夢
―――たぶん自分が気を失ってから、だいぶ時間は流れたであろう―――
―――昨日は飲んでないから……またあの悪夢を見るのかと思うと憂鬱で仕方がない―――
―――自我がハッキリとしている今ならば―――
―――この夢から抜け出す事も出来るんじゃないだろうか―――
―――ガシャッ―――
―――体の自由が効かない―――
―――真っ暗闇の中で自分の意識だけを上に飛ばして下を見下ろしてみた―――
―――どうやら無数の鎖で雁字搦めになっているらしい―――
―――ため息が沈黙の彼方へと飲み込まれる―――
―――受け入れるさ―――
―――受け入れますとも―――
―――そんな事を思いながら遠くの方から光が迫って来るのがわかった―――
―――その光に包まれて―――
―――俺は夢を見る―――
……
「お兄ちゃん!起きて!お兄ちゃん!」
俺を夢の世界から引きずりだそうと、誰かが繰り返し呼びかけていた。
「朝だよ!」
その声の主は閉じたカーテンを豪快に開いて、爽快な朝日を俺に浴びせてくる。
自分の重く閉じた瞼に、優しい光が降りかかっていた。
眩しいぞ……。
俺は布団を持って再度肩までかぶせると、声と眩しさから遮断するように反対側へと寝返りをうつ。
「あー。そういう事するんだー」
そうですとも。
誰も俺の睡眠を邪魔する事は、例え妹であっても許されない。
妹?あぁ……自宅なんだから、普通か……。
何か大事な事を忘れている気がするが、忘れるという事はさほど重要でもなく忘れて良い事なのだろう。
それではじっくりと二度寝でも楽しませてもらおうかな……。
俺は眠い信号を発する頭に身を任せると、そのまま暗闇に逃げ込もうとした。
「ぐへっ!!」
「必殺!アユミダイナミックアタック!!」
衝撃や痛さの感覚は不思議と何も感じなかったが、腹に衝撃が走った事が理解できた。
妙な名称が付いたのしかかり攻撃で、俺はすごく不愉快な感覚で目を覚ます。
「その起こし方やめてくれよ……」
「お兄ちゃんが悪いんじゃない!」
俺の腹の上にまたがって、アユミは満面の笑みを見せた。
体の自由が制限される中、身をよじりながら頭だけを起こした。
今日のパンツは新作か……。
またがっている太ももと太ももの間からは、イチゴ柄が無数に刺しゅうされたパンツが見える。
どうやら俺にダイブした時にスカートの効力は失われていたようだ。
「お前も高校卒業して専門学生になるんだから、いい加減子供じみたパンツを履くのをやめろよ」
「え、えぇぇ!?」
アユミは恥ずかしそうにスカートを定位置に戻す。
「お兄ちゃんのエッチ!」
「ははっ……妹のパンツ見たからって、いまさら欲情するかよ」
俺の発言に更に怒りが込み上げてきているようだ。
どんどん顔が赤くなっていくのが目に見えてわかる。それが少し愛らしい。
やっぱりあゆみは、からかい甲斐があるってもんだな。
どうしてだろうか凄く遠くの記憶のようで、目の前で起こっているのに懐かしさが溢れ出してきた。
「もう!知らない!」
あれ?おかしいな……。
妹のアユミと顔を合わせて喋っているはずなのに、何故か彼女の全体像がすべてモザイクが掛かったように見えている。
記憶の中にはちゃんと顔が浮かぶのに、何故か目の前の妹の顔や姿がわからないんだ?
モヤモヤ感が激しく募っていく。何かがおかしい……。
モザイクが掛かった妹の表情は、羞恥していた顔から思い出したかの様に、もう一度満面の笑みを浮かべる。
「あっ、そうだ!門左衛門がね、帰ってきたんだよ!」
「え?門左衛門?」
俺と妹が初めて飼ったニワトリの名前である。
門左衛門の名前の由来は、飼い始めたひよこの頃に俺が適当に名前を付けてしまった事に始まった。
それをアユミが凄く気に入ってしまったらしく、そのまま定着してしまった訳だ。
最初はかわいそうだなと思っていたが、成長していく姿を見るうちに愛着がどんどん増していく。
よく妹の肩に乗って、周囲をキョロキョロ見渡してたっけか。
可愛かったよな……懐かしい……。
でも、俺が高校を卒業する頃ぐらいに、その生涯を終えたはず。
その時に妹は酷く悲しんだっけか……。
戻ってきたのなら、それはそれで良かった事には変わりない……はず……。
「ほら!ちゃんと空も飛べるようになっててね!」
アユミの満面の笑みの隣で、宙に羽ばたいている門左衛門の姿があった。
ニワトリならでわの独特の喉で唸る音から、一気に口を開いて鳴き声を反響させていた。
「カケカッカー」
待て……。冷静に考えるとニワトリは空中に留まる事は出来ないはず……。
それに何故死んだはずの門左衛門がここにいるんだ?
ふと我に戻った瞬間に、妹と門左衛門の姿が更にぼやけていくのがわかった。
「お兄ちゃん、どうしたの?」
「カケ―ッ」
俺の険しい顔を見て、あゆみは心配そうにこちらを見つめてくる。
ついでに門左衛門も共感をしてくれているらしい。
「お兄ちゃん?お兄ちゃんってば!」
あれ?声が出せない……。
妹の姿が完全にぼやけてうすく消え始めていた。
ついでに門左衛門も同じ境遇となっている。
その後すぐに呼びかける声はテレビの砂嵐のようなノイズ音と共に、どんどんとハッキリと聞こえなくなり消えていった。
―――ザザッ―――
―――ザザザザザー―――
背景さえもすべて真っ暗闇になり、夢の中で起きる前の夢へと戻ってくる。
―――ザザザザザー―――
―――ザザッ―――
「にぃ……トモ……ん……」
ノイズだけの状態になってしばらくすると、奥から再び誰かが呼ぶ声がする。
俺は再度これは夢なんだなと再確認して、この後に起こる事象も夢なのだろうと強く思う事にした。
「トモキ……ん!ねぇ!聞いてる?……兄ちゃん!!」
ノイズは段々と晴れていき、はっきりと声が聞き取れるようになっていった。
情景もだんだんと暗闇から、色濃く徐々に浮かび上がってくる。
俺の近くには特徴的な金髪ポニーテールを、ぴょんぴょん弾ませながらうれしそうに話しかけてくる少女が立っているのが見えた。
「トモキ兄ちゃん!ドラゴン!ドラゴンの名前決めてよ!!」
ナナは無邪気に満面な笑みを浮かべている。
どうやら情景が現世から一転して、異世界へとシフトチェンジしているらしい……。
俺はさっき寝ていた時の状態のままの形で、同じようにして原っぱに寝っ転がっているようだ。
これは……確か……知っている記憶。
先程アユミが乗っていた腹に、同じようにして何かが乗っている感覚が残っている。
もう一度、頭だけを持ち上げて、お腹の様子を確認してみると……。
そこに居たのは……小柄だがズッシリとした青い色のドラゴンが鎮座していた。
「門左衛門……」
俺の口からは強制的に言葉が発せられていた。
どうやら俺の心の中にある記憶を映した物を、回想的な映像として夢で流していると理解する……。
そういえばこのドラゴンって、本当に門左衛門って名前になるんだよな……。
別に現世の記憶が恋しくて門左衛門にしたわけじゃないぞ。
どうしても妹のアユミがこのドラゴンの事を『門左衛門』と名付けたかったからそんな設定にしただけだ。
「おぉ!さすがトモキ兄ちゃん!センスあるね!今日から君は門左衛門だよ!」
「まあぁ!」
門左衛門は鳴き声を上げて、大きな長い首をナナの頬へと擦り付けていた。
なんて懐かしい光景だ。
前に見た光景であっても、何度見てもほのぼのとしていて和めるものがあるな……。
出来る事ならば写真に収めて、どこかに飾って置きたいほどである。
本当にこの夢がずっと続いて、幸せの気持ちを永久保存したいと思った。
ん?……夢?
そういえば何故に記憶を消すまで飲んでいないのに、あの悪夢を見なくなったんだ……。
そりゃ……あの悪夢を見るよりは、全然不満はないのであるが……。
何かがおかしい……。
夢だから?いや、当たり前の理屈すぎて普通すぎる……。
「トモキ兄ちゃん?どうしたの?なんだか浮かない顔をして……」
「まあぁぁぁぁぁ?」
俺の表情を見て、ナナと門左衛門は心配そうにこちらへ喋りかけてくる。
それに応えようと口を開き喋ろうとするが、やはり喋る事が出来なかった。
「なんで、喋ってくれないの……?」
突然……ナナの態度が変わり、あからさまに状況が一変したことが感じ取れた。
ナナは俯きながら1音下げた口調で、どす黒いオーラを放ちながら喋りだす。
「なんで、喋ってくれないの?ねぇ……」
こんなのいつものナナじゃない……。
そう思って体や口を無理矢理に動かそうとするが、自分の体なのに自由は奪われたままだった。
せめて喋る事さえできれば……何とかなる……わけないか……。
そして、俺は気づいてしまった。
段々と大きくなっていく門左衛門の姿を……。
これは嫌な予感しかしない……。
「なんで、喋ってくれないの?」
どんどんと大きくなる門左衛門に、押しつぶされそうな苦しい感覚が襲ってくる。
ふと耳を傾けると、ナナの言っている事が変わっていた。
「なんで、助けに来てくれないの?」
何を言って……。
助けるって……何のことだ……。
……。
俺は重大な事を思い出して、ナナの方向を凝視した。
門左衛門は突然立ち上がる。
おい……まさか……。やめろよ……やめてくれ!
「だから……なんで、助けてくれないの?」
門左衛門は自分の爪を大きく振りかぶった。
やめてくれぇぇぇぇぇぇぇ!!
『まだ、間に合うわよ!早く助けに行ってあげて!お兄ちゃん!』
絶望を叫んだ瞬間に、頭の中で直接的に言葉が流れ込んできた。
言葉を聞いた後、ナナは無残にも肉片と化した。
取れた首がピクピクとまだ動き、血まみれの状態で言葉をまだしゃべっている。
「なんで……助けてくれないの?」
―――なんで?―――
―――
……
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
俺は一気に現実の世界へと引き戻されて、上体を起こす。
ぽよ~ん。
「きゃっ!」
な、なんだ!急に息が苦しいぞ!それに真っ暗だ!
俺は無意識的に何かに当たったと思い、当たった物へ両手を置いた。
ふにゅっふにゅっ……。
「ひゃぁん……」
そこにはやわらかい2つの膨らみが存在していた。
マシュマロみたいな感触は、ずっと触っていても飽きる事はないだろう……。
もういっその事……この暗闇の中で死ねるのなら本望です……。
しかしこの後……死ぬ事は許されなかったが、死ぬほど痛い思いだけは簡単に成就された。
「こ、この!ド変態っ!!」
お腹に強い衝撃を受けて、俺は宙を幸せそうに舞っていたそうだ。




