慈母は最愛の人と共に
ピピッ!
耳元で鳴った微かな電子音。ナムは毛布を蹴り上げ飛び起きた。
『辛かったり苦しかったりした時は俺の事、呼んでくれ。いつでもいいからさ。』
そう言って、エリア6の騒動後モカと約束した。だからピアスの通信機は絶対外さない。就寝時でも付けたままだ。
そのピアスが真夜中に鳴ったのだ。
リュイから借りっぱなしのフィールドジャケットをひっつかみ、裸足で部屋を飛び出した。
ピアスの通信機に触れ回線を開くと聞こえてきたのは、モカの嗚咽。
寒々と静まり返った暗い廊下を走る足によりいっそう力が入った。
「大丈夫か?!屋上に出る踊り場に居るんだろ?今行くからな!」
『・・・ナム、君・・・。』
呼びかけに答える声が弱々しい。
全速力で廊下を突っ切り、屋上へ向かう階段下までたどり着いた。
塗装の剥げた手すりを掴み、コンクリートむき出しの階段に1歩足を掛けた時。
消え入りそうなモカの声が、ある悲報を伝えてきた。
『・・・マロリーさん・・・死んじゃった・・・。
さっき・・・エーコ先生から、連絡、あって・・・。』
階段に掛けた足が止まる。
思考も凍り付きかけた。いろんな感情がこみ上げ混ざり、混乱し始める頭を激しく振ってなんとか自分を奮い立たせる。
(モカ・・・!)
ナムは階段を一足飛びに駆け上がった。
素足に伝わってくるはずのコンクリートの冷たさは、まったく感じなくなっていた。
眠るように息を引き取ったという。
ナム達がトーキョー大学医学部付属病院で細菌テロ騒動に巻き込まれた日から、5日後の事だった。
ミセス・マロリー・カタオカは、駆け付けた大勢の家族に看取られ、静かにこの世を去った。
彼女は「草葉の陰」にいるという、最愛の夫に会えただろうか?
どうかこれからは、いつまでも2人一緒でいて欲しい。
誰もがそう願ってやまなかった。
局長室ではリュイが1人、部屋の明かりを付けようともせずソファにじっと座っていた。
手にしているのはコーヒーのマグカップではなく、琥珀色の液体が注がれたロックグラス。テーブルには封を切ったばかりのブランデーボトルが置かれている。
もう一つ、ボトルの横に転がっている物がある。
小さな円盤型の金属片。大量の情報が詰まったディスク・プレートである。
地球連邦政府軍地球エリア統括指令・ニシダ・ミッターブロウがこのディスク・プレートを持参して突然基地に現れたのは、マロリー夫人を最後に見舞った日の前日だった。
彼の話を聞く気になったのは、立場上は上官であるシャーロットの口添えがあったからだ。エメルヒの副官シャーロットと連邦政府軍大将であるこの男の繋がりに、多少なりとも興味があった。
ただ、それだけ。リュイにとってはほんの気まぐれに過ぎなかった。
しかし、ニシダは違った。
あの日、彼はこう言った。
局長室のソファでリュイと向き合い、目の前のテーブルにディスク・プレートを置いて。
『今日、ここに持参したのは貴方がアーバイン合衆国で回収したディスク・プレートの複製です。
内容はもうご存じでしょう。そうですね?ミスター・リュイ。
ならば、この太陽系で今、いったい何が起こっているかもご存じのはずだ!
貴方が率いる部隊の実力はミズ・シャーロットから聞いている。
彼女は絶対的な信頼を持って貴方を私に推した。だから私も貴方を信頼する!
我々に力を貸してください。ミスター・リュイ!
次の『大戦』を阻止するためにも、我々の志に『共闘』していただきたい!
これは「遺産」を狙う者達から狙われ続ける、ミス・モカを救うためでもあるのです!!!』
揺るぎない信念を秘めたニシダの言葉が、マロリー夫人の最後の言葉と重なった。
『・・・生きなさい、リュイ!
貴方には・・・あの子達が居るわ・・・!!!』
リュイはグラスを煽り、ブランデーを一気に飲み干した。
(『共闘』は、しない。だが・・・。)
闇を見据えるリュイの顔には、いびつな微笑が浮かんでいた。
基地3階、屋上へ出る踊り場前は、雑多な物が置き散らかされ壮絶な有様になっている。
積み上げられたガラクタの隙間に座り、ナムはじっと虚空を睨んでいた。
泣きじゃくるモカの声が夜の静けさに哀しく響く。フィールドジャケットで包んだ体が腕の中で震えるたびに、マロリー夫人があの日流した慈愛の涙を思い出す。
恋人を抱くこの手に残る涙の熱さと、あの言葉。
それが心を強く締め付け、激しい後悔に打ちのめされた。
『知ってる・・・知っているのね?!
知ってて、あの娘を好きでいてくれるのね!?
何もかもわかってる上で、あの娘の側に居てくれているのね・・・!!?』
なぜ、はっきり「そうだ」と言えなかったのだろう?
あの時、突然泣き出したマロリー夫人に驚くあまり言葉を失い狼狽えた。
その後エーコとダミアンが現れ、テロ騒動でそれどころじゃなくなった。
ずっと前から、とっくの昔に想いは決まっていたはずなのに。
誰に言われるまでもなく!
(俺は、知ってる。
知ってて、モカが好きなんだ!
何もかもわかってる上で、モカの一番側に居たいんだ!!!)
強くなりたい。
心から、そう思った。
独裁者の遺産。
そんな物のために傷つき苦しみ、一生狙われ続けるモカを、守り通せるほど、強く・・・!!!
『ありがとう、タッカーさん!
本当に、ありがとう・・・!!!』
マロリー夫人の声が聞こえた。
気のせいなんかじゃ、ない。
そう信じたかった。
この章、終了です。
次回から新章になります。
有り難うございました!!!




