!)ゴメンねママ。
助けを呼ぼうと思ってエレベータで1階まで行ってたんだ。誰もいなくて戻って来たけど。」
「1階へ? それじゃアナタ、ザードを見なかった?
あの人もいなくなっちゃったの。」
「えっ?あー、み、見てない、かな?」
実際、ザードの姿は見ていない。
ジュニア=ナムが地下へ向かうエレベータの前に駆け付けた時、かご室は1階で止っている状態ですぐに乗込む事ができた。ザードが逃走した後だったのだろう。その行方が気になるが、今はそれどころじゃない。
ドロリスにはジュニアのオフィスで対峙した時、変装を看破されている。
また見破られると厄介だ。騙し通すのは無理だとしても、この場を凌ぐまではなんとか気づかずにいて欲しい。
「そ、そーだママ!
あの扉の向こうへ行っちゃったかも知れないよ?
もしかして、だぶん・・・。」
特に深い考えも無い口から出任せの一言だった。
しかしドロリスの顔色がサッと変わる。彼女は忌々しげに舌打ちした。
「そういえば一緒にくっついて来たネーロのチンピラ2匹もいないわね。
厄介だわ!ステイシアの小娘はともかく、アレ をアイツらに嗅ぎつけられると面倒なことになる!」
(・・・アレ、とな?)
聞き捨てならない言葉である。
ジュニア=ナムはさり気なくカマをかけた。
「え~、いいじゃんそんなの~。早くお家に帰ろ~よ、ママぁ~。」
「ごめんね、マイ・エンジェル♡
アレだけは連中にバレるわけにはいかないの。」
あえて撤収を促す発言をすると、案の定「アレ」について話し出した。
ドロリスの口元がいびつに歪む。
負の感情しか持ち合わせていない、まさに悪女の笑みだった。
「せめて 買い手 がつくまでは秘密にしておかないと。マフィアなんかに気取られたら、なんのちょっかい出されるかわかったものじゃないわ!
そうそうマイ・ボーイ。貴方、アレに名前付けたがってたわね。
いい 商品名 を思い付いたら、ママに教えてちょうだいね。わかった?ハニー♡」
「・・・わかったよ。ママ・・・。」
ジュニア=ナムはうなづいた。
ドロリスは「アレ」を商品だと言った。
この場所で造られた、まだ名前の無い商品。これはある恐ろしい事実を言い表している。
キメラ獣の新規開発・製造である。
「大戦」最中に生物兵器として生み出されたコンバット・ベアー等の既存種。その製造・売買でさえ問答無用で土星強制収容所送りになる事案。
ましてや、新たな「種」を生み出したとなると・・・。
(こんなの世間にバレちまったら、アントニオ社長が破滅するだけじゃ済まねぇし!
企業そのものが太陽系中からヤバい思想のテロ組織扱いだ。ジョボレットは完全に終わっちまう!
夫婦ゲンカでここまでするか? マジイカれてンな、このオバちゃん!)
ここまでやっちゃう要因は、いったい何だというのだろう???
ジュニア=ナムはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「それじゃ坊や。
ママ、ちょっとこの先に言ってみるわね。」
慄く偽息子の心情をよそに、母は再び銃を構えてビオラの胸元をピタリと狙う。
「でもその前に。
このアバズレをどうしようかしらね?
ここで息の根止めてもいいけど、死体の始末が面倒ね。
ネーロのチンピラ共に始末させようかしら?見た目だけはお綺麗だもの、喜んで請負ってくれるでしょうよ。」
「あっ、じゃあ、縛っておくよママ!」
ジュニア=ナムは自分がしていたネクタイを解いた。
「それから、この先には俺も行くよ!
ママの事が心配なんだ。何かあったら大変だし。ね?ね?ね!?♡」
「あらあら、坊やったら。」
息子(偽)の必死の懇願に、ドロリスが呆れたような吐息をついた。
「そんな事言って!ママはちゃぁんとお見通しよ♡
一緒に来たがる狙いは ステイシア でしょ?
貴方、ずっと前からあの娘を玩具にしたがってたものねぇ。」
「え?は、ははは。バレた?(うっわ、ゲス過ぎる!)」
「仕方ない子!でもまぁいいわ。始末する前に遊ぶくらいは許してあげる。
でもその女はダメよ!
ブラジャーのサイズで玩具を選んじゃダメって、ママ、いつも言ってるでしょ?」
「ヤ、ヤダなぁママ。こんな見た目だけの女なんて要らないよぉ♡
(何ちゅー会話だ、コレ。)」
「わかればよろしい。いい子ね、マイ・ボーイ♡」
「・・・。(サイテーだなコイツら。)」
嫌悪感で吐き気がした。
それでも必死に笑顔を作り、ジュニア=ナムはビオラ傍らに跪く。
彼女の両手を後ろ手に、すぐ解けるよう緩めに縛る。
おとなしく縛られるビオラが前を向いたまま、小声で悪態付いてきた。
(誰が「見た目だけ」ですって?!アンタ、後で覚えてなさいよ!)
(助けてやったんだろーが。文句言うなっつの!
それより俺達がこの先に進んだ後の事、ヨロシク。
1階と25階でうろついてるルーキー2匹、拾ってモカと合流してくれ!)
(2匹? 1匹どーしたのよ?)
(シンディがミッション離脱。また1人で勝手に行動してる。
他にも離脱者がいてね、今、カルメン姐さんがとっ捕まえに行ってんだ。)
(まったく何やってんだか!)
(俺は陰険ババァにくっついてってロディとお嬢様回収する。
頼んだぜ姐さん!)
(わかった。ムリすんじゃないわよ!)
ビオラが小さく頷くのを見届け、ジュニア=ナムは立ち上がった。
「ママ、できたよぉ~♡」
「上出来よ♡ さぁ行きましょう。」
まだ変装がバレてない。偽の息子に甘ったる~く微笑みかけて、ドロリスが扉の脇に立つ。
ジャケットの内ポケットから カードキー を取り出すと、素早くリーダーにそれを通す。
暗証番号の入力はない。扉はすぐに左右に開いた。
「くれぐれもママから離れちゃダメよ?
大事な貴方に何かあったら大変だから。いいわね、マイ・ディア♡♡♡」
「は~い、ママ♡(・・・ひぃ~。)」
正直、メチャクチャ気色悪い。
舎弟の命が掛っていなけりゃ、関わり合いたくない相手。
糖尿病誘発系毒母親に付いていく、ジュニア=ナムの足取りは重かった。




