砂丘の向こうの地獄絵図
小高い砂丘の上でリュイがピアスの通信機に語りかけている。
「喚くな、聞こえている。
あぁ、クソガキなら死んでねぇよ。ピンピンしてる。余計な気ィ回すな。
・・・そうか。よし、明け方だな。禿ネズミにゃアイザックが勝手に伝える。後は放っとけ。
ノイズが酷い。これ以上は無理だな。切るぞ!」
何事もなかったかのように話す声に、沸々と怒りがこみ上げる。
(ピンピンしてる、じゃねぇっつの!
飛んでる飛行機から放り出されて無事でいられるとか思う方がおかしいだろ!?マジで死んだと思ったわ!
覚えてろよ、冷血暴君!!!)
助けてもらった恩義は一先ず横に置き、ナムは悪態つきまくる。心中でぼやく文句が口から先にでないのは身も心も疲れ果てているからだ。
今、自分が大地の上で息をしているのが信じられない。高度3,000mからの奇跡の生還劇は、あまりにも衝撃的で断片的にしか覚えていない。
輸送機から放り出されて凄まじい速度で落下していく自分、がなり立てる悲鳴をかき消す強烈な風圧、飛びそうな意識の中で誰かに腕を掴まれ、気が付いたら見覚えがあるフィールドジャケットの背中にしがみついていた。
「死にたくなかったら手ぇ放すな!」
なぜかはっきり聞こえたリュイの一言。その直後、ミキサーにでも放り込まれたようにメチャクチャに振り回されて・・・。
ナムは砂丘の下でぐったりとへたり込み、混乱した頭を落ち着かせようと必死になって考えた。
(地面に激突する直前にライフルのグレネードランチャーを地表に向かってぶっ放し、下からの爆風を受けて落下速度を殺す。
・・・って、いや、無理だろ普通、死ぬっつの!!!)
悪い夢でも見た気分だが体中の生傷が現実逃避を許してくれない。満身創痍であちこち痛み、身体を起こしているのも正直辛い。
軽い目眩を覚え、ナムはゆっくりと倒れかかった。
「リグナム!」
高圧的に呼びつけられ、薄れつつあった意識が蘇る。
砂丘の上を見上げると、リュイが軽く首を巡らせた。上がってこい、と言っている。
気絶もさせてくれやしねぇ。ナムは思わず舌打ちした。軋む身体を必死で動かし砂丘を昇る。
脆く柔らかい砂の斜面は踏みしめるだけでも体力を使う。何とかリュイの元にたどり着いた時にはすっかり息が上がり、本当に気絶しそうになっていた。
「いい機会だ。見ておけ。」
中腰の姿勢で辛うじて立ちゼィゼィと喘ぐナムは、顔を上げた。
そして、見た。砂丘の向こうにある、かつて「集落」と呼ばれていたと思われる場所の光景を。
「・・・ミサイルの類いでやられたものじゃない。
ゲルゼー・ヴァン国はこいつら始末するのに対地攻撃用軍事ヘリを使った。ランチャーで狙えない高度から機関砲による無差別攻撃・・・皆殺し、だな。
ご丁寧にキメラ獣を放ってやがる。こいつらが屍肉喰い尽くせば、証拠隠滅完了だ。
そうなる前に『バボリュム』の1件が地球連邦に露見して公安局が乗り出せば、この眺めも太陽系中に暴露される。MC・4Dに3日の期限がついたのは、そういう理由だ。
この村は地図に載っていない。住民はAS、反政府ゲリラ部隊の拠点だ。『バボリュム』は取引先を一つ、失ったな。」
淡々と説明するリュイの声は一言も耳に入らず素通りした。
ナムはその場に膝から崩れ、吐いた。
砂漠に極寒の夜が来た。
小惑星ゲルゼーがある宇宙宙域に施された人工太陽は計算しつくされた軌道を巡り、効率的に地表を温める。しかし火星の人工太陽もそうであるように、本物の太陽光がもたらす恵みには遠く及ばない。日が暮れると小惑星は本来の姿を取り戻し、地表は一気に凍り付く。
身体の芯まで凍るような寒さの中での野営、ましてや野宿するなど自殺行為以外の何物でもない。
(・・・でも、生きてるし。)
ナムは茫然自失の有様で岩場の隅にうずくまって座り、目の前でぼんやり光る電子ヒーターを眺めている。
服装がカジノのバーでウェイターやってた時のままで軽装なのだが、ヒーターのお陰で凍えるほど寒くはない。おまけにコンバット・レーションや保温ボトルの水まである。
リュイが調達してきたものだ。どこから手に入れたのかは考えたくなかった。
ビスケットタイプのレーションをチビチビかじり、水で無理矢理流し込む。ほんの少しずつでも胃が切られるように痛んだ。
「残さず食え。戦地じゃ食えなくなったヤツから消える。
摂氏-30℃以下の戸外で水分とると体内から凍って死ぬ。絶対にヒーターから放れるな。」
ヒーターの向こう側に座るリュイがライフルを整備しながら忠告する。
黙っておとなしく従った。逆らったところで夜の砂漠の真ん中で生き延びる自信も無いし、二度も死ぬような目に遭ったお陰で楯突く気力も残ってない。
今回の不祥事への負い目もある。
必死で止めてくれたモカを傷つけ、勝手に暴れて窮地に陥り、薬漬けにされて売られるところだった。リュイが現れなかったら、と思うと、身体の震えが止まらない。
まだ混乱している頭の中で言うべき言葉を何度もつぶやくのだが、言い出すきっかけが見つからない。
長引くばかりの沈黙に、ナムの心は暗く重たく沈んでいった。
「・・・ここは、俺がガキの時いた場所に似ている。
外惑星エリアの小惑星だ。名前は覚えてない。テラ・フォーミングされてたんだろう。大気があった。
そこでも空に星が見えた。昼でも、夜でもだ。人工太陽が壊れかけていたんだろう。
・・・人が暮らせる場所なんかじゃ、なかった。」
突然、リュイが話し出した。
驚いて顔を上げると、携帯用の小さな保温ボトルを煽るリュイが満天の夜空を見上げていた。
「無駄に地下資源があったのが災いした。
それを奪い合って戦争に次ぐ戦争。銃声や砲撃の音が絶える日はなかった。
今はもう生きてるヤツなんぞいないだろう。『大戦』時の激戦宙域だ。星間ミサイルで小惑星ごと消されてても不思議じゃない。」
ナムは星を眺めるリュイを凝視した。
滅多に口を開かない男である。マックスやサマンサといった傭兵部隊の古参メンバー達でも、ミッション時以外で言葉を交す事はあまりない。
命令される以外で話しかけられるなんて出会って4年間一度もなかったくらいだ。そんな男が自分の事について話すなど、想像の埒外だった。
驚くと同時に微かに漂う妙な香りに気が付いた。
(・・・酒?)
リュイがボトルを傾ける度に強いアルコールの匂いがする。気付用のブランデーか何かだろう。
(酔っ払っている?局長が?この人、酒とか飲むんだっけ?・・・って、こんな時に、何で酒???)
不思議な思いで見守るナムに、リュイは昔話を語り出す。
その口調は、普段の彼には似つかわしくないほど穏やかだった。




