アダマンの騎士 3
城門を抜けてからずっと真っ直ぐ歩いている。
そもそも、なぜ城門を抜けてすぐに森があるのだろうか、ここら一帯は平地だったはずだ。
門から出てすぐ右にある馬小屋も、もちろん廃屋になっていた。畑も消えている。
私が今歩いている森は全てが灰色だった。
木々はもちろんのこと、伸びた枝の先の葉、地面から生えている雑草、視界に入るもの全てが灰色なのだ。
鬱蒼とした森ではなく、鬱灰とした森と言ったところか。
足元は非常に悪く、王国の整備された道を歩き慣れている私には少々しんどいものがある。
普段使わない筋肉を使っているのか、たまに脚の一部がピクピクと痙攣をしていた。
「この森はいったい、どこまで続いているのだ……?」
とにかく直進を続けていれば外に辿り着けるだろうと、歩いてはいるが目の前の景色は変化無しだ。
雲のように、空を覆っている葉裏の隙間から覗く空の色は、既に橙色に染まっており、夜になるのは近いだろう。
喉が乾き、水革の水を一口飲む。
私の歩みを阻むかのように倒れている倒木を踏み越え、降りようとした時、兜に軽い衝撃が走る。
チラリと見ると、長く伸びた枝が当たっただけだった。
先程からこれが頻繁に起こるので今はバイザーを降ろしている。一度、枝が目に刺さりそうになって怖い思いをしたぞ。
そうこうしている内に、陽は沈んでいく。
「……そろそろ火を起こすか」
幸い、落ちている木は多い。
道中、目についた木はなるべく拾っており、手当たり次第入れた木が、背負った大袋から収まりきらずに飛び出ている。
くつろげるように辺りで邪魔な枯れ枝を集め、落ち葉を軽く足で払い除けた。
袋を逆さにして、拾った薪をボロボロと落とす。薪は、どれも灰色をしていて、御丁寧に断面までも灰色だ。
どれが燃えやすいのか燃えにくいのか、全くわからないな。
地面に胡座をかいて座り、薪をひとつひとつ確かめる。どれも多少湿気ってはいるが、使えないことはないといった感じだ。
適当に太さによって分別する。一番細い物でペン程度の細さだ。
風避け用の石も拾っておきたかったが流石に薪に加え、石を持ち歩くのは体力をかなり使う。ただでさえ空腹で倒れそうなのだ、洒落にならん。
適当に薪をひとつ手に取る。
細い薪を握った掌に魔力を流し込むと、薪と掌の隙間からボッと勢い良く炎が溢れ出た。
そのままジリジリと薪を焦がし続け、待つこと数分…………薪に火が着いた。
すぐに別の薪を手に取り、同じく火を着ける。
一連の作業を繰り返していき、火の付いた薪を積んでいくと、漸く大きな火が灯った。
……これはしんどいぞ。
森がどこまで続いているのかは全く見当もつかないが、もし明日もこのように枝を拾い集め、チマチマと火付け作業をするとなると、体力が削られていく一方だ。
「一人旅も存外、面倒なものだな」
なにより馬が無いのが一番辛い。
居たとしても水がないから疲弊させるばかりか。
見上げると、先程まで橙色の光が、細く差し込んでいたが、この間で随分と陽が落ちた。今では紺色の夜へと変貌し始めている。
私の体力はあと何日持つだろうか……明日には倒れ、死ぬかもしれない。
何も入っていない腹がグウと鳴く。
薪の繊維でも食べようか、なんて考えたが得体の知れない木だ、危険過ぎる。
手に取った薪を少しの間だけ見つめ、火へ投げ入れた。
どうしようもないな。
寝て、陽が出てくるのを待つ他無い。
外套に包まるようにして横になると、意外にも眠気はすぐに来た。
ユラユラと暗闇を照らし続ける火を、兜越しに見つめながら、私は泥のような睡眠に溶けていった。
─────
「……長…………隊長……」
声が聞こえる。
若い男の声だ。妙に甲高い声で、近くで聞くと頭が揺さぶられているように感じる。
「……隊長っ!」
うっすらと目を開けると、可愛らしい困り顔をした男が私を見つめていた。
「……何の用だ」
「何の用だ、じゃないっすよぉ。隊長が、昼寝するから夕刻前に起こせ。って言ったんじゃないすか!」
男が私の口調を真似て言う。あまり上手くはない。
しかし、そんなこと言ったかな。
言われて見れば、言ったような気がしなくもないな。
「……そうか、二度と起こすな」
「隊長ーーーーーーーーーーーッ!」
とてつもなくうるさい。
ドラゴンの咆哮のような声だ、鼓膜が破れたやもしれん。
のっそりと寝台から立ち上がり、小動物のような愛くるしい雰囲気を出す男の前に立つ。
髪型は男にしては長く、ショートボブ。
女に見間違える程整ったその顔に良く似合っている。が、イチモツがぶら下がっているので、こんな野郎に起こされても全く嬉しくない。
「隊長! 寝起きでそんなすぐ立ち上がれるなんてすごッイダーーーーーーー!」
鼻を本気でデコピンしてやった。
「なにするんすかぁ!」
無視して寝台の横に置いてあった私の装備を身に着ける。
「アラン、訓練中の者へ終わりを知らせろ」
「え? あ、はいっす。じゃあその後、一緒に飯食べましょうよ。 実は俺今日すっごい調子良くて、ルーカスに勝っちゃったんすよ! いやぁ~隊長にもあの勇姿を見せてあげたかったなぁ!」
アランと呼ばれた男がペラペラと自慢気に話し出す。
「飯食いながら詳細話しますよ!」
アランは満面の笑みで言った。
しかし、私にも用がある。
犬のように尻尾を振って、褒め撫でられるのを待っているアランを突き離すのは少しだけ心が痛む。
「すまないが、陛下に呼ばれているんだ」
尻尾を振っていたアランの動きが止まる。いや、アランに尻尾など無いのだが、そう見えるのだ。まるでメドゥーサでも見てしまったかの様に止まっている。
「先に食っててくれ、後から行く」
「……わかりましたっす」
アランの尻尾と犬耳が眼に見えて下がる。いや、実際には存在せず、眼に見えてはないのだが……。
ガックリと項垂れた姿で部屋を出て行くアラン。
うむ、心が痛むな。
なにか、もう少しマシな言い回しがあっただろうか。
あとで目一杯褒めてやろう。
跳ねた後ろ髪を手で軽く整えてから私も部屋を出た。
廊下の窓から街を一瞥すると、やんちゃそうな子供達が駆けているのが見える、平和なものだ。
陛下の私室までの長道中、多くの兵や文官に挨拶をされる。
その中の一人から私の父、ヴィルヘルム が隣国の城を攻め落す策と将を欲していることを聞かされた。
父が楽しそうでなによりだ。
私も出来ることならば父のように前線の城で暴れる事だけを考えていたい。
父はもう齢五十近くになる。
五十にもなって剣を振り足りないと、陛下に自分を前線へ行かせるよう直談判するのだから呆れた。
父の居るグラム城から敵の城となると、ミスラル国のドロウム城が近い、おそらくそこだろう。
確か、ドロウム城はなかなか守りの強い将が居た気がするな。
そんな風に父を羨みながら歩んでいると、陛下の私室にもうすぐそこまで近づいている事に気がつく。
軽くドアを叩くと低い声で 「入れ」 と短い返事が聞こえた。
ドアを静かに開けて入ると、豪奢な室内のソファに筋骨隆々という言葉が当てはまる壮年の男が寛いでいた。獅子の鬣のような髭を撫で、思案するように虚空を眺めている。
壮年というのは外見だけで、私が生まれるよりも遥か昔、それこそ私の祖父よりも、更に先の先祖が生まれるよりも昔からアダマン国の国王として君臨している、この男こそがディオルシオス国王陛下だ。
「おう、わりぃなヴィル」
「……いえ」
全く悪いと思っていないディオルシオスから適当な労いをいただき、軽く頭を下げる。
「歳はいくつになったんだ」
「今年で二十一になります」
「そうか、ヴィルの息子のヴィルがもうそんな歳か……」
つまり、ヴィルヘルムの息子のヴィルフレッドがもうそんなに大きくなったのか、と言っているのだ。
ディオルシオスがその巨躯に似合わない小さなティーカップを手に取る。
「飲むか? 紅茶なんだがよ」
「……いただきます」
「なら、そんな所に突っ立ってないで座れ」
ディオルシオスがティーカップを前に突き出し、対面のソファへ座るように勧める。
真っ赤なソファへ腰を沈めると、ディオルシオスが私の前へ紅茶の入ったティーカップを置いた。
私が一口飲んだ所でディオルシオスが口を開いた。
「お前は、親父と違って随分真面目で大人しいな」
「そうでしょうか」
「ああ、ヴィルなら言わずともドカッと座って日頃の愚痴を話す所から始まるぞ」
「……父が無礼を、申し訳ありません」
今度は大きく頭を下げた。
「良いんだよ、俺は奴のああいう所を気に入っているんだ、頭あげろよ」
ディオルシオスは豪快な髭を、指で弄りながら話を続ける。
「親があんなのだからそんな堅物になったのだろうな」
「その通りでございます」
本当にその通りだ。
父はとてもいい加減で、人の気持ちを汲み取る事もできず、常に問題ばかり起こし抱えている。 強さだけは認めているが、人間性は反面教師として見ている。 絶対にああはなりたくない。
「……話はそのヴィルヘルムの事なんだがよ。このあいだ、お前に他の仕事任せて、ルーカスを伴ってヴィルの居る城に顔を出したんだ。息子のお前にこう言うのもなんだがよ、最近なんだか、奴の剣は精彩を欠いているように見えるんだ」
「歳でしょう」
「ああ、歳だ。奴自身は鼻息荒くして戦に意気込んではいるが……嫌な予感がする」
つまり、そういうことだろう。先程、兵から聞かされた話と合う。
グラム城には今、四万の兵が居る。 そこに将として私が行き、父の手助けをしろということだ。
「では、私が行きましょう」
「話が早くて助かる。ヴィルは絶対に退かねぇ、お前が守ってやれ」
「わかりました。この任務、必ずや遂行させてみせます」
「ああ、ヴィルに死なれると退屈だからよ。絶対に死なせるな、頼むぞ」
「お任せください」
話に区切りが付き、二人同時に紅茶を飲み干した。
「今から飯食うんだが、お前も来るか?」
「いえ、先約がございます」
「そうか、お前は文官が苦手だったな」
「それもあります」
ディオルシオスは大口を開いて笑う。
「では、失礼します」
「おう」
話も終わったようなので食堂へ向かおうと扉に手をかけた時、思い出したかのように声をかけられた。
「あぁ、待て。一つ聞きたいことがあるのだった」
「はい、なんでしょう」
振り返り返事をすると、ディオルシオスはニヤリと下卑た笑みを浮かべて言った。
「ヴィル、お前もしかして……童貞だろ?」
「……はい?」
唐突過ぎて頭が追いつかない。
「わかった。その反応は童貞だ、もう下がっていいぞ」
心外だ。
「いえ、陛下。私は──」
「──あぁ、良い良い、皆まで言うな。お前が堅苦しいのにも納得がいく」
「陛下、なにか思い違いを──」
そこまで言ったところで、ディオルシオスは立ち上がりこちらへ近づいてきた。
「見苦しいぞ! 童貞だと潔く認めないから童貞臭いのだ、とっとと失せろクソ童貞野郎ッ!」
ディオルシオスは私を部屋の外へ追い出そうと、力強い掌底を繰り出した。
まるで戦鎚の一撃を受けたかのような衝撃で、後ろに吹き飛ばされ、強く廊下へ打ち付けられた。
扉が閉められる音が聞こえ、呆気に取られた私はその扉を眺めることしか出来なかった。
なんて理不尽な。
確かに私は童貞である。しかし、それを責められる云われはない筈だ。
あまり興味がないということもある。パーティ等で出会い自体はあるのだが、寄ってくる女達を見ていても事務的に受け流し、この女と腰を振ろうなどという気は一切湧いてこないのだ。私には剣を振っている方がお似合いということだろう。
腹の音で気がつき、食堂へ向かう為立ち上がろうとした瞬間、目の前の扉が開かれた。
隙間から恥ずかしそうな顔をしてディオルシオスがこちらを見ていた。
「いや、俺も飯食いに行くんだったわ」
そそくさと走り去って行ったディオルシオスの背中を眺め、食堂に行かなければいけないともう一度気づくのは、次の腹の音が鳴る時だった。
─────
腹の音と苦しみで気が付いた。
夢だ。
また随分と懐かしい記憶を引っ張り出してきたものだ。
湿った地面から起き上がり、体を動かす。
焚火は既に燃え尽きており、灰になっていた。
相も変わらず私の腹は悲鳴をあげているが、救う術はないので昨日に引き続き無視した。
朝日が葉の天井から降り注いでいる。
「……今日中に森を抜けられるだろうか。」
先の見えない一歩を踏み出し、ただひたすら真っ直ぐに歩き始めた。