夜、バイク、森の中。あるいはどうしようもない状況でつらつら考えること。
この物語はフィクションであり実在する人物、団体、事件、その他の固有名詞や現象などとは何の関係も無い可能性が極めて高いですがそうだとも断言できません。
「まさかぁ、こんな初歩的なミスを犯すわけがないじゃないですかー」(そっと目をそらす)
一体何の因果でこんなことになっているのだろう。暗闇の中で僕は淡々とこの状況に陥った理由を考えた。
いつものルートを通っていて、いつもは目につかない小道を見つけてつい入ってしまったのが間違いだったのか。
いや、乗る前にバイクの状態のチェックをするのを怠ったのがまずかったのか。
いやいや、ぐるっと走ってくるだけだからと、着の身着のままで出かけようとするのは考えが足りなかったか。
そもそも深夜にちょっとツーリングへと行くという考えに至るのがおかしかったのだろうか。
ならばそう考えるに至った、前日についゲームに夢中になった結果、貫徹して睡眠のリズムがズレていたのが良くなかったか。
となると、レポートを作成していて「ちょっとした息抜き」でゲームに手を出したのがまずかったのか。
いや、そもそもレポートの提出期限ギリギリまで手をつけなかったのが……。
レポート提出が単位の要件の講義を取ったのが…………大学に入ったのが…………生まれてきたのが…………人類が進化したのが…………。
そうして因果を巡り巡って考えて、いつもどおりに「ビックバンで宇宙ができた」という点に原罪があるという結論に至り、ようやく逃避を終えたところで、改めて現実を直視しなければならなくなった。
草木も眠る丑三つ時、あまり馴染みのない山道で、ガス欠で立ち往生という現実を。
深夜ツーリングは楽しいものだ。
なんと言っても他の車がいないのが非常に快適である。
真っ暗な中にバイクのライトだけという微妙に見通せない視界が、走ることに集中させ、頭をクリアにさせてくれる。
昔の中国でアイデアを思いつく場所として馬上・枕上・厠上の三上が挙げられているが、その一つである馬上とは、現代では鉄の馬のことに違いないと私は思っている。
また夜ならば、夏は炎天下の道路によって遠赤外線でじっくり焼かれることがないし、冬であればジャケットがいつの間にか凍っているという貴重な体験をすることができる。
それはまぁ、冗談として。
だからふと僕が深夜作業の気晴らしにツーリングに出かけるというのはままあることなのだ。
京都市街を北上し、大原方面へ。大原から西へ進路を向け、鞍馬の入り口から市街に戻る。
貴船に寄り道して、本場の丑の刻参りをしても良い。
ちょっとした気晴らしツーリングならそんな一時間コースを取る。
明け方に帰ってくるなら、そのまま大原を通り過ぎ、鯖街道を北上し、朽木谷を通過し小浜まで行き、周山街道から京北経由で京都に戻るという一回りコースを取る。
昼に帰ってくるなら、京都市街を南に向かい、奈良を縦断し、高野山へ。そのまま高野龍神スカイラインをいき、龍神温泉の元湯で一番風呂に入り、そのまま帰ってくるコースが良い。
なにはともあれ、深夜ツーリングは楽しいのだ。
しかし、どういった心境か、その日はいつものちょっとした気晴らしツーリングとは別のコースを開拓したくなった。
小浜まではいかないものの、大原よりは大回りの道を探そうと唐突に思い至ってしまったのだ。
だから大原を抜け、途中峠を抜け、少し行ったあたりで進路を西へとった。
そうして真っ暗な森の中の細い道をワクワクしながら進んでいると、急にエンジンが不穏な音を出し始めた。
規則的なエンジン音が不規則になって、推進力に徐々に力強さがなくなっていき、ついに力なくプスンと音を立てて止まってしまう。
私はよくこの現象を知っている。
ガス欠だ。
僕の乗っているバイクにはガソリンのメーターが無い。
なので走行距離から航行可能距離を類推するしか無いのだが、しばしば見誤ることがある。
僕も、あーあ、と真っ暗な天を仰いで、さていつもどおりに対処しようと手を伸ばした、その瞬間まではまだ心に余裕があったのだ。
そう、気晴らしになっていたのはここまでだった。
普段であれば、ガス欠でエンストを起こしてもそれほど困らない。
予備の燃料タンクがあるからだ。
僕の乗っているバイクは大変に燃費がよく、普段でもガソリン1Lあたり30kmは走る。
ツーリングなら40kmは超える。
予備のタンクには2Lほどのガソリンが入り、最低でも大体50kmは走れる。
そして日本国内で50kmも走れば、大抵はどこかにガソリンスタンドがあるものなのだ。
……北海道は別かもしれないが。
まあ、それはそれとして、ではなぜ今困っているのか。
それは予備の燃料タンクは厳密には予備の燃料タンクではないことが原因だった。
普通、バイクのガソリンタンクは一つだ。
そして、バイクのタンクの中には、エンジンにガソリンを供給する口が2つあり、通常の口とリザーブと呼ばれる口がある。
このリザーブから供給されるのが予備の燃料なのだ。
仕組みは単純で、ガソリンタンクの中で、通常の口は浅い位置にあり、リザーブの口は深い位置にあるのだ。
水の入ったドラム缶を想像してほしい。
通常のガソリンを供給する口というのは、ドラム缶の底からちょっと上の側面に穴を開けたものだ。
水は側面の穴から漏れ出していくが、その穴より下にある水は出ていかないだろう。
一方リザーブのガソリンを供給する口というのはドラム缶の底に穴を開けたものだ。
当然、ドラム缶に入っていた水はすべて出ていってしまう。
普通の口とリザーブの口の仕組みとしてはそのようなものだ。
ガソリンタンクの普通の口を使用していてガス欠になったとしても、タンクの中にはガソリンがまだ残っている。
通常の供給からリザーブからの供給に切り替えることで、タンク内のガソリンを限界まで使うことができるのだ。
仕組みとしては単純なものの、非常に面白いガス欠対策である。
さて、感のいい読者の諸君ならお気づきであろう。
なぜそんなガス欠対策がなされていながら、僕はガス欠になって0.1t以上ある鉄の塊を運ぶ羽目になっているのか。
これはこのガス欠対策が根本的な欠陥を抱えているからに他ならない。
すなわち、リザーブに切り替えっぱなし問題である。
簡単な話だ。
1、ガス欠になる。
2、「あちゃー、やっちまたなー」と思いながらもゆうゆうとリザーブに切り替える余裕の対応をする。
3、ガソリンスタンドにたどり着き給油する。
4、「これでよし!」と安心して発進する。
おわかりいただけただろうか?
そう、給油後、リザーブから通常の供給口にレバーを切り替えていないのだ。
僕のバイクでは、通常の口とリザーブの口の切り替えはタンクの下にあるレバーで行うことができる。
無論、これは手動での操作が必要だ。
普通の口でガソリンを供給していてガス欠になったときは必然的にリザーブの側に切り替えることになる。
一方、給油後、リザーブの側に切り替えたまま発進しても何も問題なく走れてしまうのだ。
この非対称性がリザーブに切り替えたままガス欠に陥るという悲劇を生み出す構造である。
いくらガス欠対策がされていても人間の過失によって無意味になってしまうということだ。
……つまり、結局これは人災であり、もっと端的に言えば自分のせい以外の何物でもないのである。
車輪がついているとはいえ、今は鉄の塊でしかない車体をえんやこらと押しながら、僕は坂道を登る。
真っ暗な森に囲まれた脇道である。
幸いにしてアスファルトで舗装してあるものの、片側一車線という贅沢な道ではなく、すれ違いも難しそうな細道だ。
一体どこに入り込んでしまったのだろうか。
後でGPSの位置履歴で確認しなければと思い、そういえばそもそも着の身着のままだったことに思い至る。
チクショウめ!
僕の中の総統閣下が叫んだ。
もしここで車が来たら危ないのではないだろうか。
そう思ってエンジンはかからないものの、キーを回してライトを点ける。
真っ暗な森をバイクのライトが照らし出すものの、照らされた先以外は全く見えなくなり、逆にそれが心細く思われた。
……ちょっとした期待をもってセルを回してみる。
夜の森の静寂を破るようにセルのキュイキュイと甲高い音が響き渡るがエンジンはかからない。
わかりきった当然の結果に、なぜか余計に落ち込んで、再び鉄の塊とともに道を行く。
……数分もたたないうちにバイクの明かりにつられた虫のオンパレードになった。
チクショウめ!
再び、僕の中の総統閣下が叫んだ。
再び闇に包まれた森の道。
普段の運動不足に加え、バイクを押すという慣れない運動に慣れない筋肉を使うことで地味に疲労がたまっていく。
大きな道に出るまで、バイクで十分程度なら徒歩でどのくらいだろうか。
そんな仕方のないことを考えていると、ついに恐れていたことが起こった。
静寂を破るエンジン音、暗闇を切り裂くハイビーム。
対向車である。
とりあえずライトを付け、存在をアピール。
やってきたハイエースのハイビームに目を潰されつつ、道路の端へ退避。
運転手のおっちゃんと、助手席の若いねーちゃんに怪訝そうな顔が目に入る。
こっちだって好き好んでこんな状況になってるんじゃないわい。
そんなことを思いつつ、後部座席の窓にべったり顔を貼り付けた子供を横目にハイエースをやり過ごす。
無事離合が終わり、ほっと一息ついたところで気がついた。
さっきの車に助けて貰えばよかったのではないだろうか。
チクショウめ!
三度、僕の中の総督閣下が叫んだ。
距離感が分からない。
体感で十分ぐらいなどと思っていても、バイクで走っている間は妙に時間が短く感じるので、もっと走っていたのかもしれない。
太ももからふくらはぎにかけて筋肉が熱を持っている。
不自然な姿勢のためか腕から背筋にかけても違和感がある。
僕は普段の運動不足を呪った。今度筋トレかランニングでもしよう。
そう決意するものの、同時に絶対やらないだろうなと確信している自分がいた。
ふと、道の先の木に看板があることに気がついた。
行きとは逆向きに設置してあったので気が付かなかったようだ。
工事でもやっていたのだろうかと思って見てみる。
ぐわっと口を開けた黒い獣が描かれていた。
それはもうとてもわかり易く、端的に一言書いてある。
「熊出没注意」
熊出没注意。
僕は知っている。
京都市の北部の山や比叡山の周りの山だってツキノワグマが出ることを。
僕は見たことがある。
もう少し北にはなるが、朽木谷のあたりで川を挟んだ道の反対側に大きな黒い獣がいたことを。
バイクで走っているときなら「ほーん」で済ませたものを。
まったくもって知りたくなかった。
いや、知ってはいたけれど、今この場で自覚させてほしくなかった。
人は知らなければ仏でいられるというのに。
状況からして全く仏とは言えない心理状況の僕ではあるが、ますます悟りから遠ざかるような心持ちになる。
バイクを押しながら、暗闇の中鳴き声だけが聞こえる熊に追いかけられる僕、というB級映画のワンシーンのような光景が思い浮かぶ。
知っている道にでてホッとしたところでふと振り返ったところを「バクリ」とやられるか、 ふと振り返ったところで後ろに何もいないのにホッとして前を向いたところで「バクリ」とやられるだろう。
バイクがスタンドで立ってるところだけ画面に写して、僕の悲鳴とぐちゃぐちゃと何かを貪り喰う音だけが響く。
そうして、ずっと画面に姿を表さず、噂で半信半疑なものとして扱われていた大型熊は、一人の大学生の犠牲を皮切りに現実に対応しなければならない問題として一気に進み出すのだ。
周りのモブが次々に熊にヤラれる中、イケメン主人公とヒロイン美女がライバル男を出汁にしつつ、最後の方ではライバルが身を挺してスキを作って熊を打倒し、なんとなくライバルの死を間際にして主人公とライバルは和解して、ラストはそんな湿っぽいところを見せずに主人公とヒロインがいちゃつくんでしょう。
その裏で検死しようとして死体安置所を訪れた検視官は空になった僕の死体袋を発見する。
首をかしげたところでその視界から何かが襲いかかる。
死体安置所の扉を背景に響き渡る悲鳴。
なんとあの熊は人をゾンビ化してしまう新種のウィルスのキャリアだったのだ。
ゾンビで溢れ、パニックになった京都市内。
科学が為す術もない中、なぜか効果があるとわかった陰陽道。
実は陰陽師の家系であったイケメン主人公とヒロイン美女が、力に目覚める。
二人の祖先を巡る過去の因縁が再び現世に蘇る。
混乱に乗じて力を表し始めた世界結社と地球外生命体の先遣隊。
ますます混沌とする状況を一体いかに監督は収めていくのか。
次回、広げすぎた風呂敷を畳めない、畳まない。かっぱえびせん。
この次も、サービスサービスぅ。
決して作られることのない次回作の予告編のほうが本編よりも長い件について。
看板を目にした後の当時の記憶を可能な限り辿ってみるとこのようになる。
その時は「被害者Aの役は嫌だなぁ」ぐらいにしか思っていなかった。
どう考えても疲れていたとしか思えない。
残念なことか幸運なことか、結局何か物語となるような出来事は起こらず無事に鯖街道、国道367号線に出ることができた。
まったく、ビクビクしていた僕はなんだったというのか。
この安心しきった状況においても全く「バクリ」とやられる気配もないことを残念に思っていた。
モルダー、あなたt(略
ともかく、ここから途中峠の下までは殆どが下り道なのだ。
エンジンは掛からないものの、ギアをニュートラルにすればバイクに跨って坂を下ることができる。
琵琶湖の湖畔まで行けばガソリンスタンドがあったはずなのだ。
知っている道に出たことで心持ち前向きになったものの、峠から琵琶湖湖畔までもそれなりにアップダウンのあるそこそこの距離がある道が続くことからは目をそむけていた。
きっとこのとき、僕の目のハイライトは消えていたに違いない。
峠を降りて、再びバイクを押しつつ道を東進し、琵琶湖湖畔が見えるような距離まで来たところで夜が明けた。
湖の対岸の山嶺から薄っすらと明るくなり、この薄ら明かりが夜の暗闇よりも余計に周りを見えない状態にする。
そうして朝の薫りが漂い出す。
遠くの車の音の聞こえ方が変わる。
冷たい夜の空気に対流が生まれ、朝の空気に変わるときがくる。
ああ、一日が始まるのだ。
普段であれば、この瞬間がたまらなく好きだ。
和歌でもこしらえようかしらという気分にさえなる(気分になるだけだ)。
全く、泣けてくる。
なんで泣けて来るのだろうか。
どう考えてもこの状況のせいでしかないのではあるが。
そうして特になんの物語も起こらず、ただ単に僕の体力を消費して、念願のガソリンスタンドへたどり着いた。
さぁ、帰ろう。
自分の家に帰るんだ。
そして冷房を効かせた部屋でふて寝してやるんだ。
そういう一大学生として極めて健全な目標を胸に、機械を操作してレギュラー満タンを選んだところでふと気がついた。
今の僕は着の身着のまま……。
財布も持っていなかったのだということに。
結局、縁石に腰掛けてうなだれているところを、パトロールをしていた近所の交番の方に保護され、1000円ほど貸してもらうことでことなきを得た。
山田巡査、いや、鈴木だったか、高橋だったか。
既に思い出せないけれど、あのときのお巡りさん、本当に助かりました。
感謝に堪えません。
借りたお金は、燃料を得て息を吹き返したバイクに乗って、さっさと家に引き返したあとにとんぼ返りして、すぐにお返ししましたさ。
全くもって長い一日だった。
いや一日が始まったばかりではあるのだけれども。
何はともあれ返済の義務を終えた僕は、やっと安心してふて寝することができたのだ。
さて、感のいい読者の諸君にはこの話のオチが見えているかもしれない。
そう、ガソリンを入れた後、僕はガソリンの供給口のレバーをリザーブから戻していただろうか…………。
海外製の某人気ポストアポカリプス系RPGはいい教訓を述べている。
人は過ちを繰り返す。
お巡りさん「免許証不携帯……」
僕(そっと目をそらす)