イピゲネイアの滅亡
「お休みなさいませ、良い夢を・・・。」
ここへ案内した和やかなメイドは優雅にそう言い残し、容赦無く扉を閉めてロックしていった。
捕虜の身分には不相応に豪華な部屋だ。エアコン・冷蔵庫完備でバス・トイレ付、座り心地良さそうなソファや、天蓋付のベットまである。
ただし、窓がない。外の様子がまったくわからない。
TVもなければ時計もない。もう日付が代わった頃合いだろうが時間さえ確認できない。
できれば「盗聴盗撮カウンター」で室内にあるかも知れない諜報機器を調べたかったが、棍棒や通信機と一緒に没収されててそれもできない。
見張られてる可能性があるなら動けない。下手に探りを入れれば相手を警戒させるだけだ。
打つ手、なし。
諦めてナムはフィールドジャケットを着たままベットに寝そべった。
神経が昂ぶっていた。とても眠れたものじゃない。
目を見開いて薄暗闇を眺め、あの豪華な食堂でタークが語った話が頭の中を反芻する。
独裁者の遺産。
この話をするタークは真剣そのものだった。
ウソ偽りや、作り話を語ったとは思えない。
だからこそ、とんでもなく恐ろしい話だった。
ナムはブルッと身震いした。
「私はキミが気にいったよ。だから特別に教えてあげよう。あの男が残した『 遺 産 』の事をね。」
正直困る。いつ豹変するかわからない強化サイボーグのオッサンに気に入られても命の危険しか感じない。
そんな思いを、ナムは曖昧に笑って誤魔化した。
自分のグラスが空になっているのに気付き、タークがワインのボトルに手を伸ばす。
「キミにも何か新しい飲み物が要るね。ワインは・・・ダメだろうな。」
「はぁ、俺、下戸なモンで。」
「こらこら、キミはまだ未成年だろう?
何でそんな事知ってるんだ、さてはこっそり飲んだ事があるな?
まぁ、人の事は叱れないがね。私も初めて酒を飲んだのは10代半ばの頃だった。
・・・キミ、幾つだね?」
「17っす。」
「ふむ。ならば知らなくても無理はないが、名前くらいは聞いた事があるかな?
・・・『イピゲネイア』という都市を知っているかい?」
記憶に有るような気がした。
何度か口の中でつぶやいてみて、ようやく思い出した。先日あったエメルヒのぶっ込みミッションで聞いた名前だ。
想定内と想定外のアクシデント(エメルヒのモカ拉致計画とテロ組織VS地球連邦政府軍の修羅場)に見舞われて大荒れになった極秘ファイルの奪還ミッション。
ミッションに入る前、その舞台となるアーバイン合衆国を調査した。ナム達諜報員は、言語・風習・特性・生活様式はもちろん「大戦」中の出来事等、現地のあらゆる情報を仕入れて頭にたたき込んでからミッションに挑む。
その調査報告書にイピゲネイアの名があった。
かつてアーバイン合衆国にあった小惑星植民コロニーだが、今はない。
リーベンゾル軍に攻め込まれ蹂躙され尽くした挙げ句、小惑星ごと爆破された都市である。
「うん、今はもうないね。キミが生まれる前に起きた悲劇だよ。戦時中とはいえ痛ましい話だ。」
タークが暗い表情で頷いた。
ちょうどその時、食堂入口の扉が開いて給仕が入ってきた。
ナムに2杯目のカフェオレをサーブする彼に、タークが静かに声を掛ける。
「キミは我が祖国リーベンゾルの生まれだったね?」
「はい、マスター。」
「では聞こう。もし先の元首がキミに死ね、と言えば、どうするのかね?」
チョコレートを取ろうとしたナムは、驚いて手を止め2人を見た。
給仕の顔を見てもっと驚いた。
初老で洗練された身のこなしの給仕は、穏やかに笑っていた。
「喜んで死なせていただきます。全てはゴルジェイ様のご意思のままに。」
タークは苦笑した。
「私がそう言ってもそんな回答がいただけるのかな?」
「ご冗談を。ターク様はそのようなご命令はなさいませんでしょう?」
「・・・ありがとう。下がりたまえ。」
給仕は一礼して出て行った。
「わかるかね?リグナム君。」
タークがこめかみに指を当て、渋い表情で吐息を付いた。
「今の反応が、イピゲネイアを消し去ったのだよ。
元首だったあの男イピゲネイアの徹底的な制圧を命じた。
兵士達は喜んでヤツに従ったよ。その結果が、イピゲネイアの爆破だ!」
空調が聞いているはずの室内の温度が、一気に下がった。
リーベンゾル軍がイピゲネイアを襲撃したのは、20年以上前。
当時タークは「後宮」を出たばかりだった。戦士としての腕を見込まれ軍事に携わったが、戸惑うばかりだったという。
人口約1万人程度、特に大きな軍事拠点もないイピゲネイアに執着する意味が分らなかった。
その不可解な命令に嬉々として従う周りの者達の正気を疑った。
命じられるままに兵士達は狂ったように都市を蹂躙し、奪える物は全て奪い尽くした。金品、文化財、資源、技術、そして人民。その場で命を奪われた者もいれば、「商品」にされた者もいた。
「地球連邦政府軍が歩兵が送り込んでくると、イピゲネイアは戦場になった。
『ゴルジェイの為に』。
そう言いながら我が軍の兵士達は勇敢に戦ったそうだよ。それこそ、死を恐れずにね。
誰1人帰還してこなかった。彼らは元首の命令に従い、最期の一息まで戦い抜いた。」
タークは悲しげに語り、グラスに注いだワインを一気に飲み干した。
「やりきれない。まったくやりきれない話だよ。」
「・・・洗脳、でもされてたんっすかね?」
「イピゲネイアに派遣された兵士達だけじゃない。
さっきの給仕の反応を見ただろう?リーベンゾルに住む市民の多くが同様の反応を示すのだよ。
そしてその反応は、『大戦』終結後10年経つ今でも変らない。
『ゴルジェイの為に』。
彼らにとって私は、あの男のコピーだ。だから元首として認められている。今は、ね。
彼らはあの男の死をまったく信じていない。いつかあの男が『後宮』から出て再び君臨する日を待ち望んでいるんだよ。」
恐ろしい話である。
もしタークの言う事が本当なら、リーベンゾルと呼ばれる小惑星に住む者ほぼ全員が洗脳されている事になる。
あり得ない。幼少時からの教育で固定観念を植え付ける事は可能だが、ここまで妄信的に1人の男を崇めるよう群衆の心理をコントロールするなど、並の方法では不可能だ。
集団ヒステリーだとしてもほどがある。狂気の独裁者はリーベンゾルの人達に何をしたのだろう???
・・・まさか・・・?
「人をそこまで洗脳できる何かが、『後宮』に、ある?
だからゴルジェイは、『後宮』に籠城した・・・?」
ナムは小さくつぶやいた。
「ご名答、と言いたいが、確証はない。
確かめようにも、今の『後宮』跡地には誰も近づけない。
限りなく真実に近いと私は思っているがね。」
タークが口元を歪めて笑った。




