顔は父似で中身は母似
ダミアンの呼吸が安定した。
涙が張り裂けそうだった心を癒やしたのだ。ダミアンの口から細く長く震えるような吐息が漏れ、強ばっていた体がゆっくりと弛緩した。
泣き腫らした目で静かに天井を見つめる彼は、まだ苦しげではあるが幾分和らいだ表情をしていた。
「さぁ、これから大事な事を言いますよ。苦しいでしょうけどしっかりお聞きなさい。」
ずっと頭をなで続けていたマロリー夫人が、少しだけ厳しい口調になった。
しかし、ダミアンを見下ろす眼差しはどこまでも優しく、穏やかだった。
「恨む気持ちはわかります。貴方やお母様を不幸にした人達を殺したいと思う憎しみも。
でもね、貴方がしようとしていた事は、貴方が味わった哀しみや苦しみを他の人達に与える事に過ぎないの。誰も幸せにならないわ。もちろん、貴方自身もね。
バイ菌を撒く装置をどこに仕掛けたの?どこに幾つ仕掛けたのかを、私に教えてちょうだい。
敵と同じ類いの人はみんな殺してしまうだなんて、そんなの戦争をする人達と同じだわ。
どうかお願い。お願いだから、貴方はそんな人達みたいにはならないでちょうだい!
大丈夫、今ならまだ間に合うわ!まだ装置を止める事ができるはずよ!
貴方は罪を犯さずに済むの。きっときっと、大丈夫ですとも!!!」
か細い両手がダミアンの手をしっかり握る。
祈りにも似た必死の呼びかけに、ダミアンは静かに目を閉じた。
(・・・ダメか・・・。)
苛立たしく舌打ちするアイザックの耳に、マロリー夫人の急かすような声が届く。
「・・・え?なぁに?なんて言ったの?」
アイザックは横たわるダミアンに飛びつき、酸素吸引器に覆われた口元に体を屈めて耳を寄せた!
「エントランスの植木に1・・・。
2階・・・談話室、マガジンラックに1。
3階ナースステーション前・・・ベンチ座席裏2。
共有スペースは仕掛けてない・・・妙なガキに邪魔されて・・・。
外来の待合場に、3・・・。
中庭・・・遊歩道・・・ベンチに2・・・花壇に1・・・。」
「お散歩コース」と見事に一致。
すぐに飛び起きズボンの尻ポケットからモバイル携帯を引っ張り出す。
設置場所と個数をナム達に伝え、マロリー夫人をここに残して自分も捜索に向かうつもりだった。
しかし電話を掛けようとした時、急に集中治療室の外が騒がしくなった。
開きっぱなしの入口から、救急隊員を従えた男達が足取り荒く踏み入ってきた。
制服は着てなくてもすぐに警察官だとわかる。私服の刑事達だ。
「ここは集中治療室よ!誰の許可を得て勝手に入ってきてるの?!」
男達の前に両手を広げたエーコが立ちはだかる。
集団の先頭にいた年かさの男がちょっと眉を潜めたが、ジャケットからいわゆる「警察手帳」を出して見せ、高圧的に命令した。
「失礼。その男を連行します。退いてください。」
「この患者はさっきまで死にかけてたのよ!容体も安定したばかり、今動かすのは危険よ!」
「病院当局の許可は出ている。その男はテロリストだ、身柄はこちらで預からせてもらう!」
私服警察官達がダミアンのベッドに近づこうと歩き出す。
マロリー夫人がダミアンの頭を抱き寄せた。
怯えるテロリストを守る慈母を、アイザックは背中に庇って腰のベルトに手を当てた。
ベルトにはモカを脅した電磁銃が挟まっている。
アイザックは銃のグリップを握り、セーフティを解除した。
パァン!!!
緊迫した空気をつんざいて、乾いた音が轟いた!
銃声ではない。痛烈な平手打ちが炸裂した小気味のいい打撃音!
アイザックは目を剥いて固まった。
手形に腫れる頬を押さえてオッサン警察官が放心する。
他の私服警察官達も度肝を抜かれ、仁王立ちのエーコを唖然と眺めた。
そんな彼らにエーコはニンマリ笑って見せる。
ふてぶてしく、狡猾に!
「夏ですわねぇ。蚊が止まってましたわよ♪
無駄に血の気が多いと害虫に刺されやすいものですわ。加齢臭に汗が混じって鼻が曲がりそーなほど香しい親父だと特に!
さっきも言いましたけど、ここは集中治療室ですの。たとえ極微量でも雑菌・害虫の類いは侵入を許すわけにはいきませんわ。
いったい何日風呂に入ってないんだか存じませんけど、無駄にデカイずう体で飼っていらっしゃる、 白癬菌 だの ビゼンダニ だの クラミジア だの スピロヘータ だの(全てよろしからざる病気の元)を、わざわざ持ち込まないでいただけます?
あらやだ、足が滑ったわ! ごめんなさぁい♡♪!」
一気にそうまくし立てると、エーコはタイトなスカートをたくし上げた。
ドカッッッ!!!
ドクターシューズの右足がオッサン警察官の腹を襲う!
不意打ちくらったオッサン警察官は目を剥いて吹っ飛び、後ろにいた警察官と救急隊員達に激突する。
集中治療室から勢いよく押し出された男達が折り重なって廊下に倒れ、入口扉は閉められた。
一昨日来やがれ!と言わんばかりの乱暴な閉め方だった。
入口扉を施錠したエーコは、その場にへなへなとへたり込んだ。
アイザックが手を差し伸べ助け起こす。
「やるねぇ、ドクター!」
「・・・リグナムのマネをしただけよ。」
「そうかい?さすが親子って感じだったよん?」
「この場合、喜んでいいのかしらね?」
苦笑するエーコを立ち上がらせた時、背後でマロリー夫人の声がした。
「ハッカーさん、ダミアンさんがまだ何か話したがってるようなんだけど・・・。」
エーコと2人で慌ててとって返し、ベッドに横たわるダミアンをのぞき込む。
切羽詰まったような表情に嫌な予感を覚えた。
「まさか、まだ他にも仕掛けちゃったりしてんのかな?」
問いかけの言葉にダミアンは小刻みに頷いた。必死で口をパクパクさせる。
耳を寄せると、思った以上に最悪の答えが返ってきた。
「・・・屋上・・・ヘリポート・・・。」
アイザックは戦慄した。
ほんの小一時間前までいた場所だ。あのドクターヘリのヘリポートに殺人細菌が仕込まれてるなど思いも寄らなかった。
この病院中で一番高い場所にあるヘリポートは遮る物が何もない。強い日差しもガンガン照りつけコンクリートが火傷するほど熱かった。
日差しだけじゃない。風にだって吹きさらしだった。
もし、あの風に乗って殺人細菌が病院中にばら撒かれたりした時には・・・!?
「いやいやいや、冗談じゃねぇぞ!リグナム!おいリグナム、聞こえるか?!」
アイザックはモバイル携帯に向かって喚いた。
いつものふざけた口調ではない。
本当にヤバいと言う事だ。




