見えざる敵
「ねぇ……」
彼女は張り詰めた緊張の糸を打ち破るように喋り出した。
「なんだ?」
「貴方って何者なの?」
別に自分の素性を知られたからといって自分がどうこうなる事では無いと思うが、あまり良い噂があるわけでもないので素性は伏せておきたい……。
別にこの子に喋る理由もないのだから、適当に会話を合わせる程度に返答をしておこう……。
「しがないただの酔ったオッサンだ……」
「ただのオッサンにしてはまだ若いと思うんですけど……。それにただのオッサンなのに、どうやったら上に打ち上がってるフレイムボールを長く持続させる事が出来るのよ……」
彼女は空にあるフレイムボールを指差して物を言う。
時間が経っているのに威力がまだ衰えていない魔法に対して疑問を抱いているらしい。
「中級魔法程度の魔法なら、レベルさえ上げれば誰にだって簡単に魔力維持は可能になるぞ……」
「簡単に言ってるみたいだけど、相当レベルが高くないとあれだけの持続力は出せないと思うんだけど?」
常識のように答えたつもりが、墓穴を掘ってしまいさらに疑問を深くしてしまった……。
それもそのはず……。
この異世界での普通ならば、中級魔法を習得することの凄さは、現世で言うと名門の大学へ合格するぐらいに匹敵する難しさがある。
俺の場合は少しズルをして魔法を覚えた…いや、最初から覚えていたからフラグさえ立てれば、簡単に使用可能になったという事。
だからこそ、異世界の常識とかけ離れた事を言ってしまったのだ。
「も、元冒険者だったんだから、それなりに鍛錬は怠らず、レベルもしっかりと頑張って上げたんだよ」
「ふーん……」
苦し紛れの言い訳のような回答をしてしまい、彼女の疑いの目はさらに厳しくなった。
疑問は気になりだしたら払拭したいと誰しもが思う事。
彼女はあまり触れて欲しくない、俺の過去に少しばかり干渉を始めた。
「それだけのレベルや技量があるのに、なんで冒険者をやめちゃったのよ?」
「そ、それは……」
本当に痛いところを突いてくる奴だ。
悪気がないのもわかっている。
確かに誰しもが羨むような力を持っているのに魔王と戦わないのは、恐怖に支配されている異世界ではあまり例がない事であろう。
どんなに危険が伴おうとも、魔王討伐を掲げる者の方が多い。
俺にだって魔王討伐を志して、行動していた時期もあった。
しかし、魔王討伐まで後一歩という所で……。
これ以上は思い出したくない……。
その事は記憶を消さないと出てくる悪夢として、嫌というほど夢に出てくるのだから……。
思い出しただけで、額に汗が滲み出てくる。
苦し紛れに言葉を濁す事しか、俺には出来なかった。
「……別になんだっていいだろ……そんな事……」
「そっか……言いたくないならいいんだけどね」
彼女は空気を読んでくれたらしく、これ以上は追及してこない。
そんな少し重たくなった空気を敵は読み取ったらしく、一瞬だけ不穏な風が体に触れた事を俺は見逃さなかった。
俺達がしみったれた会話をしていた為、緊張の糸が切れたのだと勘違いしたのだろう。
「危ない!」
「ちょっ、何っ?」
俺は彼女に覆い被さるように飛びかかり、共にその場に倒れこんだ。
その瞬間……頭上に具現化した刃物が横一線を描くようにして、瞬く間に通過していく。
「この初撃を避けますか……」
敵の声が周囲に反響しながら、複数に分かれてやまびこの様に耳元へと届けられる。
しかし、あたりを見渡しても敵の姿は何処にも見当たらない。
ふにゅっ……。
「ひゃん……」
俺は倒れ込んだ状態を維持しながら、注意深く周囲を観察していた。
無意識的に手に力が入る。
ふにゅっふにゅっ……。
「やんっ、ちょっ、あんっ……。ちょっと!どこに手を突っ込んでるのよ!!」
「へ?」
ふにゅっふにゅっ……。
敵に意識を取られていて、彼女の胸を無意識的にまさぐっていた事に全然気がつかなかった。
どうやら一緒に倒れ込んだ拍子に、偶然にも彼女の鎧の下から手を突っ込んでいたらしい。
決してわざとではないぞ!
「バカっ!変態っ!」
「ふ、不可抗力だ!……ぐはっ!?」
彼女は涙目になりながら、俺を力一杯に蹴り飛ばす。
幸か不幸か……偶然にも二撃目である敵の追撃を飛ばされた勢いで避ける事が出来た。
俺は飛ばされた先で、転がりながらうまく体制を整えて膝を付く形でその場に立つ。
彼女も敵の攻撃に気づいたらしく、顔を赤く染めながら直ぐにその場から立ち退いた。
「また避けるとは、やりますね……」
依然として声は聞こえるが敵の姿は見えない状態が続く。
「あ、危なかった……」
「そのまま刺されて死ねばよかったのに!」
彼女の罵倒が本気すぎて、少し怖い。
今はそんなことより敵に集中しよう。
恐らく二撃目は俺を対象に攻撃してきたので、ふた手に別れた今ならば俺に攻撃してくる事が濃厚だと思う。
先程からアシストばかりしているので、戦闘力は無いと勘違いしていて欲しいものだ……。
案の定、敵の刃物が俺に向かって何もない空間から急に飛び出してきた。
それをいとも簡単に避けると、すぐさま魔法攻撃の体制を取る。
『詠唱省略。ファイヤボール』
敵が見えないのに、魔法が当たるのか……。
そう言われると無駄打ちをしている気もするが、俺には奴がどこに居るか見当がついている。
誰も何も見えていない空間へと、火の玉は吸い込まれていった。
「ぐはっ!!!」
見事に俺の魔法は敵に命中していたらしい。
敵は自分に引火した火を消すために、幻想的な現れ方で姿を現した。
一見すると死神のような風貌で宙にふわふわと浮いている。
特徴的なピエロのお面をかぶり、手には大きな鎌を所持していた。
これで確信が出来た!
「何故っ!私の居場所が分かったのですか!!!」
敵は動揺して、こちらに質問を投げかけてくる。
その問いに対して余裕を持った表情で応対に応じた。
「答える道理がどこにある?ただ……俺はお前の攻略法を知ってるだけだ……」
「なっ!なんだと!」
自分の燃えていた火が鎮火するのと同時に、また幻想的な隠れ方をして姿をくらませる。
「ちょ、ちょっと!どういう事よ!」
彼女は少し離れた位置から、俺に問いかけてきている。
「奴の名称はジョーカー。簡単に説明すると裏ボスってやつだ」
「え?裏ボス?貴方は何言ってるの?」
今は悠長に経緯を説明をしている時間はない。
一刻も早く彼女にはジョーカーへの対策を伝えて、戦闘を優位にしなくては……。
「ジョーカーは箱結界を大きな範囲に貼って、そのテリトリー内では姿を消すことができる」
「あ、貴方、この敵の事を知っているの?」
説明している最中に敵の攻撃は、俺の位置の斜め下から振り上げられた。
それをバックステップで避けて、もう一度ファイヤーボールを投げつける。
「ぐっ!!!何故わかるのだ!!!何故我の事を知っている!!!」
先ほどと同じように姿を見せて、火が鎮火するとまた消えていく。
「ジョーカーの姿が消えた状態では、こちらの攻撃は不可能となる。それはジョーカー側も同じ条件で、一時的に武器を具現化しないと攻撃は当たらない。だから、攻撃の際は刃物が一部具現化するんだ」
「じゃ、じゃぁ……なんで貴方の攻撃は当たってるの?」
ジョーカーは俺に攻撃を仕掛けても仕方ない事に気づき、標的を彼女へとチェンジしていた。
彼女が質問をしている最中に、具現化した刃物が彼女を襲う。
かろうじて反応を示して剣で防ごうとするが、攻撃の勢いの方が予想以上に強いせいで体制を崩されていた。
「きゃっ……」
「そいつの鎌を振る円軌道を考えて、敵がどの向きに居るか把握した後に、正面に向かって何でもいいから魔法攻撃をしろ!ジョーカーは攻撃後にフィードバックしか取れないはずなんだ!」
俺は必死に彼女へ攻撃の指示をした。
しかし彼女は魔法を発動させる素振りを一向に見せない。
まさか恐怖で動けないのか?
「早くしろ!次の攻撃が来てしまうぞ!」
俺の指示に対して彼女は渋々と言った表情で口を開く。
「私はゼログラビティしか使えないのよ!」
まさかの一言だった。
上級魔法一つしか使えないとか、どんだけ特殊設定の人物なんだよ。
通常なら初級魔法から段階を上げて、少しづつ努力して実力を上げていき、ほんの一握りの達人のみが上級魔法を取得できるようになる。
もしも、初心者が上級魔法を安易に使おうとすると、使用魔力量に体が耐えられなくなり魔力暴走で死ぬはずだ。
そこをすっ飛ばして……いきなり上級魔法を使えるとなると、普通なら考えられない事なのである。
確かに自分が前線で戦っていた時よりも二年もの歳月が経っている。
これ程までに根本的な事情が変わってしまってもいいものなのか?
俺が持っている知識を遥かに超えた人物が出現しても何ら違和感がない程の時の流れなのかもしれないが、彼女の特殊設定に対しては自分の知識の中でもバグにあたるぐらい異常な存在である……。
説明していた時間や脳裏で一瞬考えた時間だけ遅い気がするが、俺は彼女を助ける為にファイヤボールをどこに居るかわからないジョーカー目掛けて予測で乱射した。
攻撃が当たった様子はない。
「掛かりましたね……」
「ぐっはっ!!!」
完全に油断した。
次の攻撃も倒れている彼女へ攻撃すると思いきや、攻撃は俺の背後から一思いに刺される。
傷口は熱を持って、やがてゆっくりと痛みへと変換されていった。
鋭利な刃物は背中から胸にかけて貫通して、かろうじて急所には当たっていない状態。
「え……?うそでしょ?」
彼女は刃物に突き刺さり宙に浮いている俺の姿を見て、信じられない様子で呆然としている。
痛いのを我慢してジョーカーに向かって魔法を放とうとするが、先読みされていたらしく刺さった刃物をグリっと動かされた。
激痛が意識まで吹っ飛ばす勢いで襲ってくる。
「ぐはっ!!!」
なんとか朦朧としながら意識を保ち、この状況を打破できる方法を考える。
気絶さえしなければ痛いだけであって、傷は回復系魔法を使用すれば簡単に完治できる。
そう時間は長く持ちそうにない……早めに何とかしなければ……。
「貴方って強いんじゃないの?そんなあっけなく倒されるわけ??」
彼女は俺に対しての不満を言いながら、体制を整えて剣を構える。
そのままジョーカーのいるであろう方向へと突っ込んでいった。
しかし……消えている相手に対しては、斬撃は空を切り何度やっても一向に命中する気配がなかった。
やはり姿が見えない状態では魔法攻撃しか通用しないらしい……。
彼女の攻撃が一度止むのを見計らって、ジョーカーが淡々と喋りだした。
「お前は反魔王組織の副リーダーである『クレア』で間違いないな」
「なっ!なんで私の名前を!」
名前を呼ばれてクレアは、一度その場から距離を取った。
そういえば、俺は彼女の名前を初めて知る。
聞く気もなかったので、別にどうでもいい事なのだが……。
少し期待していた面もあり、それも当てが外れていたようだ。
もしも……悪夢の子と同名であったならば……。
淡い期待だったが、本当に泡のように消えていった期待。
悪夢の子の名前は『アリシア』、俺の前にいる子は『クレア』。
「我の目的はお前を生きて連れて帰る事だ。大人しく従ってもらおうか」
「そ、そんな易々と捕まるわけないでしょ!」
彼女の言葉を聞いたジョーカーは、俺に刺さった刃物をまたグリっとかき回す。
俺は激痛で叫ぶ事しかできない。
「ぐぬぉぉぉ!!!」
「お前が大人しくこちらに来ると言うならば、こいつを解放してやろう」
卑怯な手口だな……。
でも、その思惑は当てが外れたな。
彼女の俺への評価は、今までのやり取りから判断できる事で、最悪な物であろう……。
こんな脅しの為だけに、俺を助けるはずがないのだ……。
しかし、俺の推測とは真逆の回答が返ってくる。
彼女は少しだけ間を置いた後に喋りだした。
「わ、わかったわ……。だから、早くその人を解放しなさい……」
は?
何故に俺を助けようとしている?
確かに彼女は俺を嫌っていたはずだ……。
胸の痛みを我慢して渾身の力で彼女に叫んだ。
「お、俺はどうなっても構わない……、ぐはっ……だから、お前は一度体制を立て直す為に逃げるんだ!」
彼女は辛そうに首を横に振り、優しくこちらに微笑みかけてくれた。
その光景が夢にみる悪夢と重なる。
クレアがアリシアに似ている事も、そう思わせる理由の一つだろう。
俺が全く予測していなかった事態に陥り、どうしようもなくなったあの悪夢の日……。
アリシアは自分が犠牲になれば、希望がまだあると言って優しく微笑みかけてくれた……。
同じだ……。
名前も性格も違うし状況も違えども、顔が似ていると言うだけで同じ微笑みをするだろうか……。
考えすぎと言われれば、そうなのだろう……。
クレアがただのお人好しと言われればそうかもしれない……。
だけど……今回は引き下がる訳にはいかない……。
あの日に俺は勇気がなかったから、悪夢を見るほど後悔をした……。
今回は何とかしないと……。
俺が彼女を救ってあげないと……。
「頼むから!逃げてくれ!!!」
俺の悲痛の叫びもむなしく、彼女は一向に逃げる事をしなかった。
少し動いた拍子に刃物の刺さり具合が、更にきつくなったのを痛みを通じて感じる。
その際に身体に力が入らなくなってしまった。
俺の体力が底をついたのだ。
身体は重力に導かれるがまま、力なく下へと引っ張られる。
ジョーカーは約束道理、瀕死状態の俺を鎌から外し地面へと投げ捨てた。
「そんなに乱暴に扱わないで!!一緒に行くと言ってるでしょ!!」
「これだけのケガを負わせたんだ、これぐらいの事は問題ではないだろう。どうせ死ぬだろうに」
完全に意識が途切れる寸前、朦朧とする中で二人のやり取りが聞こえてきた。
相変わらず見えない所から声が聞こえてくる。
「問題あるわよ!このオッサンは、まだ生きてr……ぐっ!!」
「少し大人しくしていろ……」
彼女が喋ってる途中で、何か鈍い音がした。
情景は見えていないが、ジョーカーに殴られた音だろう……。
そうか……きっとこのまま連れ去られた先で、頭痛の映像と同じ事が起るはずだ……。
あの頭痛の予知をもう少し信用して、もっと気を付けていれば……。
嫌な事だったが、もっと俺が戦闘に参加していれば……。
また違った未来になっていただろうな……。
結局何ともならず俺はまた、一人の女の子を救う事が出来ないのか……。
このまま死ぬ?
悪夢の事や色々忘れられるなら、それも悪くない。
死ねるなら本望だ……。
しかし、俺は瀕死の状態だが、まだ生きている。
彼女も何となくまだ俺が助かると思い、屈服したのかもしれないな……。
だって俺は死のうとしても、死ねない体なのだから……。
そして、俺は完全に意識を失った。