旧式トイレでの攻防
太陽系第4惑星・火星。
地球人類が宇宙開拓に乗り出した500年前から始まった「マーズ・プロジェクト」によるテラ・フォーミングは完璧といえ、今では主要都市「マルス」の近郊に広がる広大な森林が新鮮な酸素を供給し、移住した人々の暮らしを支える。
治安は比較的良好だが、人口は少なく主要都市「マルス」を中心に約100万人ほど。
マルス近郊以外はほとんど手つかずのままで、火星特有の荒涼とした荒野が広がっている。
ナムが属するリュイの部隊が拠点とする基地は、その荒野のほぼ真ん中にある。
赤茶色の巨岩が連なったちょっとした崖下に、はまり込む形で建てられた鉄筋コンクリート無骨な建屋。元は開拓請負会社の従業員が寝泊まりしていた拠点だったらしい。開拓計画が頓挫し廃屋になっていたものを勝手に改築・入居してねぐらにしている。
岩陰で外部から見つかりにくいのに日当たりが良く、建屋の前にはひび割れて砂だらけだが航空機の着床ポートがある。基地にするにはうってつけの掘り出し物件だった。
その基地の1階にあるトイレ。
幾つかの個室と男性用の便器が並ぶ、よく言えばレトロ、悪く言えばボロくて古くさいトイレを掃除するのがナムのここ1ヶ月ほどの日課である。
「面倒くせーなー、もー!
こんな旧式のトイレ、いくら磨いたって綺麗になるわけないじゃんよ!サクッと作り直そうぜサクッと!!」
「バカ言わないでくださいよナムさん。」
床のタイルに水を蒔いてデッキブラシでこするナムの愚痴に、ロディが便器を磨きながら反論する。
兄貴分の「罰則」に付き合い手伝う彼は相当のお人好しと言えた。
「お前天才じゃん。作れるだろ?トイレくらい。」
「嫌ッスよ。トイレなんか作ったって面白くないッスもん。」
「ちょっと。止めときなさいよあんた達。」 気が付くとカルメンとビオラがトイレの入り口に立ってニヤニヤ笑っていた。
「ロディに任せてたら雑誌ぶち抜く威力があるウォシュレットとか、座ったらブツが出るまで拘束して放さない便座とか、トイレットペーパーの代わりに100度を超える熱風の超高速乾燥機とか、おかしなモン取付けられそう。そんなのゴメンだわ!」
「そぉそ。お前、この間こいつがシャワー室のシャワーで何やらかしたか忘れたのか?」
つい先日、モカが「シャワーの出が悪い」と言ったのを聞いたロディがこっそりシャワーを改造した結果、バルブを捻るなりシャワーからジェット噴射した水にマックスが全裸で吹っ飛ばされるという事件があったばかりである。
「やだなぁ、カルメンさん、ビオラさん。
この間のオチャメは忘れてくださいよ。次はもっとすごいの造って・・・。」
「いや、やめろって言ってんのよ!!」
「トイレは改造必要無し!
今は毎日お掃除に励む清掃員がいるんだからね。せいぜい頑張ってもらわなきゃな。
おいロディ、あんまりこいつ甘やかすなよ!」
「うっさいわ!邪魔するんだったらどっか行け!!」
「見張ってんだよ!
碌なことしないから目ぇ放すなって、局長にも言われてんだ!ブツクサ言ってないで働け!!」
カルメンは局長・リュイの命令には絶対に逆らわない。どんなくだらない事でも喜んで従う。
まして小生意気なこの弟分、ナムを可愛がる命令ならなおのこと、だ。
「どいつもこいつも局長局長って!!絶対零度の冷血暴君にいちいち尻尾振りやがって!!!」
喚くナムにロディが真っ青になった。つなぎのポケットから盗聴盗撮器カウンターを引っ張り出す。
「4個有るッス・・・。」
「げ!?」
カルメンの吊り下げ式ピアス型の通信機(ロディ作)が鳴った。
応答したカルメンは「判りました」といって通信を切り、意地悪く笑う。
「リグナムお前、便所掃除もう1ヶ月追加な♪」
「・・・あんた、成長しないわね~。」
ビオラもあきれ果てたようにタメ息をつく。
ナムが「ぐぬぬ」とデッキブラシの柄を握りしめてわなないていると、外から甲高い航空機のエンジン音が聞こえてきた。
「ウチの輸送機?どっか行ってたのか?」
「さぁ?何も聞いてないッスけど・・・。」
トイレで4人が訝しんでいると、それぞれの通信機が鳴った。
『Call』
回線を開いた途端、モカの声がした。
『外の着床ポートに出てください。ルーキーの到着です。』
「・・・新人?」 4人は思わず顔を見合わせた。
基地の外に出てみると、2世代前辺りの骨董品、と一目で分かるオンボロな小型輸送用航空機が垂直降下で着陸態勢に入っていた。
その近くにはもうモカが来ている。
「モカ、新人が来るってどゆこと?」
ナムは機体着陸時の風圧に飛ばされそうになっているモカに駆け寄った。
大きなキャスケットをしっかり押さえたモカが、困惑した目で見上げてきた。
「わかんない。さっき、急に局長からそう言われて・・・。」
「またあの冷血暴君の仕業かよ!」
「俺、ナムさんがそんなにトイレ掃除スキだったとは知らなかったッス・・・。」
地響きを立てて輸送機は着陸した。
エンジンが切られるなり、昇降口のハッチがバカッと開き中から何かが飛び出してきた。
「うっわ~、何にもねぇ!何じゃここは!?」
火星の渓谷に元気な子供の声がこだました。
焦げ茶色のボサボサ頭の、痩せた少年が好奇心一杯の黒い目で辺りを見回す。
ボロッちいタンクトップにダブダブのジーンズ姿で、驚いた事に裸足だ。
「あんた、バカじゃないの!?急に出たら危ないじゃない!」
続いて甲高い声がした。
昇降口から顔を出したのは、長い赤毛をツインテールにした少女。
フリルがついたピンクのワンピースを着て、サンダルを履き。なかなか可愛い顔立ちで、身長の割には発育がよく健康的で肉付のいい体格をしている。
ただ、赤み掛かったブラウンの目は少々険が強く、気が強そうな性格をうかがわせた。
「ここ、どこ・・・?ホントに何もない・・・。」
今度は小さな、不安そうな声がした。
恐る恐る昇降口をおり、ボサボサ頭の少年の側に駆け寄ったモンゴロイドの少年。
黒髪を坊ちゃん刈り風に切りそろえた黒い目の少年は、ボサボサ頭の少年とは対照的に白いシャツと折り目の付いた半ズボンをはいて革靴を履いていた。
なんとも個性豊かな子供達を前に、ナム達はポカーンと立ち尽くす。
アイザックが機器類のチェックを済ませコクピットから降りてきた。天才ハッカーであるアイザックは、部隊で航空機の操縦を任されているパイロットでもある。
「飛行機ちゃん、このままエンジン冷やしておいてね~。
ちょっと無理して小惑星帯エリアまで飛んだからさ~。
そんじゃナムっち、その子らよろしく~。」
アイザックはワイヤレス・イヤホンから大音量でアイドルの歌を聴きこぼしながら、すれ違い様にナムの肩をポン、と叩いた。
火星のご当地アイドル「らぶみょん20」(JC・JKで結成された20人のアイドルグループ♡)の「脳内ゴンドロダンス」という歌なのだそうだ。どうでもいい話だが。
「・・・・・・・・・へ?」
急に言われたナムは去って行くアイザックと3人の子供達を交互に眺め混乱した。
この状況がまったく理解できてない。何が何だか判らない。
よろしくったって、一体何をどーしろと?
そもそも、このガキ共、何者なんだ???
「すみません、局長。ご説明願えますか?」
モカがキャスケットからインカム・マイクを引っ張り出して小声で聞いた。
『マックスに聞け。』
冷え冷えとした声でたった一言言い捨てられ、通信はぶち切りされた。
うわぁ、冷血。
その様子を見ていたロディが思わずつぶやいた。心の中で。
彼は兄貴分のようにトイレ掃除が好きなわけではなかった。




