18
ガタン!と音がして、階段の踊り場に現れたのは案の定、アンジェだった。
階下の私と目が合った彼女は目を見張り、私達はしばし無言で見つめ合った。
先に口を開いたのは、アンジェの方だった。
「……レミーエじゃないの。お久しぶりね。こんなところで会うなんてとんだ偶然だわ。平民に堕ちた気分はどう?」
憎々しげに私を見ながら言葉を紡ぐ彼女は、どこか陰のある厭世的な空気をまとっていた。
ゆっくりと階段を降りながら、アンジェは更に言葉を続ける。
「かつてはアルトリアの令嬢の頂点にいた『レミーエ様』が平民だなんておかしいったら!あはは、アンタもそう思うでしょう?」
彼女は私のすぐ目の前に来て、馬鹿にしたように下から覗き込んできた。
しかし、私の胸にはもはや彼女に対する怒りや憎しみの感情は生まれてこなかった。
ただ。哀れだな、と思った。
「そうね。私もあなたも同じ平民だわ。それより、ちゃんと食事はしているの?なんだか痩せたみたいに見えるわ。顔色も……」
「っ馬鹿にすんなよおっ!お前に関係無いだろうが!なんだよ、その目は!何なんだよ、お前!ふざけんなっ……!」
「やめっ……」
アンジェは私に向かって手を振り上げ、私は咄嗟に両手で顔を庇おうとした。
ガシャッ……!
その時、彼女の振り上げた手が花瓶にぶつかった。陶器の花瓶は床に落ち、大きな音をたてて砕け散った。
「キャアア!」
アンジェは悲鳴とともにバランスを崩してよろめき、陶器の破片の上に倒れていく。
「危ない……!」
その瞬間、考えるより先に体が動いていた。
私は膝をついて両手で彼女を支えた。
床についた膝から、ドレスに染みてくる冷たい感触がする。それに遅れてズキリと痛みが走った。
「怪我はない?」
呆然とするアンジェの背中をゆるりと撫でると、彼女は弾かれたように顔を上げた。
「なんで……なんで助けたのよ!助けて欲しいなんて、言ってない……!」
私を睨みつけようとして、失敗したのか。
アンジェの目からは、止め処なく涙が溢れていた。
「助けてなんて……言ってないわ」
その言葉とは裏腹に、私にはアンジェが助けを求めて叫んでいるようにしか見えなかった。
うら若い少女が身ひとつで外国に放り出され、一体どれだけの苦渋を舐めてきたのか。
少しでも状況が違えば、私だって同じ思いをしたかもしれない。
私だって罪を犯したのだ。
一歩間違えば国外追放になっていた可能性もあるのだ。
彼女の苦境を味わわずに済んだのは、国王陛下や王太子殿下の御恩情だろう。私はただ幸運だったに過ぎない。
「……ええ。あなたを助けたのは、私の勝手。私が助けたかったから。それだけよ」
だからもう、泣かないで。
私はアンジェを抱き締めた。
彼女はビクリと硬直し、やがてだらりと力を抜いた。
「レミーエ!大丈夫か!」
エリオットが転がるように階段を降りてきた。
慌てるエリオットに、私はニコリと微笑んだ。
「ええ。大丈夫。でも花瓶を割ってしまったわ」
「そんなことはどうでもいい!」
「ダメよ!弁償するわ。ご婦人の思い入れのある品を壊してしまったことはどうしようもないけれど……」
私は申し訳なく思いながら老婦人に視線を送った。しかし婦人は残念そうな顔付きながらも、緩く首を振ってくれた。
「いいのよ、お嬢さん。形あるものはいつかは壊れるものだわ。それより、血が出ているわ」
老婦人の言葉に、エリオットは目を見開いて私の全身を検分し、血の滲むドレスに目をとめた。
「なんだと!くそ、こんなに血が……!この女……!」
現場を見てもいなかったにも関わらず、エリオットはアンジェが何かしたと判断したようだ。彼は強引に私からアンジェを引き離そうと、彼女の肩を掴んだ。
「痛い!やめて!」
「ダメよ、エリオット。彼女もわざとやった訳ではないの」
「だが、そいつは嘘を吐いた。それに罪人だ」
もうそこまでわかっているのか。
納得できない様子で首を横に振るエリオットをひたと見つめ、私は言った。
「彼女が罪人ならば、私も罪人だわ。アンジェは、もう十分つらい思いをしてきたのよ。……少し、休ませてあげたいの。お願い」
アンジェを抱き締めたまま懇願する私を見て、エリオットは苦虫を噛み潰したような顔でしぶしぶ了解した。
「……わかったから、レミーエの手当てをさせてくれ。お願いだ」
「ありがとう、エリオット」
ホッとして気が抜けたのか、強く膝に痛みを感じた。
顔をしかめた私を慌てて掬い上げ、エリオットはアンジェについて来るように言って階段を駆け上がった。




