六大神連合神殿騎士団
俺達が移動させられた場所は、靄のかかった荒野にある野営地らしき広場だった。灰色の空の下、靄越しに周囲で焚かれた篝火の火とテントのシルエットが見える。
「人のいる場所って…… こういうことだとは思わなかったな……」
周囲を見回しながら、思わず呟きがこぼれた。人のいるところに送るって言うから、最低でも村か何かだと思っていたらこれだ。早速、気が重くなる。
そしてそれに拍車をかけるのが、俺の足元で身を寄せ合う女性と子供達や隣に立つ女子高生だ。
「……何も言わないの?」
女子高生が目を逸らしながら言った。いきなり約束を破った自覚はあったらしい。
「言わないが、次からはちゃんと指示に従ってくれ」
そりゃ言いたいことはある。元々、俺は誰とも関わらずこの世界に来るつもりだったんだ。しかし、一緒に来てしまった以上、ここで彼女に文句を言っても母子達に気まずい思いをさせるだけだ。それは誰の得にもならないどころか、なけなしの人間関係に亀裂を生みかねない行為で、そんな馬鹿な真似はできない。
「うん…… ごめん」
「あの…… 一緒に来て下さって、ありがとうございます。足手まといにならないように努力しますから……」
俺と女子高生の会話から、何か察した女性が切羽詰まった表情で言ってくる。考えてみると俺達、まだ自己紹介すら済ませていなかったな。でも、靄の向こうからガシャガシャいう金属音が近づいて来てる以上、その機会はもう少し先になりそうだ。
さほど待つこともなく、靄の向こうから種族的な多様性に富んだ軍隊が現われたんだが、取り囲まれ、得物を突き付けられると、自分が如何に異世界を舐めていたか思い知らされる。正直、本物の白刃を突き付けられるってのは、泣きわめいて許しを乞いたくなるくらい怖い。
加えて、俺達を取り囲む兵隊さん達も、ゲルマンやアングロサクソンめいた白人やアフリカ人のような黒人だけでも威圧感が半端ないのに、獣頭やらトカゲ頭なんて実物で見る怖さはちょっと例えようがない。少なくとも「モフモフ」とか絶対言えないのは確かだ。
あと、全体的に臭い。汗と脂と獣の臭いで吐きそうになる。
というか恐怖と臭いの挟み撃ちで、今まで気丈だった女子高生が膝からくずおれて嘔吐している。どんなに落ち着いているように振舞っていた彼女でも、限界ってものがあるよな。
男女差別の意識はないが、結局こうなれば矢面に立つのは男の俺の務めか。
「突然陣地にお邪魔して申し訳ない。こちらに敵意はないし、抵抗の意志もない。話し合いがしたい」
敵意がないことを知らせるため、頭に両手を載せ、両膝をついて声をあげる。一度じゃなく、二度三度繰り返して言葉を投げかけた。日本語だから通じてはいないだろうけど、意思疎通を試みてる姿勢を見せないことには、何をされるか分らないし、向こうの注意をこちらに引付ける必要もある。
俺も別に戦場で育ったわけでも異能生存体なわけでもないが、自分一人ならともかく、五人の女子供の命も掛かっているかと思うと、めげたり混乱していたりする余裕もない。思いつく限りの最適行動をとるしかないんだ。冷静なんじゃなくてヤケクソになっているんだって自覚はある。
そうして繰り返し呼掛けていると、ローマ兵みたいな恰好をした人種混成軍の中から、女性的なラインを強調した板金鎧にマントを纏った人達が六人、前に進み出てきた。彼女達が何か言いながら手を挙げると、俺達に向けられていた刃が一斉に下ろされる。それだけでも、精神的には大分助かった。
それから、六人がそれぞれ特徴的な兜を脱ぎながら互いに何か言い合い、青い鎧を纏った細身で知的な雰囲気の美女が前に出ると、俺に掌を向けて何か唱え、後ろで待っていた白い鎧の凛々しい金髪美女に向かって頷いた。すると今度は、金髪美人が俺の前まできて口を開く。
「西方公用語が分るようになったと思うが、私の言葉が理解できるか? 体に異常など感じないか?」
兵士達のざわめきもそうだったが、金髪美女の言葉も聞いたことのない言語なのに、俺はすんなりその言葉を理解していることに驚いた。察するに、さっきの知的美女が翻訳の魔法でもかけてくれたのだろう。
「はい、分ります。こちらの言語が分らなかったので助かります。特に異常は感じません」
金髪美女に向けて答えようとすれば、口からは彼女達の言語で言葉が出た。母子達や女子高生が驚きで目を丸くしているところを見ると、日本語を話して向こうには向こうの言葉に聞こえるような仕様ではなく、まるっと向こうの言語をインストールされたみたいになっているらしい。
「ふむ、【写植】の魔法が思っていた以上に上手く働いたようだな。これなら、まともに会話ができよう」
「え、写植?」
「うむ、智慧神の加護により神官の知識を他者に分け与える魔法だ。ヘンリエッタほどの加護があれば、基本的な言語をまるごと写すことも可能だ」
一時的に翻訳されるみたいな甘い魔法じゃなかったらしい。よく無事だったな、俺。自分で喋ってみて気付いたが、単語を除けば文法はスペイン語に近い言語らしく、大学でスペイン語を真面目に履修していたおかげで、負担が少なくて済んだような気がする。
「それで、そなたらはこの世界とは違うところから来た異邦人で間違いないか?」
まだこっちが事情を話す前から、向こうに理解を示されてしまった。話があまりに早すぎて一瞬言葉に詰ってしまうが、何とか頷くことはできた。
「そなたらは運が良いのか悪いのか…… そなたらの事情についてはそなたらを送り届けた神より我らの神に言伝があった。そして、我らは神に仕える神官ゆえ、そなたらのことは予め神託を受けている」
異世界転移の二大障害、言語と事情説明をすっとばしてしまえるなんて、確かに幸運なことだろう。南無八幡大菩薩だ。
「我らは『六大神連合神殿騎士団』は、そなたらを歓迎しよう。まあ、短い付き合いになると思うが、この駐屯地にいる間は安心して過ごすと良い」
「あ、ありがとうございます。六大神……連合……神殿、というのは?」
「ああ、九大神のうち、太陽神、豊穣神、智慧神、闇夜神、機巧神、天竜神の六柱の神々とその眷属神を祀る神殿だ。かつてはそれぞれに独立した神殿だったのだが、長い混乱の時代に信徒を失ってな、今では互いの神殿に間借りして連合神殿を名乗っている有様だ。まったく、不甲斐ないことだ」
「ヴィクトリア、異邦人相手に愚痴っても仕方ないでしょう。それより、自己紹介をしなくてはいけないのではなくて?」
金髪美女の後ろから、緑の鎧を着た上品な物腰の美女が前に出てきた。全身鎧の六人のうち、五人は漏れなく美女だ。角があったり耳が尖ってたり身長が2m超だったりする人もいるが、美女には違いない。残る一人は兜を脱がないので分らない。ただ、一人の例外もなく鎧も肌も泥や血脂で薄汚れていて、髪も脂っぽくなっている。そして臭い。
「む、これはすまない。私は太陽神の神官騎士、ヴィクトリアだ。この騎士団の代表も務めている」
言いながら、篭手に包まれた右手を差し出してくるヴィクトリアさん。握手の習慣はこの世界でも同じようなので、その手を握り替えしながら自分でも名乗る。
「ユージです。その、この場にいる異邦人、でしたっけ? この場にいる俺達五人の代表になると思いますのでよろしくお願いします。実はまだ、彼女らの名前を知りません。この場で聞いて紹介しても良いですか?」
尋ねると快諾してもらえたので、少し時間を借り、まだ呆然としている女子高生達に向き直った。
さっそく、吐くだけ吐いてすっきりしたらしい女子高生が喰らいついてくる。
「ちょっと、どうしてこっちの言葉をしゃべれるのよ?」
「向こうにいる青い鎧の人の魔法だよ。言語知識を転写されたらしい。それで、今からあの人達に皆のことを紹介しなきゃいけないんだけど、俺達自体も自己紹介まだだったろ?」
「そ、そうね。えっと、わたしは千歳 茉莉、十七歳」
黒くさらさらした長髪をかきあげながら、慌てて名乗る女子高生。ちょっと目つきが険しくて気難しそうな雰囲気の美少女だけど、話した感じではコミュニケーション力も高そうだった。とりあえず、俺の中では千歳と呼ぶことにする。
「あの…… 渡辺 恵海です。この子は娘の裕美、八歳です」
「ゆ、裕美です」
自己紹介を終えた千歳に目を向けられ、お母さんが娘を促して頭を下げる。
仕事帰りに娘を迎えにいったのか、お母さんはスーツ姿でショルダーバッグとは別に、エコバッグらしき大きめのトートバッグを肩に掛けている。子供の方はキャラクターもののワンピースにランドセルだ。穏やかで優しいお母さんと、少し引っ込み思案だけど素直な娘って印象か。この二人は恵海さん、裕美ちゃんと呼ぼう。
「あたしは榊 希愛、小学校四年生だよ」
「希愛と同じ小学四年生の来島 聖璃奈です。よろしくお願いします」
残った小学生二人組のうち、ショートカットの元気そうな方が手を挙げて名乗り、ロングヘアの大人しそうな方がそれに続いた。二人ともやけに洒落たデザインの制服とランドセルを身につけている。それなりに良いとこの娘さん達だったんじゃないだろうか。
「それじゃあ、マリ、メグミ、ユミ、ノア、セリナって紹介させてもらうな。俺は岸本悠史、ユージと呼んでくれ。後の詳しい話はここをしのいでからにしよう」
そう言ってヴィクトリアさん達に向き直ると、お互いに残りの面子の紹介を済ませた。
向こうの面子は、青い鎧の知的美女が智慧神の神官騎士ヘンリエッタさん、騎士であり学者でもあるそうで、騎士団の知恵袋的な存在だそうだ。ちなみに、何の学者なのかと聞いたら不思議そうな顔をされた。学問が未分化な世界なのかもしれない。
緑の鎧の上品美女が豊穣神の神官騎士シャノンさん、彼女は耳が尖っていたので聞いてみたら案の定エルフなのだそうだ。他の地方ではどうか分らないが、シャノンさんの部族は古くから人間と同じく農耕生活をおくっていて、神々も信仰すると言っていた。というのも、今いる辺りにはイメージ通りのエルフが住めるような森などないらしい。
その他、後ろで控えていた紫鎧の角付き美女が天竜神の神官騎士で竜人のヒルダさん、黒い鎧を着た2m超の生真面目そうな美女が闇夜神の神官騎士で巨人族のカレンさん、そして驚いたのが兜を脱がなかった最後の一人。
「機巧神、に仕える、機人、ディアドラ、です」
と、兜の中から響いた声は、女性の声だったが明らかに無機質な合成音声だった。
「ま、マシンボイス!?」
「ふふ、驚き、ましたか? ワタシ、達、機人も、祖先は、貴方、達と、同じ、異邦人、なのです」
雰囲気からして退廃した中世ヨーロッパみたいな世界なんだと思ってたけど、どうもそれだけの世界ってわけでもないようだ。というか、本当に他所からの入ってくるものの管理がガバガバな世界なんだな。聞いたら、竜人も巨人も異邦人の末裔なのだそうだ。
「では、そなたらに天幕を一つ貸し与えよう。ついてくるがいい」
俺が皆にヴィクトリアさん達を紹介するのを待って、俺達に貸してくれるというテントに案内される。六面に布を張り円錐形の屋根を着けたテントはあまり大きくはなく、大人が五人も入ればいっぱいになってしまう程度だったが、女性二人に子供三人、男一人ならなんとか横になれそうだった。
「人数分の毛布は中に入れてある。食事は朝晩二回、輜重隊から材料を受け取って自分達で用意してくれ。それと、話し合いたいことがあるので、落ち着いたらユージ殿は我々の天幕へ来て欲しい。すぐ隣の天幕だ」
てきぱきとそう告げると、ヴィクトリアさんは自分達のテントへ帰ってゆく。その背中を見送ってから、俺達も宛がわれたテントに入ってみた。予想はしていたが、昨日まで誰かが使っていただろうテントの中は生活臭がひどい。それでも、初日にしては恵まれている方だと自分に言い聞かせて我慢する。
まったく、この世界での生きるってのは、臭いと不衛生との戦いだな。ここまで苦しめられるとは思わなかった。電車内で興奮してた高校生は、今頃萎えてんじゃないか。