3話 少女の名は
「ほんとうに大丈夫?」
母さんが朝食を作っている僕を一度睨み、テーブルの向かい座った彼女に微笑みかける。
「はい、大丈夫です」
彼女のその言葉で母さんからの疑いは晴れたと思う。そう願いたい。僕は出来上がった朝食をテーブルに並べ席に着いた。
「あれ、どうしたの、今日の朝食多くない?」
母さんの指摘通り、食卓にはご飯、鮭、ひじき、スクランブルエッグ、ベーコン、ヨーグルトなどいつもの倍以上の品が並んでいる。
これらは泣かせてしまったお詫びを兼ねていたがそれを説明することが恥ずかしくて無視をする。
「いただきます」
母さんと僕がその朝食を食べ始めたが彼女の手は動いてなかった。
「なんか苦手なものでもあった」
「いえ、いただきます」
しっかり手も合わせる。彼女の食べ方はとても上品で絵になりそうだった。
「名前はなんていうの?」
母さんがご飯を食べながら彼女に尋ねる。
「な……まえ、ですか?」
何か様子がおかしい。母さんと僕は箸を止める。
「それなら住んでいた場所は」
女の子は首を横に振る。
「それなら何か手掛かりになるものある?」
彼女は恐る恐る小さく折りたためられた一枚の紙を制服のポケットから取り出した。
――神崎 真輝 △県×市□区2の29の3 ○アパート102号室
「僕の名前と住所だ」
僕がそう呟くと彼女は安心した表情を見せた。
ほかに何も持っていないようなのでこの紙だけが頼りだったのだろう。
「どうする、母さん」
「こういう時って病院に連れて行った方がいいのかな」
母さんが軽くそう漏らす。
「病院は……」
女の子は俯く。行きたがらない彼女のために母さんが提案する。
「じゃあ、一週間だけとりあえず様子見ようか」
しばらくは女の子といられるとわかり僕の口元が緩んでしまった。
「すみません」
女の子は申し訳なさそうに謝る。
「大丈夫だよ、ご飯食べよ」
そう言い僕と母さんが止めていた箸を進める。
「じゃあ、まずはなんて呼べばいいかな」
名前か……人の名前は仮の名前でもかなり悩む。
「あの、ナホがいいです。よくわからないのですが頭に残っているというか、しっくりくるというか……」
女の子がまた申し訳なさそうに言う。当然、母さんも僕も「ナホ」という名前に異論はない。
「漢字は、こうかな」
メモ用紙を持ってきて母さんは「奈穂」と書いた。その字をみて彼女……奈穂は頷き、微笑んだ。その表情に僕は心奪われた。
り僕はそれが顔に出てないか不安になり、朝食を口いっぱいに頬張りごまかす。
「じゃあ、バイト行ってくるね」
さらに僕は逃げるように食器を流しに置き、バイトに向かおうとした。
「あ、待って午後、奈穂をつれて行ってほしいところがあるのだけど」
ドアに手をかけたところで母さんは僕を呼び止めた。何?と靴を履きながら尋ねる。
「バイトから帰ってきたら奈穂の服買ってきて欲しいんだけど」
「なんで?」
「だって着替え持ってなかったよ」
確かに母さんと入ってきた時、手ぶらだった。
ふと、スマホを持っていないのか、と疑問に感じた。後で質問してみるかと思いながらドアを開ける。
「ちゃんと、行ってきてね、奈穂にも伝えとくから」
その言葉には答えず、バイトに出かけた。
この日のバイトはいつもより頑張れた気がした。
母さんには女の子と出かけることを喜ぶ姿を見せるのが恥ずかしくて嫌がっているように接したが実際は嬉しくて舞い上がっていた。