「で」から始まる恨み節
アツアツのほうじ茶が傷だらけのテーブルの上にぶち撒かれた。
ナムは固まったまま、サマンサの楽しそうな笑顔を凝視する。
(え?あれ?俺、モカと両思いに、なったよな?
告白の返事、ちゃんと「よろしくお願いしますぅ~。」って言ってもらって、つき合う事になったよな?)
思考まで凍り付きそうな頭の中に、ここ最近のドタバタですっかり忘れていた光景が蘇る。
エベルナの司令基地。
突然現れた、リーベンゾル・タークと呼ばれる「それ」。
父親に似たと言われる容姿の男に執拗に追われ逃げ惑うモカを、颯爽と現れ助けた、リュイ。
熱く抱き合う2人。胸にすがって泣くモカの額に、リュイの唇がそっと落とされて・・・。
「・・・だああああぁぁぁぁ!!!?」
ナムは雄叫び椅子を蹴っていきり立った!
「イヤイヤイヤイヤおかしいっしょ!?
局長、どぉ若く見繕っても三十路超え・・・もしかすっと、四捨五入したら四十路イッてるかも知んねーじゃん!
モカくらいの女の子に手ぇだすとか、それってマジで犯罪だろ!?」
「大人になるの待ってるんだって言ったでしょ?そんなにおかしい事かしら?
地球連邦政府が定めた法では18歳の誕生日で成人よ。モカは16歳、2年なんてすぐ経っちゃうわ。」
「いや、だからって、なにも10代の女の子に・・・!
局長、見てくれだけはいいんだから、女なんかよりどりみどりだろ!?エベルナの基地じゃファンクラブがあっておネェちゃん達が騒いでるって、マルギーが言ってたぞ!?」
「・・・昔話をしましょうか。」
サマンサはコーヒーを一口飲んだ。
「この部隊に来る前はね、私は1人で『仕事』を請負う傭兵だった。大戦はとっくに終わってたけど、『仕事』には事欠かなかったわ。世の中酷く荒れてたからね。
ある日、高額の依頼が飛び込んできたわ。男をたった1人、始末するだけの『仕事』だった。」
美しい女傭兵の口元に浮かんだ微笑が、微かに憂いを秘めた。
男を1人暗殺する。サマンサには朝飯前の『仕事』だった。
当時は傭兵としてはまだ駆け出しの小娘だったが、どんなに強い男だろうと容易く仕留める事が出来た。
それを成さしめたのは彼女の戦士としての才能と、天与の美貌である。
殺戮を楽しむ屈強な傭兵でも、功名の為に手段を選ばない士官でも、ひとたび彼女が肌を露出して妖艶に微笑めば、その美しさが敵の戦意を消失させる。
サマンサには美貌さえも武器にしてたった1人で地獄の戦場を生き抜いた、戦士としての誇りがあった。
サマンサが狙うその獲物もまた、群れる事なく1人で仕事を請負う傭兵だった。
夜の戦場で、彼女はその男の寝込みを襲った。
野営のために張った粗末な天幕で眠る男にナイフを手にして忍び寄る。しかしほんの少し近づいただけで男は目を覚まし、サマンサは姿を見られてしまう。
この男には隙が無い。1対1で勝負して勝てる相手では、無い。
そう判断したサマンサは、薄汚れたミリタリーリュックに半身もたれて寝そべる男の真正面に立つ。
そして、一気に纏っていたボディ・スーツを脱ぎ捨てた。
目が覚めるように美しいサマンサの輝く裸体。
その悩ましい姿を、男は無言で眺めている。
サマンサは背中に回したナイフの柄を握りしめ、艶然と微笑んだ。
下卑た欲望に負けこの身を欲して近づいた時が、この男の最期となる。
・・・そのはずだった。
一糸まとわぬサマンサを上から下まで舐めるように眺めた後、男=リュイは、たった一言、こう言った。
「・・・で?」
リュイは小馬鹿にしたような笑みまで浮かべ、暗殺者を目の前に立ち上がろうともしなかった。
裸のまま愕然と立ち尽くすサマンサは、リュイの腕の中で眠る子供の存在に気が付いた。
頭をくりくりに刈り上げられたやせっぽちのその子供が、実は女の子だと知るのはしばらく後の話である。
近くのテーブルで盗み聞きしていたビオラが目を剥き、屍になっていたカルメンもガバッと復活する。
「ぜ、全裸のサム姐さんに無反応!?女のアタシでも見とれるくらい綺麗なのに!?」
「ハニートラップをスルーだなんて、女を否定されるようなモノだわ!もの凄い屈辱よ!」
ダンッッッッ!!!
顔を付き合わせてコソコソ話し合っていた2人は、サマンサがマグカップをテーブルに置く音に悲鳴を上げて逃げていった。
「妙な横槍が入ったわね。私が言いたいところはそこじゃないのよ、ごめんなさい♡」
「・・・サム姐さん、目が怖いッス・・・。」
ロディは布巾を握りしめて怯えたが、ナムは無反応で固まったままだった。サマンサの「言いたいところ」がわかったのだ。
「そういう事よ。お利口さん♡」
サマンサがニッコリ微笑する。
「アイツはね、女に興味がないの。相手がどんな美女でも、まっっったく、ね。
じゃぁ、同性愛者かと言えばそうでもない。色恋沙汰にはとことん縁遠い男だわ。とんでもない朴念仁ね!
とにかくアイツは人に執着しないわね。来る者拒まず去る者追わずで、元暗殺者の私やアイザックのような喰えない男を部隊に置いとくくらいですもの。何考えてるかさっぱりわからないわ!
・・・そんな男がたった1人だけ、恐ろしいほどの執着で手元に置いてるのは誰かしら?」
ナムの顔面が青いを通り越して真っ白になった。
「・・・すっごく綺麗な指輪だったの!」
ナムの耳に、隣のテーブルでおやつを食べているルーキー達の会話が聞こえてきた。
ベアトリーチェが焼くパンケーキはふんわり甘くて香ばしく、やみつきになる美味さである。
ただしパンケーキに添えられるクリームやジャム、フルーツは、全部ごっちゃに混ぜられてラーメンどんぶりに盛られている。いつもながらの壮絶な見た目だ。
「真ん中に青くて大きな宝石がはまってたわ!それがすんごくキラキラしてて素敵だったの!
いいなーモカさん、私も欲しいなー!」
「そういう話は女の人としろよな。俺達、指輪なんかにキョーミないし。」
興奮するシンディにコンポンはうんざりしているが、フェイは少し寛大だった。
「でも珍しいね。モカさん着飾ったりしないから、指輪とか持ってるのちょっと意外かも。」
「でしょ?だからアタシもビックリしたの。ずっと大切にしてる宝物なんだって。しかもね・・・。」
シンディはパンケーキの切れ端に、ジャムが混じって不気味な色になっているクリームをこってり載せた。
「その指輪、局長からもらったんだって!!」
・・・なんだってーーーーーーー!!?
ナムの顔面は真っ白も通り越して土気色に変色した。
「もう一回、言っとくわよ?リグナム。」
サマンサが笑う。人を苛ぶる時の彼女の笑顔は禍々しくも美しい。
「・・・あんた、ホントに大丈夫???」
呆然と立ち尽くすナムが大きくよろめいた時だった。
「はぁ~い♡!
リーチェお姉様特製の『すぺしゃる・ごーじゃす・まーべらす・パンケーキ』よ♡♡♡
たぁっくさん焼いたから、死ぬ気で食べてね~♡♡♡!」
キッチンから現れたベアトリーチェが、ドン!とテーブルの真ん中に置いたのは、焼きたてのパンケーキ。でっかい皿の上に、ざっと数えても50枚以上積まれている。
「おおおぉぉおぉ!!?」
ロディの目の色が一瞬で変り、倒れそうなナムに差し出した手がもの凄い勢いで卓上のフォークへと移動する。
狂ったようにパンケーキを口に詰め込む彼は、ぱたり、と倒れた兄貴分にはもう見向きもしなかった。
リーチェが横目でサマンサを睨む。
「・・・アンタ、いい加減にしなさいよ!」
「・・・。」
サマンサは無言で冷めてしまったコーヒーを口にした。
ロディ特製のクッキングヒーターでパンケーキを焼くベアトリーチェに、キッチンの作業用テーブルに座るサマンサが話しかける。
「いやぁね。そんなに怒る事ないじゃない。
ちょっとからかっただけだわ。私があの子達で遊ぶのなんて、いつもの事でしょ?」
リーチェはこんがり焼き上がったパンケーキをテーブルの皿に移してフォークをセットし、淹れ立てのほうじ茶を添えてサマンサの方へ押しやった。
50枚越えのパンケーキは全部ロディの胃の中に消えてしまった。
「味さえ良ければ全て良し!」の料理人がサマンサのために焼いたパンケーキには、ホイップクリームとブルーベリーが添えてある。
これから自分が言う事に傷つくであろう友を思う、精一杯の優しさだった。
「アタシはそんな事いってるんじゃないのよ、サム!」
リーチェはパンケーキの欠片を口に運ぶサマンサに、厳しい口調で言った。
「あんな事したって、アンタが辛いだけでしょう!?」
サマンサの動きが、止まった。
フォークを持つ手がゆっくりと下り、カチリ、とフォークが皿の上に戻される。
リーチェが痛ましげに見守る中、サマンサは明らかに無理して微笑んだ。
「・・・そうね、ちょっとやり過ぎね。
あれじゃ、モカが二股かけてるみたいに聞こえるわ。わかってる、あの娘はそんな子じゃない。
ごめんなさい、後で謝っておくわ。」
「あぁ、もう、そうじゃなくて!!」
何か言いかけたリーチェは、サマンサの微笑を見てすぐ諦めた。
「・・・アンタ、馬鹿ね!」
辛辣でも思いやりのこもったリーチェの言葉に、サマンサはそっと目を伏せた。




