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かたす駅

作者: やまにく

  額に汗をにじませながら、森閑とした道を私は辿る。あたり一面真っ暗で人家の明かりはおろか車さえ全く見えない。歩きながら私は考える。ここが町はずれで、私がこのあたりの土地に明るくないことを棚に上げても都市部からそう離れていない場所であるに違いない。いくら寂れた町だって、駅前に客待ちのタクシーはないにしろ、自動販売機くらいはあってもよさそうなものだ。それが一切ない。人家こそ見当たるが、終電の時間を過ぎているからか明かりはついていない。支柱が木でできた旧式の電灯が、かなりの間隔をあけて不規則にぽつねんと立っている。

 「モウッ」と遠くで牛のような動物の鳴く声がかすかに聞こえた。私は不安に駆られた。

 私は健康食品の販売会社に勤務し、今日もいつものように仕事を終え、終電に十分ほどゆられながらアパートのあるK駅で降りるつもりだった。仕事柄忙しく、例にもれず今日も終電に乗り、折よく席に座れたのだが、一日の疲れからまどろんでしまった。まどろんでしまったというのは、少し眠っただけのつもりだったのに、はっと目を覚ましたら、いつの間にか終点に着いてしまっていたからだ。見れば乗客は私と和装の老婆、セーラー服を着た女学生だけであった。駅のホームには古めかしいポスターが掲示された、自動改札さえない無人駅であった。電車一本でここまで古びた町に着いてしまうものかと、呆れたものである。いったい何時に家につけるだろうと、私は睡眠時間を指折り数えた。

 明日の仕事が思いやられた。というのも駅前に出てもタクシーすらなく帰る手立てが皆目みつからないからである。これには地方のドーナツ化現象の深刻さをまざまざと見せつけられた感があった。

 電車で乗り過ごしたという愚かな理由でなくても、入社一年目の若輩者に私情での遅刻は許されない。私がこの地方都市に飛ばされたばかりで、土地に不慣れだからといって、情状酌量の余地はない。すし詰めの電車で定刻の一時間前に出社し、激務をこなし、終電という揺りかごに揺られながら帰路に着くというひどく愚かなサイクル。私はこの土地で、少なくとも5年、安月給で馬車馬のごとく働くという、この愚かな生活のサイクルを繰り返さなければならないのだ。

 汗をかいた身体はべとべとしている。夏の蒸し暑いこの時期に、始発を待つというのはまず考えられない。

 ケータイを取り出しタクシーを呼ぼうとして愕然した。なんと通信圏外だったのである。今時、電車一本で通信圏外の田舎に来てしまうなんて、地方とは恐ろしい。この周辺に住む人はどんな暮らしをしているのだろうか。

 とにかく、私は帰らなければならない。そして少しでも長く寝て、会社に行かねばならないのだ。私はタクシーを探すべく、国道とおぼしき道を歩くことにした。

 私は終電を逃し、明日の仕事をどうしようと焦燥感にかられ、家に帰ることばかり考えていたが、歩き始めていささか冷静さを取り戻した。冷静になって状況を整理してみるとこの駅、それを取り囲む町にはおかしな点がかなりある。

 まず、この終点の駅名には「かたす」とあった。私は知らない駅に来てしまったと思ったが、私が乗っていた電車の終点はF駅という名前であったはずなのだ。では乗る電車を間違えたのか。それはあり得ない。私は確かにいつものように、機械的に同時刻の見慣れた列車に乗り込んだのだ。まどろむ前に、確かにいつも聞く駅名が車内にアナウンスされていたことも記憶している。

 次に、駅そしてその周辺が妙に古臭いのである。駅の掲示物は写真ではなく、昔の映画のポスターを彷彿とさせるようなものだったし、駅舎など木造建築のあばら屋でよく現存しているなという感想を抱くほどの建物だった。とにかく、ことごとく古臭いのだ。

 現に私が歩いている道なんてアスファルト舗装すらされていない、土の地面。左側には見渡す限り、田園風景が広がっているのだということが、月明かりに照らされ辛うじで分かる。右側には、集落と呼ぶにはあまりにこころもとない、人家がぽつりと建っている。日本広しといえども、ここまで時代を感じさせる景物、風景があるものだろうか。まるで昭和初期にタイムスリップしてしまったような……。

 私はなんだかゾッとした。タクシーなんて見つかるわけがない気がした。家に帰れないのではないかと思った。

 「モウッ」と先ほど聞こえた牛のようなものが鳴く声がさっきより、近くで聞こえた。その声が警鐘のように聞こえた。そう、私はこのまま歩き続けても、決して……。

 ここは果たして現実世界なのだろうか。そんなファンタジーのような非現実的なことを考えてしまう。

 ともかく先には進んではならないような気がする。じっとして、朝を待とう。私を恐怖させているのは、この見慣れぬ片田舎の暗闇なのだ。そうに違いない。

 私はこの暗がりが怖い。人間というものは本能的に暗がりを恐れるそうだ。加えて私は街という一時も眠らない場所で生活をしていた。明るいところに行かなければおかしくなってしまう。

 明るいところ、そうだ、電灯の下がいいだろう。なおかつベンチなどがあればいいのだが。ひとまず腰を落ち着けたい。

 少し先に折よくベンチが見つかった。電灯の下にぽつんとベンチが設えてある。汚いベンチだ。普段なら、絶対に座らないが、ひどく疲れていて、そんな場合ではなかった。私は足早にそのベンチに腰掛けた。気づけば身体は汗でびっしょりである。ひどくのども渇いている。腕時計に目をやると針は二時過ぎを指していた。

 ベンチに座りながら、私は独り泣いた。このどうしようもない不安。誰も助けになど来ないという不安。そして暗闇への恐怖、また孤独への恐怖。

 ああ、私はなんて孤独なのだ。都会にいれば、確かにせわしなく日々は過ぎていきそんなことを考えるゆとりはない。さらにいつでも明るい街は自身の孤独を表面的に紛らわせる。しかし、そんな生活は欺瞞ではないか。会社では互いを高め合うと謳っているが、実情は同僚と距離を置き牽制しあい、営業成績を競い合うという争いに身を投じ、上司にはおべっかを使い、いかにうまく立ち回れるかあくせくする。もし成績が悪かったり、上司の気を悪くしたら、灰皿が飛んでくる。時間外労働なんかは当たり前。

 そんな仕事のストレスを安酒で癒し、眠る毎日。土曜日曜も接待やクレームの対処に追われ、おちおち休んでなんかいられない。

 どうして私はこんなに苦しんでいるのだろう。生きるとはこんなに苦しいのだろうか。

 その時、「モウッ」とすぐ後ろで声がした。

 驚いて顔を上げると、目の前に少女が立っていた。久しぶりに人を見た気がする。

 「お兄さん、しんどそうな顔してるね」

 「そうさ。けどお嬢ちゃんこそこんな時間に出歩いて。家の人が心配するだろう。そんなことよりお嬢ちゃん、僕はね、家に帰れなくて困ってるんだ。よかったらこのあたりにある交番を教えてくれないかい」

 よく見ると少女はお下げ髪にモンペを履いた、明らかに古めかしい格好をしている。しかし、その恰好は風景にとてもよく馴染んでいるように見えた。

 「お兄さん、どこから来たの」

 少女の声は覚えた台詞を拙くそらんじる、学芸会の劇のようだった。明瞭な違和感を抱いたが、私は渡りに船と、少女に案内を乞うた。

 少女は莞爾と微笑んで、くるりと身をひるがえした。お下げ髪が揺れる。

 ふと、古びれた電灯を仰ぎみるとクモの巣が張っていた。そこには蛾が掛かっていた。

 少女はなにも言わず、歩き始める。

 私は、事態の好転の兆しを感じ、少女の後をついていく。無事家に帰れたら、まずは眠ろう。今日くらいはクーラーをつけて、朝まで……。

 随分長く歩いている。もう、十分くらいになるだろうか。人家すら見えなくなった。それでいて電灯だけは相変わらず、不規則に並んでいるので歩くのにそこまで不自由はない。  

 ふと腕時計を見ると、針は六時を指していた。寒気がした。いくらなんでもベンチに座ってから四時間も経ったなんてそんなバカなことがあるわけない。

 じとりと油汗がにじむのを感じながら、いったいいつまで歩かせるのか。そう少女に問い掛けようとする。ところがのどに痰が絡んでうまく声が出ない。

 いや、もう声が出て、何かを言ったところで何の意味もないだろう。

 途端、少女がこの世の者ではないような気がしてきた。そもそもはじめから違和感はあったのだ。「かたす駅」という得体の知れない駅に降りてしまったあの時点から。

 目の前には何時の間にか大きな洋館が建っていた。さきほどの風景からするとやけに不似合いである。その洋館には見覚えがあった。

 もう引き返せないところまで来てしまった。私は確信した。

 「着いた」

 少女が足を止める。その声はしわがれていてとても低い。もうそれはさっきの少女ではなかった。

 やおら振り向く。今度はお下げ髪が揺れることはなかった。

 老婆は私に低い声で言う。

 「あの時はようやってくれたのう。えらく痛かった。めった刺しにしよったね。今からあんたを片すけぇの。覚悟しんさいよ」

 眼窩は落ちくぼみその表情は読み取れなかった。

 しかし間違えようがない。

 私が訪問販売した際に揉めて口論の末、殺し挙句家財まで盗んだあの家の老婆。

 逃げようとしても身体が言う事をきかない。老婆の手で身体にナイフが突き刺さる。

 薄れゆく意識の中、私はようやく「かたす駅」の意味するところを理解した。

  


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