科学への盲信は未知との遭遇を逃してしまう
風呂場でポケーッとしていたら思ったことです。
現代では多くの人々が科学を信じています。
そして日本では無宗教の人が多く、特に科学を信奉している人が多くいます。
もしも幽霊や怪奇現象を見たとして、それを周りの人に言っても誰も信じないでしょう。
「あなたが見た幽霊は見間違いだ。」
「疲れていて幻覚でも見たんじゃないのか? 」
「怪奇現象なんてものは存在しない」
などと否定されるでしょう。
しかしそれは仕方のないことなのかもしれません。
科学への信頼が未知や超常現象の理解を妨げているからです。
仮に幽霊や怪奇現象を見た所ががアフリカ大陸の文明から隔絶された集落だったならば摩訶不思議な現象を信じるかもしれません。
周りの人々にそれを伝えても、馬鹿にされることはなくむしろ熱心に聞きたがるかもしれません。
それは彼らが科学を詳しく知らず、神の存在や自然を信奉しているからかもしれません。
別に科学が悪いと否定するわけではありません。
科学は時には多くの人々を死に追いやったり過酷にしたりもしましたが、その分多くの人々を救ってきたものです。
私が言いたいのは科学の本質を一般の人は勘違いしているということです。
科学はそもそも日常にある現象や、数多の実験から法則を見つけそれを活用応用発展させてきたものです。
最初の科学は目の前の意味のわからない未知を理解するために生まれたものです。
昔、雷は神の御業などと信じられていました。
しかし偉大なる科学者達はその正体が静電気であると解明し人々に教えました。
科学とはあらゆる現象から生み出されたもので、もしも偉大なる科学者が幽霊を見たという話を聞いても初っ端から否定はせず、わかっている知識からその現象を理解しようとするでしょう。
このように科学の本質を理解していないと未知と出会った時にその固くなった頭では理解することを諦めてしまうでしょう。
科学への盲信が人々の頭を固くさせているのです。
そのままでは未知と出会ってもそのチャンスを逃してしまうかもしれません。
読んでいただきありがとうございました。