サポートキャラクターの私
桜が咲いた。
あたり一面がピンク色に染まる。
ここから物語が始まる。
私は愛華を死なせない。
つばさは進級に心躍らせる幼馴染の愛華を見つめながら強く思った。
事の起こりは一週間前。高校二年生に進級する前の話だ。
相原つばさと月宮愛華は二人仲良くショッピングを楽しんでいた。平日だが春休みという事もありショッピングモールは込み合っていた。そして、愛華が一人の少年とぶつかった。少年は桃色の髪に桃色の瞳をした可愛らしい顔をしていた。外国人の血が入っていると一目見てわかる。愛華は地面に落ちた相手の荷物を、謝りながら拾う。つばさも一緒になって拾った。その時に、少年と目があった。少年がふんわりと笑う。その瞬間、つばさは体に電撃が走ったような衝撃を受けた。そして、幼い頃からのぼんやりとした違和感の正体がはっきりわかった。
(あ、ここ、ゲームの世界だ)
相原つばさは黒目黒髪、日本人特有の平たい顔で、これと言った特徴のない普通の子供だった。対照的に愛華はとても可愛らしい女の子で、つばさと愛華が並ぶと引き立て役だとつばさを揶揄する者もいた。
つばさは普通の子だった。
前世の記憶があると言う一点を除けば。
前世の記憶があると言っても、うっすらぼんやりで程度で、なんとなく自分のいる世界に違和感がある程度の記憶。
彼女の前世はオタク女子でゲーム大好き人間。RPG、SRPG、シュミュレーション、アクション等々。世界観やストーリーに興味を持ったらとりあえずやるタイプ。乙女ゲームもよくやった。
プレイしたゲームの中で「妖しの月」という学園ファンタジーものがあった。
怪異が認知されている世界で、主人公はつばさの幼馴染、月宮愛華その人。つばさの立ち位置はサポートキャラクター。怪異や異形の者に好かれる体質で異形の血を引く人間と問題を乗り越えたり、恋に落ちたり、友情を育んだりする物語だ。
このゲーム、気を抜くとうっかりバッドエンドやメリーバッドエンドになってしまう。失恋するだけならまだいい方で、最悪愛華も攻略キャラクターも死んでしまう。
シナリオの質が高く、バットエンドも好評で、ハッピーエンドよりバッドエンドが好きだと言うプレイヤーも多かった。つばさもそんなプレイヤーの一人だった。
しかし、それはプレイヤーだった時の話。今は違う。愛華は一人の人間として存在している。なにより、つばさは愛華が大好きだった。この時につばさは決心した。
(愛華を死なせない!)
その日、つばさは心に決めた。
その日から攻略キャラクターの顔やルートを記憶から引きずり出しノートにまとめた。
奥底にあったうっすらぼんやりした記憶をむりやり引きずり出したため、その後数日間頭痛に見舞われ愛華に心配された。
二年生になって、三か月。
愛華を死なせないと決意したが、その決意が揺らぎそうになるほど、つばさは心身ともに疲れていた。
原因は愛華。
ではなく、つばさに付き纏う一人の男子生徒の所為だ。それも攻略キャラクターの一人。
男子生徒の名前は喜瀬川龍牙。
桜夜高校の三年生で生徒会長。
世界に名を轟かす喜瀬川グループの御曹司で、高校生ながら次期社長間違いないと言われている。落ち着いた藍色の髪に金色の瞳、美丈夫と言われるほどに整った顔に男は羨み、女は見惚れる。幼い頃は病弱だったが、体を強くするために武道に励み今ではすっかり丈夫になった。すらりとした体に程よく着いた筋肉は彼の魅力を一層引き立てる。文武両道、容姿端麗。性格もとりわけ問題あるわけがなく、人当たりがよく、落ち着いていて、冷静という評価だ。
つばさに出会うまでは。
数か月前のことだ。その日も特に用事がなく、帰宅部のつばさは愛華の生徒会の用事が終わるまで待っていた。日が暮れ、あたりはすっかり暗くなり、下校時刻の放送が校内に流れた。つばさは読んでいた本を閉じ、荷物を持って教室を出た。
靴箱に向かえば丁度愛華がいた。愛華の傍には一人の男子生徒、愛華と作業をしていた生徒会長喜瀬川龍牙の姿があった。つばさは間近で見る龍牙の姿にごく普通にカッコいいと思った。だからと言って、恋に落ちることはなかった。前世の記憶のおかげで、憧れのアイドルを間近で見たような興奮はあったがそれだけ。つばさが知っている龍牙はアイドル同様モニター越しのキャラクターだった。完璧人間の喜瀬川龍牙は、つばさにとって近いようで遠い存在だった。
「つばさちゃん!」
愛華がつばさに気が付いた。龍牙の視線がつばさと交わる。つばさは、龍牙に「お疲れ様です」と声をかけた。だが、龍牙は幽霊でも見たかのような驚いた顔をしている。愛華とつばさは何事かと二人で顔を見合わせた。
「あいはら、つばさ、くん?」
「はい」
やっと絞り出したというような、消え入りそうな震えた声だった。自分の名を呼ばれつばさは反射的に返事をした。その瞬間、龍牙の顔はぱっと明るくなり見たことのない蕩けた表情をした。そして、つばさの前に跪き言った。
「結婚してくれ」
「……は?」
まるでおとぎ話の一ページのような光景に愛華も驚いていた。そして、つばさは愛華以上に驚いていた。龍牙と会ったのは初めてのはずだ。それなのに、跪かれ求婚された。しかも龍牙は攻略対象、つまりは愛華の恋人になるかもしれない相手。さっぱり意味が分からない。つばさの思考回路はショート寸前だ。
「幼い頃に約束しただろう。りゅうくんだ」
龍牙の言葉と不安そうに揺れる金色の瞳を見てつばさは思い出した。
龍牙と幼い頃に会っている。
そして、その時に結婚の約束をしたと。
子供の可愛い口約束。
「忘れてください! それでは!」
「あ、つばさちゃん!」
「つばさくん!? 待ってくれ!!」
つばさは急いで靴をはきかえ、その場から逃げた。その後を愛華と龍牙が追った。
思えばあの時、人違いだと言えば結果は違ったかもしれない。後日、つばさは自分の言葉を悔やんだ。
それからというもの、龍牙は時間があればつばさのもとに出向いて、つばさに愛を囁いている。登校中だろうが、移動中だろうが、昼休みだろうが、下校中だろうがつばさの姿を見るなり、とても優しい顔をしてつばさを口説く。校内限定なのでまだよかった。
つばさは龍牙をいつも邪険にしている。いつしか、つばさと龍牙の関係は全校生徒が知ることとなり、龍牙は全校生徒から応援されている。全校生徒ににやにやと龍牙とのやり取りを見られる。つばさはとても居心地が悪かった。その事を理由に、龍牙を拒絶したが龍牙は人まで口説くのをやめただけで、口説くこと自体はやめなかった。
つばさと再会し、ことあるごとに口説く龍牙の評判はさぞ落ち込んだろうとつばさは思ったが、完璧人間の生徒会長さまでもままならないことがある、人間味があっていいと逆に龍牙の評判が上がった。
つばさはその話を聞いて少し不機嫌になった。
放課後の教室。夕日が差し込む静かな教室に二つの影。
その日、いつもと同じように龍牙はつばさを口説いていた。つばさは愛華の仕事が終わるまで、いつものように本を読んで待っていたのだが、そこに龍牙が来た。自分の仕事を終わらせて急いできたのだろう。つばさの行動パターンを龍牙は熟知していた。つばさも、ここ数か月付き纏われたせいで龍牙の行動パターンが読めてるようになってきた。迷惑な話だ。
「つばさくん、言っただろう。僕が、文武両道、容姿端麗、お金持ちになったら結婚してくれるって」
つばさの向かいの席に座り、つばさと向き合う龍牙。互いの距離が近い。だが、つばさは龍牙の存在を視線に入れない。
「子供の頃の話です。子供の無邪気な口約束だって、どこかの時点で気づきましょうよ。しかも、お金持ちにはまだなっていませんよね」
つばさは龍牙に言葉を返すがその視線は本から外さない。龍牙はつばさの様子に不満だと顔をしかめた。そして、自分とつばさの間にある本を自分の手のひらで覆い、つばさが本を読めなくした。つばさは恨みがましく龍牙を睨んだ。やっと自分と視線を合わせてくれたつばさに龍牙は微笑んだ。
「気が付いたさ。忘れようともした。だが、また君と出会った! これは運命だ! だから、責任を取って嫁に来てくれ。喜瀬川は僕が継ぐから、その点は問題ない。お金は手に入る。喜瀬川を継がなくても稼げる職業につくつもりだ」
「嫌です。段階すっとばして、求婚する人は嫌いです。幼い頃とは違うんです。初恋は実らないものです。私は、きちんと恋愛をしたいんです」
つばさはため息をついた。
本を諦め、右手で頬杖をついた。龍牙の毎日の愛の囁きに、最初の頃、少しは照れもあったが最近では食傷気味だった。
「そんなジンクスはぶっ潰せばいい」
「激しいですね」
「それに恋愛がしたいのなら、僕とすればいい」
「それは無理です。私、好きな人がいるので」
自信たっぷりに答える龍牙に、爆弾を投下するつばさ。その言葉を聞いて龍牙は微笑を崩し、とても真剣な顔をした。
「九尾先生は、月宮くんを見ている」
「……」
その言葉につばさは声が出なかった。
九尾先生。
つばさと愛華の担任で、三十過ぎの男性教諭。担当教科は現代文。茶色の髪に茶色の瞳。優しい笑顔がどこか頼りなく見える担任につばさは、ひっそりと好意を持っていた。だから、知っていた。九尾先生が少なからず、愛華を想っていることも、愛華が九尾先生を気になっていることも。
自分の想いは誰にも気が付かれていないと思っていた。だが、龍牙に言い当てられた。
「そんな顔をするな。君の好きな人ぐらい、君を見ていればわかる。君だってそうだろう」
そんな顔。と言われ、つばさは両手で顔を覆った。どんな顔をしているのか自分では分からなかったが、龍牙の切なそうな顔を見る限り酷い顔をしていたのだろう。
つんと鼻の奥が痛くなった。
「僕は君の為なら、なんだってやる。君が望むなら、世界を滅ぼしてもいい。それぐらい、君のことを愛しているんだ」
「馬鹿なことを言わないでください」
龍神の血を引く龍牙が本気を出せばできることをつばさは知っている。冗談でも言って欲しくはない。世界を滅ぼすなど。
龍牙のバッドエンドは世界を滅ぼそうとした龍牙を主人公が殺すエンドだ。
龍牙は愛する相手の為なら、世界を滅ぼすし、自分のことを忘れさせない為なら愛する人に殺されることも厭わない。
「それは、愛じゃないです。自己満足です。本当に、愛しているのなら、私の幸せを願ってみていてください」
自分がそうしているように。
つばさが自分で決めたこと。サポートキャラクターらしく、友人を全力でサポートする。
九尾の好きなものを愛華に尋ねられれば教えるし、いそうな場所に愛華を誘導もする。どんなに自分が辛かろうと。大好きな愛華の死を止めるためにハッピーエンドを目指して。
ハッピーエンドを目指さないと、愛華も九尾先生も死んでしまうことをつばさは知っているから。
手で覆った両目から、熱い液体が零れ落ちる。
「僕が君を幸せにする。世界の誰よりも愛す」
「嘘っぽい、です」
涙をぬぐい、ずずっと鼻をすする。
そんなつばさを龍牙はとても切なげに見つめている。できるなら、龍牙はつばさを今すぐに抱きしめ、慰めたかった。だが、そんなことをすれば、今以上に見込みがなくなることを龍牙は本能的に悟っていた。龍牙は口説くだけで、下心を持ってつばさには指一本触れていない。だから、つばさも強くは言えない。手を出そうものなら、事実があろうとなかろうと不純異性交遊として先生に速攻告げ口する次第だ。
「僕の愛は本物だ」
「……私は生徒会長とは付き合いません。諦めてください」
龍牙からポケットティッシュとハンカチを差し出され、つばさは受け取った。ブランド物のハンカチからはほんのりといい匂いがした。
「嫌だ。君はまだ誰のものでもない。僕にもチャンスはある」
僕は諦めない。だから、つばさも諦めるなというような龍牙の物言い。
「何年かかっても、君を手に入れてみせる」
朗らかに笑う龍牙を見てつばさは、あきらめが悪いと心の中で罵った。
否、つばさの諦めが良すぎるのだ。
だって、しょうがない。自分の恋路と友人と愛する人の命。どちらを取るのかなんて考えるまでもない。どんなに辛かろうとハッピーエンドを目指すしかない。ルートに乗ってしまったら、しょうがない。死を避けるためにはしょうがない。
「生徒会長のご両親が黙っていませんよ」
「黙らせればいいだけの話だ。それに、ぼくの初恋については喜瀬川本家と親戚筋は全員知っている。君に感謝する者もいるぐらいだ」
「……えぇ……」
初めて聞く、驚愕の事実につばさの涙が引っ込み、つばさ自身も引いた。
喜瀬川ネットワーク恐るべし。
「だから、結婚してくれ」
「嫌です」
最後はいつもと同じ言葉で締めくくられる。
やっぱりあきらめが悪いとつばさは、龍牙を心の中で罵った。
あたりはすっかり暗くなっていた。
書いてみたかった乙女ゲーム転生物。
シナリオを知っているせいで諦める人とシナリオを知らないせいで諦めない人。