そばにいるから
(着いた・・・!)
モカは人型の岩の足下にへたり込み、しばらく肩で息をしていた。
肺が痛んで息が苦しい。寒さに震える歯がカチカチと鳴った。疲れて目の前がクラクラする。
・・・もう、限界だった。
(ナム君は、まだ来てないみたい・・・。どこかに隠れなきゃ!)
凍える体にむち打って立ち上がった。苦しげに喘ぎながらも辺りをよく見回してみる。
小高い岩山の上にそびえる人型の岩は近くで見ると結構巨大なもので、目印としては最適だった。しかし、岩ばかりが転がる場所では吹き付けてくる風を避ける場所などほとんどない。
また心細くなってきて、左耳のピアスに手が伸びる。
かじかんで震える指が恋人のために作ったピアスに触れた、その時・・・!
パンギョォォォーーー!!!
背後からの、もの凄い雄叫び!
咄嗟に地面を蹴って横に飛び、振り下ろされた強烈な一撃は回避した。
モカが立っていた場所は轟音立てて深くえぐれ、砂塵が風に舞い上がる!
(キメラ獣!?)
モカは岩場を転がり、すぐに飛び起きた。
ワイヤーソードを構え、異形の獣と対峙する。
体長2mの、オオナマケモノ(メガテリウム)型のキメラ獣だ。柔らかい人の皮膚1枚裂くのがやっとのワイヤーソードで太刀打ちできる相手じゃ、ない!
パンギョォォォーーー!!!
大きな口から涎を垂らしたオオナマケモノが、モカ目がけて突進する!
(ナム君!!!)
モカは固く目を閉じた。
「・・・っざけんじゃねぇゴルァーーーーー!!!!!」
オオナマケモノの雄叫びに負けない怒号。
ほぼ同時に入った強烈な蹴りは、オオナマケモノの頭部側面、右のこめかみにヒットした!
よろめく巨体をさらに空中から蹴り倒す。地響き立てて伏した獣の首に、踵をねじ込み頸椎ごとへし折った!
ギョアァーーー!!!
オオナマケモノは絶命した。
普段火星基地で「義腕の巨人」によく襲われる襲撃者にとって、2m越のキメラ獣など敵では、ない。
怒りにまかせて瞬殺したキメラ獣には目もくれず、ナムは踵を返して走った。
ワイヤーソードを構えたまま呆然と立ち尽くす恋人。傷だらけでボロボロだ。その姿に衝撃を受けた。
駆け付け、ジャケットを脱いで小さな肩に掛けてやる。氷のように冷たい体に、ナムは自分を強く呪った。
(全部、俺の所為だ!
俺がタークなんかの罠に掛からなかったら、こんな事にならなかったのに・・・!)
悔悛の念で胸が詰まる。謝罪の言葉言うために口を開いた時だった。
「大丈夫!?ナム君!!!」
紫に変色した恋人の唇から、自分を気遣う言葉が飛び出した。
(いや、あの、それ、俺の台詞じゃね?
どー見ても、キミの方が大丈夫じゃ、ないんですが・・・。)
半ば呆れるナムの様子に何を感じたのか、リュイのジャケットを羽織ったモカが暴走した。
「怪我!怪我してない!?ホントに平気?大丈夫だった?!
タークに捕まったんでしょ?!何かされた!?酷い事されてない!?
私の所為だねゴメンね!ホントに、ホントにゴメン、ゴメンね!!!」
必死で気遣いまくり、ついには謝りだしたモカを、ナムはしばらく呆然と眺めた。
モカらしいと言えば、モカらしい。この娘は自分の事より人の事を心配する。
(でも、今それ違くね?自分が死にかけてたってのに・・・!)
なんだかイライラしてきた。
モカが一生懸命心配してくれればくれるほど、無性にムカつき怒りを覚えた。
「あっ、ここ、血が付いてるよ!」
額にできた擦り傷に伸びるモカの右手を、つい乱暴に掴んで止めた。
胸が締め付けられるほど冷たい手に、ナムは思わず激昂した!
「いー加減にしろ!!今は俺の事なんか、どーでもいいんだよ!!!」
「・・・へ?」
怒鳴られるなんて思っていなかったのだろう。モカの目が丸くなった。
冷たく震える小さな手を握りしめ、ナムは感情のままモカを叱る。
そんな事している場合じゃないとわかっていても、どうしても気が済まなかった。
「俺なんかより、お前の方がずっとずっとヤバかったんだろーが!
そんなん、この様見りゃわかるんだよ!
何こんな時まで気ィ使ってんだ!なんで頑張ろうとするんだよ!?
辛かったんだろ?!
一人っきりで、この寒さン中薄着で、こんなにボロボロになって!
お前が平気っつっても、俺は全然平気じゃねぇよ!
何があった?!全部話せ、今ここで!!!」
「・・・。」
見開いたモカの目が左右に泳ぐ。狼狽えて、混乱していた。
「え、えっと、話せったって、いろいろありすぎて・・・。」
「じゃ、火星基地出てマルスに向かった所から!そん時はカルメン姐さん達と一緒だったんだろ?!」
「う、うん。えと、マ、マルスに着いたら、サムソンって人が現れて、ナム君が捕まったって聞いたの。助けたかったら一緒に来いって言われて・・・。」
「やっぱりか。それで?」
「それで、カルメンさんが付いてきてくれて、サムソンさん達とエリア6に入って・・・。
あ、エリア6って聞いたのは、R-フォースの『ホライズン』に襲われた時なの。リーベンゾルの娯楽施設があるって言ってたけど・・・。」
「R-フォース?なんだそりゃ?・・・まぁいいや、続けて?」
「『ホライズン』のアジトで、焼き印見るからって剥かれそうになって・・・ビオラさんとサムさん、シャーロット副指令が助けに来てくれたの。
発作起こしちゃってそれから後はよく覚えてないんだけど・・・。」
「『ソルベ』ちゃんが?って、剥かれそうになったぁ?!それって、おいっっっ!!?」
「む、剥かれてない!剥かれる前にカルメンさんが助けてくれたの!!!
そ、それからね、えっと・・・。何故か、サムソンさん達と一緒に居て、レーションもらってミルクキャンディもらって、戦闘が始まりそうになって、『大戦』が始まりそうになって・・・。」
「(話がメチャクチャになってきたな。)うん、それで?」
「コンバット・ベアが出て、お父さ・・・局長が助けてくれたんだけど、輸送機が爆撃受けて墜落したっぽくて・・・。」
「(モカにとってやっぱりアイツは『お父さん』なのか。)あの冷血暴君がそれくらいでくたばるわきゃねーよ!」
「うん・・・。そうだね・・・。」
「モカ?」
「・・・。」
モカは急に黙り込んでしまった。
モカの話を聞居ている内に、昂ぶった気分はだいぶクールダウンしてきていた。
所々混乱したどたどしい話し方でも、とんでもない修羅場をくぐり抜けてきたのはわかる。PTSD(心的外傷後ストレス障害)の発作もまた起こしたらしい。
辛い目に遭ったのに無理矢理話をさせたのは可哀想だった。これじゃ火星基地の食堂でモカに過去のトラウマを話すように強いたリュイと同じだ。
(なんで俺、こういう時こそ優しくできねーのかな・・・。)
ナムは猛省し、握りしめたモカの手を放そうと力を緩めた。
しかし、手は放れなかった。
モカの方から強く握り返してきたのだ。
「・・・モカ?」
傷だらけになった恋人は俯いていた顔を上げ、真っ直ぐに見上げてきた。
大きく見開いた瞳に涙が宿る。
モカは声を振り絞ってたった一言、つぶやいた。
「・・・・・・ 怖かったの ・・・!!!」
弾けるようにこみ上げる悔悛と安堵、そして、愛しさ。
ナムは目の前の恋人を、力一杯抱きしめた。
肩を震わせ泣き出した恋人の手がTシャツの胸にしがみつく。言葉にならないほど、嬉しかった。
やっと、側に行けた。そんな気がした。