百合の花束
水瀬花屋に、白い百合だけの花束を求めるお客さんがきた。百合は鎮魂の花。不安を感じる飛鳥が体験した事とは
ふふ、今日は6時にあがり。
バイト先の水瀬花屋は、今日はいつもより2時間ほど、早くあがり。
バイオリンのリサイタルを聴きに行く予定。バイオリニストは、エリザベト・百合奈・シュトルツ。ヨーロッパを中心に活躍しているそうだ。今回は特別公演という事で、あまり宣伝もなく、チケットをもらわなければ、聴き逃していただろう。
浮かれ気味の私に、後ろの作業台でミニブーケ作りをしていた店長から、喝が入った。
「飛鳥ちゃん、9月、10月はコンサートが目白押しで繁忙期。もう、早退は今日だけ特別って事にして。店も本当は、休みなしにしたいくらいなんだよ」
そうなのだった。演奏会などがあると、プロ・アマにかかわらず、花束の注文が大幅にふえるとか。多くは市内の大手花屋が注文をうけてるが。
もっとも最近は花束じゃなく、花バケットを購入されるお客さんも多い。花を小さなバスケットに入れアレンジしたもので、下は水で浸した園芸用スポンジを置いてある。贈られたほうは、そのまま飾れるので手軽である。
もちろん、今までも花バケットは作ったが、9月に入って、作る種類も数も増えた。私はこの花バケット作りでは、後輩バイトの淳一に負けてる。見比べると、一目瞭然、センスが断然違うのだ。やっぱり彼のおばあさんが、お花の先生をしてるせいかな。悔しいけど、私にはオリジナルは、まだ難しいかもしれない。
あと1時間、時計を見ながら、たまに来るお客さんの相手をして、花の手入れをして、とにかく、今月に入って、花の仕入れ量が多い
そこに、チリリンとドアベル。女性のお客様ご来店。あれ?彼女の事、どこかで見覚えがあるような...
そうだ、さっきチラシで見たバイオリニストさんにソックリ。っていうか本人じゃないの?
長い黒髪を後ろで一つにして、地味なスカートにブラウス、ジャケットといういで立ち。
いやいや、あと3時間で本番だ。普通、もう出歩かないだろう。よく似てるだけ。
「すみません、この百合を花束にしてほしいのですが。」
と、そのバイオリニストそっくりさんから、注文を受けた。疲れてでもいるのか、顔色もよくなかったけど、女性の声は凛としていた。
百合の花束か。何か意味深。百合は。ピンク色もあれば、赤いのもある。その中から彼女の指さしたのは、こぶりの白い百合。
「あの~カスミ草をいれると、もっと素敵になりますが。お安くしておきますよ」
「いえ、この百合だけで結構です。8本くらいで。で、配達ってお願い出来ますか?」
淳一がそろそろ来る頃だけど、今日中の配達はキツいかもしれない。
「申し訳ありません。場所と時間により、別途の配送業者を頼む場合もあるのですが...」
私は、ちょっとシリツボミで答えた。せっかくの早アガリ、つぶされるのは勘弁してほしい。
その女性のつげた配達先は、私が聞きに行く予定のリサイタルのバイオリニスト宛てだった。ここなら、歩いても10分ってところだけど。私は少しだけ腑に落ちない。
なぜ、華やかなリサイタルに、白い百合だけの花束を?
「あの、出すぎた事ですが、やはり百合だけでは、華やかな場では寂しい感じもするのですが...」
私の言葉には、バイオリニイトにそっくりな女性は、さびしそうな声で”いえ、せっかくのアドバイスですが結構です。すみません”
私は”やらかした”かな?どうも、おせっかいがすぎるんだよね。
「飛鳥ちゃん、配達業務だから、4時に届けて。そのままあがってもいいよ。」
後ろで事務をしてた店長が、手を休めて声をかけてきた。
「すみませんけど、よろしくお願いします」
女性は、花束代税込みで3300円を払い、伝票を書くと、慌てて出て行った。
結局、引き受けたけど、いいのかな?この花束で。チラシで経歴を見ると、バイオリニストのエリザベト・百合奈・シュトルツさんは、外国暮らしが長そうだ。百合だけの花束に気分を害さないかしら。百合の花は、日本でいう処の菊で、西洋ではお葬式によく使われるそうだ。
「店長~。いいんですか?新手のいやがらせとかで事件とかになったら、巻き込まれるのはごめんですよ。」
花束を作りながら、伝票を見ると、差出人の住所はあったが、名前がなかった。
いや、”喫茶・ドルチェ”と書いてある。この店で出すのか。あそこは、確かクラッシック音楽好きのマスターがいたはずだ。だからかな。
演奏者そっくりの謎の女性が、白い百合の花束を注文した。ちょっとしたミステリーだ。
「飛鳥ちゃん、リボンはピンクでね。うん、彼女からは悪意のようなものは感じられなかったから、大丈夫でしょう。花でいやがらせをするような人は、もっと禍々しいオーラが出てるんだよ。飛鳥ちゃんには見えない?そういうの」
普通は見えませんってば、オーラなんて。
ちょうど店を出た時、淳一がやってきた。今日は、早めに来てくれたんだ。
「ごめん、先にあがるね。ついでの配達も頼まれたし」
「先輩~。9月10月と、忙しいっすよ。俺も学校から直行してきたんですから。それにその百合の花束はなんです?教会にでも配達ですか?」
”違う。だから不安なのよ。” 不機嫌に答えさっさと、店を後にした。淳一にあたってもしょうがないんだけどさ。
会場のセシルホールは、500人ほど収容できる小さなホール。この地方都市にはちょうどいいのかもしれない。ホール前では、受付の準備中だった。業者名を名乗って花束をおいてきた。
さあてと、開場の6時半まで2時間近く、ヒマになってしまった。まあ、店長のお墨付きだから、いいか。どこかでコーヒーでも飲んでこよう。
ホールを出ようとすると、誰かが後ろで服をひっぱる。だれ?とみると、見た事もない女子。
二十歳ちょい前くらいかな。長い茶色の髪と目、服は胸元にギャザーがよっていて、首筋はレース。で、足が見えないほどのロングドレス。
私も賢くなった。彼女は多分、百合の精霊だろう。不安そうに私にすがってる。
<あのね、大丈夫だから。あの店長が”悪意はない”って断言したんだから。泣きそうな顔しないでね、ね>
<でも、私は不安なのです。私を選んでくださった方の心は、悲しみが一杯で、そして少しだけ喜びの心が見えました。それが何なのか私には、よくわからないんです。>
不安げな花精。彼女には、注文主の心がわかったのだろうか。私には、緊張し、疲れてるって印象を受けたのだけど。
<今日の演奏者のエリザベトさんには、何があっても精一杯微笑んで。あなたなら出来るから>
花精の姿は、店長と淳一は別として、人には見えないようだ。物陰に隠れるようにして、百合の花精と話した。もし、誰かに見られたら。”残念な人”と 生暖かい目で遠巻きに見られるだろう。
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リサイタルは夢のような時間だった。ただ一つ気になるのは、最前列の真ん中にいる初老の男性。青いカーディガン姿で、背が高くすごく痩せている。休憩時間も微動だにしなかった。
拍手をしてるようでもなく、ただひたすらバイオリニスト・桐生百合奈を見てるようだ。
私はあのおじさんに見覚えがあるような気がする。
アンコールの曲は、クライスラーの”愛のよろこび、愛の悲しみ”と、G線上のアリアだった。
私でも曲名を知っているぐらいの、超有名な曲。
最前列のあのおじさんは、アンコールの曲の間中、音の波にのるように、体を軽く揺らしていた。
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リサイタルが終わり、帰ろうとすると、百合の花精にひきとめられた。
<大丈夫だって。リボンはピンクだし。メッセージカードすらないのよ。”天に召されますように”って意味じゃないわよ。ほら体をすぼめない。>
花の精霊を励ましても、もうどうしようもない。ホール前の受付横には、他の花束と一緒に、ちんまりと百合の花束がある。そして、もう人が少なくなった頃に、ドレス姿のバイオリニスト、エリザベト・百合奈さんが、受付にやってきた。
うそ?花束を注文した女性とそっくり。っていうか、やっぱ本人としか考えられない。
百合奈さんは、百合の花束を見て顔色を変え、落ち着きをなくした。キョロキョロ見回してる。誰かを探してるようだ。ああどうしよう、やっぱりトラブルになるかもと思った瞬間、大きな声が響いた。
「百合香ねえさん!どこ?」
白いドレス姿のまま、探してる。そこへ、花束を注文した女性が、喪服姿で慌ててはいってきた。すぐ、エリザベト・百合奈さんの処へかけよった。
「ああ、やっと会えた。百合奈。でも、ごめんさい。間に合わなかったの。」
双子だったんだ。二人は抱き合って、泣き出した。二人とも同じ顔、体型、髪型も黒のロングヘア。服装だけ、白いドレスと黒の喪服で対照的だった。
百合香ねえさんって呼ばれた女性が、店に来たんだ。周りはその様子に唖然としてる。
「お父さんね、百合奈のリサイタル、楽しみにしてたのよ。癌のほうも小康状態で、退院も出来るかもって期待してたの。”オレが死んだら葬式もなにもいらない。百合の花束だけそなえてくれ”なんて、笑って冗談いうくらい回復したのに。でも、ちょっとした風邪をこじらせて肺炎になってしまって。今、お通夜終わったところなの。」
その言葉を聞いた百合奈さんは、また大声で泣きだしてしまった。
「ごめんなさい、お父さん。私、もっと早く来たかった。でもお母さんが私がお父さんに会うのを許してくれなかったの。今のパパの助けがなかったら、今回も来れなかった」
まだ事情がよくわからないけど、ちょっとは救いになるかもと、私は二人のところに行った。
もしかしたら、怒らせてしまうかもしれないけど、伝えたほうが多分いい。私はやっと、最善席の初老の男性の事を思い出した。彼は”喫茶・ドルチェ”のマスターだ。だいぶ痩せていたけど。
コンサートを聞きに来てたんだ。今の話しからすると、あの姿は魂だけ。
あの~っと、事情を話し始めると、最初はキツイ目で見てた百合奈さんが、また泣き出した。
「やっぱり。G線上のアリアを弾いてる時、前の席にフっとお父さんの姿を見た気がしたの。お父さんの好きな曲だったし私の幻覚かと思ったけど」
その父親が、透き通った姿で百合の花束を胸に、二人の真上にいる事は、さすがに黙っていた。信じてもらえないだろうし。ドルチェのマスターは私のほうをむくとニッコリ笑い、そしてまた二人の頭を撫でて、そして微笑みながら消えていった。百合の花精を伴にして。
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「店長、例の女性の事、知ってたんですね。双子だって。教えてくれれば悩まなくてすんだのに。」
あの日の謎が解けた。彼女は双子の妹に再会し、父親はリサイタルの前の日亡くなっていたって事。あとは推測するしかないけど。
店長は、優し気な微笑みを浮かべ、作業の手を休めず、
「”ドルチェ”のマスターが病気っていうのは、風の噂で知っていたんだけどね。双子の娘さんがいるとは知らなかった。まあ、良かった。うちの百合の花も少しはお役にたてたかな」
店長...もうオーラとかいうものが見える人には、かないません。せめて店内で百合の花精を、もっと励ましてほしかった。彼女は、本当に不安がってたのに。
「セシルホールは、受付にする場所は、高い処にあったんじゃね?ホールの上段とのドア直通で。飛鳥先輩、そこでの二人の会話が聞こえたんですね。まあ当然というか」
”夜目もきくし、耳もいいのよ”と私はきりかえし、”鼻もな、さすがだ”とつけくわえた淳一は店長に頭にゲンコツを落とされてた。うん?何故ゲンコツ?確かに鼻もいいけど。
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しばらくして、多分、百合香さんのほうが店にやってきて、喫茶・ドルチェの新装開店する旨を宣伝し、花束を注文していった。
「百合の花は好きだけど、香りがキツいから抜いてね。残念だけど。」
「そうですね。食べ物を扱うのだと、そのほうが無難ですね。百合以外にも、香りのキツい花は避けておきますから」
値段だけ設定して後はお任せの花束 の注文を受けた。毎度ありがとうございます。
妹になるエリザベト・百合奈さんの事を聞きたかったけれど、余計な事に口をはさまない と自戒して、百合香さんを見送った。