死の渓谷に響くのは
恐怖で声がでない。
フェイはガタガタと震えながら、窓まで黒く塗装された車の後部座席にうずくまっていた。
両隣と運転席・助手席には、アーミースーツを来た男達。フェイには彼らが何者かはわかっていた。
(殺し屋だ。あの日僕を誘拐して海に突き落として殺そうとした奴らの仲間に違いない。
僕がまだ生きてるって、血縁者達にバレたんだ!)
極度の緊張と恐怖の隙間から、ふっと哀しみがこみ上げる。
(・・・僕は生きてちゃいけないんだろうか?)
フェイはその哀しみの感情にすがった。
その方が気が狂いそうな今の現状に怯えるよりも、ずっと楽だった。
父親である財閥の総帥には、一度もあったこと無い。
母はフェイを身籠もった途端に会えなくなったと言っていた。多分、母子一緒に見限られたのだろう。
普段の母はとても優しい人だったが、たまに深酒した時には邪険にされた。
「お前さえ出来なかったら、あの人と一緒に居られたのに・・・!」
酔いどれた母がこの一言をつぶやいたのはフェイがまだ6歳の時だ。
それ以来、心の底ではいつも黒く冷たい何かがわだかまっていた。
自分は、いらない子。そんな思いが幼いフェイを苦しめた。
それを証明するかのように、殺し屋が現れた。
一度し損じたのに追いかけてきてまで自分を殺そうとしている人がいる。その事実がフェイを絶望に突き落とす。
血縁者達から疎まれているのは漠然と知っていたが、死まで望まれているなんて・・・!
「着いたぞ、坊主。」
意外にも優しい声を掛けられ、我に返ると車は止まっていた。
漆黒の闇の中、車のヘッドライトがフェイに見せたのは深い渓谷だった。
強風の轟音が不気味にこだまし、あちこちに白骨化したキメラ獣の死体が転がり、草1本生えていない。
再び恐怖に捕らわれたフェイの頭を、車で左隣に座っていた眉毛のない強面の男が撫でた。
「お前も不憫なヤツだな。別の親にでも生まれてりゃ長生きできたってのに。
・・・ほれ、行け。」
「・・・えっ?」
「行くんだよ。逃がしてやるから。さぁ。」
フェイは困惑した。ごつい顔立ちの割には優しい目をした男の意図が掴みかねる。
逃がしてやるって言われても、ここは荒野の渓谷だ。そんな所に置いて行かれたってどうしようもないじゃないか!
「ひゃひゃひゃ、エゲツねぇなぁ!」
右隣に座っていたパンクヘアーの男が下品に笑っい、グイっとフェイに顔を近づけてきた。
「ここで遭難して死ねっていってんだよ!
ひと思いにその崖から飛び降りるのもよし、キメラ獣に出くわして喰われるのも良し。運が良けりゃ1日くらいは生きていられるぜ!
金持ちの嫁はおっかねぇ、愛人のガキってのがよっぽど憎たらしいんだな!
『一番苦しむやり方で殺せ』だとよ、あぁエゲツねぇ!」
「よせ、可哀想だろう!」
「何だよ、海で溺死が失敗したからってここに捨てるの思いついたのお前だろ?」
「直に砂嵐が来る。巻き込まれると一環の終わりだ。そんなに苦しまずにあの世に逝ける。
依頼人には荒野で飢えて死んだ、と伝えておこう。」
眉無しの男は銃を抜き、フェイに銃口を向けてトリガーを引いた。銃声が渓谷に響き、フェイの足下地面がはじけ飛ぶ。
「行け!!」
フェイは一瞬、引きつった様に硬直したが、耐えがたい恐怖に混乱して逃げ出した!
「何が可哀想に、だよ。」
パンクヘアーの男も自分の銃を抜いた。
「おい、子供を撃つ気か?」
「砂嵐の中で窒息させるくらいなら、ひと思いに殺っちまうほうが優しさってもんだ。」
そういう男の表情には優しさなど欠片もない。
むしろ逃げ惑う小動物を仕留めようとするハンターの残忍さがあった。
暗視スコープをかけると、強風に煽られながら逃げていくフェイの小さな背中が見える。
パンクヘアーの男は舌なめずりしながら狙いを定めた。
フェイは走った。
前に伸ばした自分の手さえ見えない闇の中では、進んでるのか止まってるのかさえ分からない。それでも必死で走った。
怖いよ、死にたくないよ!!助けて、誰か助けて!!
叫ぶ自分の声さえ風の轟音で聞こえないのに、銃声だけは何故かはっきりと聞こえた。
自分を狙った銃声は3発。撃たれた、と思ったのと同時に、踏み出した足に地面の感触がなくなった。
何かに引きずり込まれるように、下へと身体が沈み込む。
・・・落ちる!? フェイは固く目を閉じた。
しかし次の瞬間、フェイの身体は何か強い力に捕まってグン、と上へひっぱられた。
「生き様とくたばり方は、てめぇで決めろ。」
強い光を感じた。
目を閉じていても眩しい、と感じるほどの強力な光を浴びせられた感覚に、驚いて目を開ける。
「ゲスに小銭で飼われるクズに、決めさせてんじゃ無ぇ。」
な、何が起こってるの?! フェイは混乱した。
かなり広い範囲がまるで強力な投光器で照らしたように明るい。
風の音に混じって甲高いエンジン音が聞こえる。この音は聞いた事がある。フェイは空を仰いだ。
上空にオンボロで旧式の輸送機が停滞していて、渓谷に強烈な光を投げかけていた。
自分からあまり離れていない場所に、車とアーミースーツの男達がいた。
激しく狼狽する眉無しの男の横で、パンクヘアーの男が右手を押えて仰け反り絶叫している。その右手が血まみれで原形を留めてないのまではっきりと見えた。
「このど畜生があぁぁ!!!!」
風の音にも輸送機のエンジン音にも負けない怒声が轟き、パンクヘアーの男が吹っ飛んだ。
顔面にまともに入った強烈な蹴り。男は地面を無様に転がり動かなくなった。
怒り狂ったナムの怒濤の攻撃は、プロの殺し屋達の不意を突き、見事に瞬殺した。
これを見た運転手が悲鳴を上げて車に乗り込み逃走を計る。しかし立ちふさがった「義腕の巨人」が振り下ろす一撃に車は粉砕、走行不能となった。
「フェイ!無事か!?」
カルメンが4輪自動車よりも速い反重力起動のエアカーの運転席から飛び出した。
「良かった、間に合ったか!・・・局長、ありがとうございます!!」
ようやく状況を理解したフェイは、意識がぶっ飛びそうになった。
局長・リュイが、自分を肩に担いでいる!?何コレ、いったいどういう事!!?
『フェイっち、危ないとこだったね~。もうちょっとで落っこっちゃうトコだったよ~。』
輸送機からアイザックの声がした。
「えっ!?」
下を見てみると、自分を担ぐリュイのすぐ背後は底が見えないほど深い断崖だった。
驚いて思わずリュイの肩口にしがみついたフェイは、「あっ!?」と声を上げた。
リュイが着ているサバイバルジャケットには、3つ穴が開いていた。
「局長!撃たれたんですか!?」
カルメンが血相を変えて駆け寄ってくる。
リュイは答えない。
しがみつくフェイを自分から引っぺがすと、パンクヘアーの男を狙撃した改造ショットガンと一緒にポイッとカルメンに投げ渡した。
「撤収」
『りょ~か~い。着陸しま~す。
でも局長ぉ、今度飛び降りる時はハイバックジェット機装着してくださいね~。』
リュイは無言で歩き出す。その時それぞれの通信機が鳴った。
『Call。ミッションコード:1D、完了しました。』
通信機の向こうから、モカがミッションの完了を告げる。
『ミッションコンプリート、コングラチュレーション!』
リュイは返礼しない代わりに、しつこく殺し屋達をどつき回しているナムの方へと歩み寄り、聞くに堪えない悪態を喚き続ける彼を拳一発で黙らせた。




