19
エリオットは部屋の扉を乱暴に開け放つと、私を寝台の上にそっと降ろした。
「……痛みは?」
「……それほどでもないわ」
嘘だ。
膝の痛みは先程よりも増していて、ズキズキと脈打ち、焼けるように熱い。
額に汗が滲んでいるのを感じた。
けれど私の顔を覗き込むエリオットの方がよほど酷い顔をしているため、私は痛みを堪えて微笑んだ。
アンジェは部屋の入り口付近で、青い顔をして佇んでいる。
私は今にも倒れそうなアンジェに声を掛けた。
「アン……ジェ。心配しなくて……大丈夫よ」
「……」
アンジェは返事をする事なく、胸の前で手をぎゅっと握りしめた。
「レミーエ、すまないが、スカートをめくるぞ。傷口を見せてくれ」
エリオットが丁寧に、しかし迅速な動作で私のスカートをめくり、傷口を確認する。
私は痛みにかすかに顔をしかめたが、ぎゅっと奥歯を噛み締めて堪えた。
「おいお前、酒でもなんでもいい。傷口を洗うものと……針と糸を持ってこい。あと、清潔な布を」
エリオットの言葉に、アンジェは弾かれたように部屋の外へ駆けて行った。
針と糸……思ったより深い傷だったのか。
私はくらりと意識が遠のきかけそうになるのを必死に繫ぎとめた。
先ほどから痛みは増すばかり。
「レミーエ、ごめんな。少し痛むぞ」
言葉とともに、傷口に痛みが走る。
「レミーエ、ごめんな。俺が付いていながら、こんな……今は傷口を綺麗にしているんだ。少し堪えてくれ」
私は歯を食いしばって堪えた。
怖くて見ることが出来ないが、陶器の破片を取ってくれているのだろう。
呟くように言葉を落とすエリオットの横顔は、悔しげに眉を顰めていた。
「持って来たわ!」
その時アンジェが部屋に駆け込んできた。
彼女の持つ籠をひったくるように奪ったエリオットは、酒瓶を手に取って栓を抜いた。
彼の指示でアンジェが私の膝の下にタオルを入れ込む。
「染みるぞ」
その言葉と同時に、焼け付くような痛みが走った。
その後のことは、正直思い出したくない。
とにかく痛くて痛くて、怪我をした時よりも手当ての方が辛いのだという事を初めて知った。
怪我の処置を終えた私はそのまま意識を失ったようで、次に目が覚めた時には私の手をお母様が握っていた。
「お母様……?」
「……っ!レミーエ!痛みはどう?ああ、可哀想な私のレミーエ!」
お母様の赤く泣き腫らした目から、更に涙が零れ落ちた。
私はお母様の手を握り返し、安心させるように呟いた。
「大丈夫……泣かないで。こんなの平気よ」
私は強がって微笑んだ。
どうやら私は熱を出していたらしい。
体を動かそうとすると足がズキリと痛むし怠いので、しばらくはベッドで過ごすことになった。
それから何日かその部屋でお母様に看病されて過ごしてるうちに、祭りは終わってしまったようだった。
私の気掛かりは、エリオットの事だ。
目を覚まして以来、何故かエリオットが一度も会いに来てくれないのだ。
お母様に尋ねても、知らないとしか答えてくれない。
私が寝込んでいるうちに、何処か別の街に行ってしまったのだろうか。
商人の彼にとって、祭りが終わって客の減ったこの街にはもう用はなくなったのかもしれない。
仕方のないことだと思いつつ、取り残されたような寂しさで私の心はいっぱいになっていき、日に日に気持ちは沈んでいくばかりだった。
私の膝の傷はかなり深かったらしく、傷跡が残るだろうとの事だった。
私の体調が落ち着くと、嫁入り前の娘の体に傷がついたという事についてお母様は嘆くようになった。今までに見たことがないほどの悲しみようで、当の私もいたたまれなくなるほどだった。
「信用した私がバカだったわ。レミーエに怪我をさせるなんて、あの男……!」
お母様のいつもの嘆きだわ……と思っていた私は、その言葉にピタリと固まった。
「お母様?エリオットが、なんて?」
「その名前を聞かせないでちょうだい!レミーエをこんな目にあわせた男の名前なんて思い出したくもないわ!」
エリオットが私をこんな目に遭わせた?聞き捨てならない言葉に、私は目を見開いた。
「お母様、エリオットは私に怪我をさせてなんかいないわ。私が自分で転んでしまったからで、誰も悪くなんてないのよ。むしろ彼は手当てをしてくれた恩人よ」
「え……?でも、あの男は全て自分の責任だといって床に顔を擦り付けていたわ。彼のせいで怪我をしたので無ければそこまでしないでしょう」
半信半疑の様子で私を見返すお母様に、私は更に言い募った。
「彼は、私を守れなかった事に責任を感じていたのよ。この怪我は彼のせいでも……誰のせいでもないの」
お母様は瞳を揺らして戸惑った後、眉を下げて困ったような顔をした。
「そうなの……それなら、申し訳ない事をしたわね。彼は……エリオットさんは、あなたが眠っている間も毎日ずっと部屋の扉の前にいたのよ」
「本当に?!会いたいわ!お願い、エリオットを呼んできて!」
なんてこと!
エリオットはちゃんと会いに来てくれていたのだ。沈んでいた心が一気に浮上し、喜びが爆発した様に広がって私の胸を満たした。
しかし、お母様は悲しげに眉を下げるばかりだ。
どうして?
まさか……
「お母様……?エリオットは、もう……いないの?」
浮き立っていた気持ちが急速に凍えていく。口がカラカラに渇くのを感じる。
「彼は、一週間前に旅立って行ったわ。私が、責任も取れないくせに顔を見せるな、と言ったから……」
目の前が真っ暗になった。
エリオットは行ってしまったのだ。
お母様の……いいえ、お母様のせいでは無いわ。
お母様は、私の事を思ってくれていただけなのだから。
ああ、でも!
どこにもぶつける事のできない思いが私の中を駆け巡り、心がバラバラに砕け散りそうだった。
胸が痛い。こんなに胸が痛くなる想いがあるなんて知らなかった。
私、エリオットのこと……
いつの間に、こんなに好きになっていたの。
「レミーエ……ごめんなさい、私……」
お母様の狼狽えた声が聞こえる。
でも、今は何も聞きたくなかった。
口を開いたらお母様を責めてしまいそうで、私は何も言えなかったし、言いたくなかった。
「少し、疲れたみたい。眠るわ」
私はお母様に背を向け、ベッドの中で丸くなった。
お母様は暫くベッドの横に佇んだあと、静かに部屋を出て行った。




