戦場へ向かう女
セルヒオ・アルバーロ、47歳。
火星に本拠地を置く民間のバイオテクノロジー研究所の研究員で、役職はサブマネージャー。
小惑星帯エリアの小国出身で、3流の国立大学教育学部をスレスレのラインで卒業。幾つかの職を転々と渡り歩いた後、知人のツテで今の職に就いたのが10年前。
社内の評価は低く、いなくても特に困る事はない影の薄い存在。瘦せ型で頭のてっぺんからハゲ散らかすタイプの平々凡々な小男である。
ミッション始動と同時に渡されたターゲット情報を頭の中で反芻しながら、ナムはこの冴えない男の様子を伺う。
火星主要都市マルス郊外の工業地帯にあるバイオテクノロジー研究所。現在、ターゲットのオフィスを臨む棟の屋上に身を潜めて監視中。
今回のミッションは産業スパイの疑いがあるターゲットの動向調査。
なるほど1D(民間企業でのごく簡単な諜報)である。
ほんの数日監視して、怪しい動きがなければそれで終了。ターゲットが怪しげな動きを見せればサクッと報告、それだけでコンプリートする単純な仕事だった。
こいつらさえ、いなければ。
「うっわースゲぇ!ケータイ電話から立体映像がでた!」
「カッコいいね!僕こんなの欲しいな~!」
「アンタ達、そんなのどうでもいいでしょ!
ちゃんと見張りしなさいよ!」
「なぁなぁ、コイツ、うるさくね?」
「•••すぐ怒るオカン、みたいだね。」
「何ですってぇぇぇ!!」
ルーキー達がひたすらうるさい。
タブレット端末渡してターゲット情報読ませておけば静かになるかと思ったら大間違い。一瞬たりとも黙っていてくれなかった。
(何が1Dだ、厄介すぎンだろこれ!?)
ナムは痛んできた頭をガリガリ掻きむしった。
指揮官にされただけでも驚いた。通常ならカルメンの役割である。ナムが任された事は一度もない。
しかもルーキー達を「連れて行け」と言われるとも思ってなかった。諜報活動の概要は一応説明してあるが、聞くのと実行するのとはまったく違う。素人が簡単にやってのけれるワケがない。
しかも全員まだ子供。騒ぐ、はしゃぐ、ケンカする。少しもジッとしないから、本来やるべき作業の方にちっとも集中できずにいる。
せめて3人一緒じゃなければ多少は楽なはずなのだが、ロディにサクッと逃げられた。彼は今、ナム達とは別棟で、1人優雅ターゲットを監視している。
ピピッ!
微かな電子音が聞こえた。
ナムの通信機はシルバー製のペンダント。お気に入りの一点物をロディに改造してもらった逸品だった。
「ほっかむりしたガイコツがカボチャ抱えてランニング•マンしてるペンダント•トップなんて、どこで買ったの?それ。」
『追加情報入手しました。転送します。』
「りょーかい、よろしく。現在ダーゲットはエア残業中。」
マヌケな顔の般若が白目剥いてるデザインの腕時計をチラ見してナムが応答する。
時刻は地球時間で夕方の6時過ぎ。この研究所の定時時間はとっくに終わっている。
ターゲットはナム達がいる棟の真正面の別棟、窓際の席にいる。見る限りぼんやりPC画面眺めてるだけで働いてる様子は全くない。
『・・・ナム君、ダイジョブ?』
「全然ダイジョブじゃない。かなりしんどい。ヘルプ。」
『ほっときな、モカ!』
モカとの通信にカルメンの冷たい声が割り込んできた。
『誰かさんの所為であたしらが味わってる苦労と同じだ。
反省を促すいいチャンスだって局長もおっしゃってる。甘やかさないの!』
「うっさい野蛮女!!
今回のターゲットがショボいオッサンだからって蜂蜜女とバックレやがって、覚えてろ!!!」
「蜂蜜女って誰?」
喚くナムの横でコンポンが聞いた。
『・・・ビオラ姐さんだよ。』
ロディが通信に割り込む。
『ナムさん、声でかいッスよ。全然隠密になってないッス。』
「てめ、ロディ!お前もサクッとこいつらまとめて押しつけやがって!!!」
『あと、ターゲット移動開始ッス。』
「ぅおっと!?」
慌ててスコープを覗くと、ターゲットは薄くなった頭をこっちに向けて席を立つ所だった。
手荷物を持っている。退社だ。
「ロディ、『ビー』出せるか?」
『抜かりないッス!』
「ビー」とは、スパイ・ピー、ロディ制作の蜂型スパイカメラである。
この超小型&超高性能な飛行カメラは、ターゲットをどこまででも追跡する。
「スパイ・ビー!?何それ、かっこよさそう!!」
好奇心全開でまとわりつくコンポンをヘッドロックで押さえ込み、ナムはスコープで別当から小型のカメラが3機飛び立つのを見送った。
ターゲットの追加情報は、今勤務しているバイオテクノロジー研究所に入社出来た経緯についてだった。
セルヒオ・アルバーロは10年前に中途採用試験を受けて合格した、と調べがついている。
しかしこの企業は地球連邦政府の信頼厚い優良企業で、限られた者しか採用しない。
研究員は超有名大学の大学院を出た者ばかりだし、事務業務に携わる者でも幹部役員の出身校卒者。中途採用でもそうとうのコネがなければ入り込めない。
セルヒオ・アルバーロは「大戦」で両親・妻子を亡くした天涯孤独の男で、こんな一流企業に拾ってもらえるツテもコネもあり得ないし、見当たらない。
「採用時に彼を推したのは当時の人事部長。その後この部長は自主退職してますね。」
「こんなオッサンが産業スパイはないだろって思ったけど、これじゃ怪しまれて当然だね。
金回りもいいんだろ?」
今回のミッションでのバックヤード基地は、ターゲットのいる会社から近いコインパーキングに止めた小ぶりなキャンピングカー。後部座席でノートPCを膝に乗せデータを眺めるモカの後ろから、カルメンが覗きこんできた。
「いいですね。先週新車をキャッシュで買ってます。」
「貧乏人ほど大金持っちゃうとテンパって散財するね。ヤダヤダ小者は。」
「どこ行くんですか?」
振り向くと、カルメンが愛銃を点検しているところだった。
「リグナムのお守りよ。
あいつの頭はまだルーキーちゃん達とどっこいだからね。誰かが見てやらないと。」
モカは苦笑した。なんのかんの言ってカルメンはナムの面倒をよく見ている。
口は悪いし顔を合わせればケンカばかりでも、常に心配し可愛がっているのはみんなが知っていた。
(でも、一番ナム君をを心配しているのは・・・。)
「様子を見たらすぐに帰るわ。あんたはここで待ってて。
まったくもう、手の掛かるヤツを舎弟にされたら、苦労が尽きないモノなのよ。」
そう言いながらカルメンは装備を整える。
ホルスターは特注ダブルのショルダータイプ、利き手側に45口径、反対側に38口径、どちらもオートマチックなごっつい短銃。
背中にソードオフ・ショットガンを背負い、腰のベルトに予備弾倉をビッシリぶら下げる。
ウエストポーチにグレネード式手榴弾を詰め込み、ブーツの踵側にコンバットナイフを鞘ごとIN。
最後に羽織ったカーキ色のジャケット内側には電磁銃が大小3つ・・・。
・・・戦争でも、しに行くのかな・・・?
「じゃ、行ってくるわ!!」
元気にキャンピングカーから出て行ったカルメンを、モカは複雑な思いで見送った。




