七章 蒼き流星
ラプラスとは彗星の名前である
見張りの一等兵が証言するには、暗殺者と見られた四人の人間は、捕らえられていた檻の中で跡形もなく崩れたと言う。
現場に駆けつけた三人が目にしたのは、空になった檻の壁に浮き出たラプラスという文字とその脇に描かれた紋章に、スピカとゼルフィンドの二人は目を見合わせる。
ラプラスは大陸でも有名な悪党であり、移動集団である。
団員の顔は割れていても、名前や素性が一切不明であり、主に政府組織に対して不正を働く一味である。
大間かな噂と事実として、規模は未知数であり、神官組織の内部を本拠地にしている悪党で、唯一、公の事件は、十年前にこの街、ラグトバークシティにある裏路地。通称死神通りで、政府の長官と麻薬取引をした事件だけである。それも、首謀者までは辿り着けず、ひとりの巡査の死を持って隠蔽された事件である。
その麻薬取引については、監獄島に残るヒル・マクドルが調査をしている。無論、大陸でも内密に捜査されている悪党である。スピカとゼルフィンドがラプラスの名に敏感になるのはその為だ。
「これ。島で詐欺師がぼやいてた集団だな」
「隊長。わかるんですか」
理解していないと思われていた彼からの言葉に、スピカは目を円くして聞き返す。
「お前。聞いてないのか。詐欺師が何回か言ってたのを」
詐欺師と言う響きにゼルフィンドが疑問符を投げると、スピカが丁寧に答えた。
「隊長を狙うといいますか、隊長をどこかへ連れていきたいという悪党のことです。名前はブギル・クラフトと名乗っています。どうして詐欺師かといいますと、ブギルさんは、エチュード師なんですよ」
「なんだそりゃあ」
ゼルフィンドが素直に聞き返す。
「話すと長いので、簡単に言うと、サイレントの偽物です」
「そんな説明でわかるかい。俺ら格闘家はそれ系の階級とは皆無なんでな」
ゼルフィンドに苦笑い混じりで言われ、スピカも困ったように頬を軽く掻き、ゆっくり、噛み砕いて説明した。
「つまり、ブギルさんは、格闘家でいうチャンピオンの偽物なんです」
「如何様してチャンピオンの座に居座ってるって言うのか」
「はい。実際は鼠が狼の皮を被ってるだけなんです」
「中身は弱いと言うんだな。見せ掛けだけの奴なのか」
「ええと、でも、技術はあるんです。種力も軍に仕える種師程あります。それでも、やっているのはチャンピオンの偽物です」
ゼルフィンドは、スピカの説明に納得したように頷いた。
「指名手配書は作成されています。島へ問い合わせてください」
スピカが答えるとゼルフィンドは手を打った。
「そうか。良くわかった。ラプラスの手掛かりになる男だ。ギルにも調べるよう伝えよう」
「ありがとう御座います。助かります。ええと、ヴォルラスさんは、もうそろそろ港にお着きでしょうか」
スピカは丁寧に礼を述べた後、船でやって来るという弟の話に切り替えた。
「おう。そろそろだな。俺も仕事この惨事の資料制作がある。また、何時でも連絡くれ」
スピカと彼の後ろに見える時計を一瞥し、ゼルフィンドはその場を去った。
「詐欺師の説明、あれで良かったのか」
二人の話を暇そうに聞いてた彼が、檻に浮かぶ文字を指で触りながら聞いた。
「確証はありませんよ。ブギルさんの攻撃は受けてみないとわからないというのが事実ですから」
「だよな。詐欺師が発動する瞬間がわからない。多分、そう説明しても軍兵が分かるとは思えない」
彼が珍しく喋り、極論を言うとスピカは微笑み、荷物をまとめましょうかと先を促した。
その後、深夜の最終船が着くまでに港へと向かう。
荷物は肩掛け鞄とスーツケースだけで、中身は二、三日分の着替えと財布、ポケベルと呼ばれる通信器具だけである。
二人が港に着くと船が着港し、中から朝仕事の為にだけ乗船した客が下りてくる。
その中からアタッシュケースを引いて眠たそうな表情をしたヴォルラスの姿を見つけて二人は後を着けた。
「何故あなた方がおられるんですか」
港から離れた矢先にヴォルラスが、苛ついたように振り向いた。
声を掛けそびれていたスピカが、苦笑い混じりに、振り向いたヴォルラスにスピカが駆け寄りゼルフィンドからの伝言を告げると、流石に眉を顰めるヴォルラスのが落胆した顔でいう。
「ゼル兄さんは、心配しすぎなんですよ」
「そんな訳で、ご同行しますね」
スピカの顔を見返しヴォルラスは更に難しい顔をした。その意図はスピカも察して目を伏せた。
「まあ、良いですけれどね。朝一の汽車で実家へ向かうつもりです。まだ時間はありますがどう致しましょうか」
「そうですね。切符の手配もありますので、できれば駅に直行しませんか」
ヴォルラスの答えにスピカが間を空けて言い、青いバンダナとサングラスをいじりながら街を見回している彼に振り返り呼ぶ。
「隊長。行きますよ」
彼は返事をせず二人の後に続いた。
駅までの道のりは、余りに静かだった。
三人は特に会話する理由も無く、闇に浮かぶ淡い光がうっすらと煉瓦道を照らすだけだった。
やがて、大陸の汽車がたどり着く場所に三人は現れた。
ラグトバーク駅は、大陸の中で三つ目に大きな駅である。一番大きな駅は南にある駅だが、彼ら三人が向かうのは、この駅から七つ離れた東国の国境付近の駅である。
その日は、朝まで駅の待合室で過ごし、三人は汽車に乗る。
スピカが切符の端に添えてある席番を探して荷物を棚に置こうとするのをヴォルラスが代わりに棚に載せた。
スピカが窓際に座りヴォルラスに向かい合い礼を述べる。
「いえいえ、構いません。それより、これからどうしますか」
「そうですね。夕べ考えていたんですけど、遠回りになりますが神官領域は避けたほうが良いと思います」
ヴォルラスが話を切り出すとスピカが申し訳なさそうに喋り出す。
汽車から降りた後は馬車か徒歩の何れかで、ヴォルラスの実家がある地区まで行かなければならない。それは夕べ、彼が寝た後にスピカがヴォルラスに確認した事実だった。
そこから地図を眺めて、進路を幾つか組み立ててた結果を簡単に言うと、ヴォルラスも納得したように頷いた。
それをみたスピカが安堵したように笑う。その隣で、明らかに話を聞いていない彼は、汽車が動き出すより早く、眠りについていた。
「大陸でもそうでしたが、隊長さんは本当に楽観的な方ですね」
ヴォルラスが、そんな遠回りの原因を一瞥して言った。
「隊長。島から出るのは初めてなんですよ。船の時からはしゃいでいたので、疲れたんでしょうね」
「そうですか。おとなしいに越したことはありませんよ。スピカさんも夕べはあまり眠られていないのではないですか」
ベルが鳴り、動き出した汽車の奏でる音を背景に、窓の景色が流れ始める。
「大丈夫です。少し、お腹が空いていますけど」
「そうですね。もう少ししたら食堂車にでも行きましょうか」
現在大陸に存在する汽車は、路線普及と駅の数の関係から、数える程度しか運転されていない。
汽車の車両は十二ありその一車両目は特別室、二車両目から六車両目には個室と一般座席が備えられ、七車両目に食堂車、八、九車両に寝台車、十から最後尾の貨物車両の計十二車両と機関室と運転室で構成され、一車両に約五十人近くの客が収容できるようになっている。
個室の数は、六部屋。何れも四人が座れるような形である。後は一般座席となる。
彼らが座っているのは、一般座席の四人掛けであり、周りにも何人かの客が座っていたが、幸いにも政府、神官関係者の乗車は無かった為に、スピカもヴォルラスも気は楽であった。
それというのも、政府職員と神官職員が乗り合わせたことで様々なトラブルを招いた話が多数あり、鉄道関係の規約や運営改訂法案が論議されている事態に陥っている。また、鉄道関係を仕切る分野においても、政府側の援助を受けるか神官側の援助を受けるかはたまた個人運営で行くかを迫られているのが現状で、種機機関車の旅もあまり平和な旅とは言えないからである。
ところで、汽車のタイムテーブルは、一応の目安で組まれていたが、実際に運転する結果、そのようなトラブルに見合い余り宛にはならないのが事実だった。
それでも利用者が後を絶たない理由は、汽車以上に早い移動手段が無いと言うことにある。
その上、深夜運行で物資を運べる乗り物としての価値は多大な物扱いであった。
座席の色は枯れ葉色をしており、窓枠は赤い。外装は、漆黒に塗られた十二の車両は、一際、汽車の存在を輝かせている。
一部の汽車マニアに言わせれば、黒い太陽とか黒い稲妻、黒い宝石と呼ばれるような代物でもあり。高級品として扱われる存在でもある。
汽車の動源は、車掌の持つ種力と呼ばれるものと、技術だ。車掌となるにはそれ専門の教習所を出る義務がかせられている。 兎に角、そんな汽車の旅を続けること半日、デビス平原を越え三つ目の名もない駅にたどり着いた時、彼が目を覚ました。
スピカが、彼の目覚めに気付いて視線を向ける。
「ん。あれは」
斜め向かいに座って居たヴォルラスの姿がいないいことに、彼はサングラスを掛け直して聞いた。
「ヴォルラスさんなら、食堂車へ行きましたよ。僕もお腹空きました。ご飯食べに行きませんか」
スピカの答えに、彼は小さく頷いて立ち上がった。
車内は静かで、汽車の揺れも気にはならない。
汽車は鉄橋を渡り次の駅を目指して、ひた走る。
「まだ着かないのか。飽きた」
食堂車までの狭い通路歩きながら、彼がぼやくのをスピカは後ろで聞いていた。
その時、前方からヴォルラスが駆けてくる。
「隊長さん。スピカさん。次の駅で降ります。支度してください」
「どうしたんですか」
スピカがすかさず聞き返すと、ヴォルラスが苦笑を浮かべた。
「それが、あなた方の乗車を追って来た奴らが居るようです。先程聞いたラプラスという団体の一味だと思うのですが」
乗っていた車両まで後戻り、荷物を持ち直した三人は、いつでも飛び出せるようにと、降り口付近へ移動した。
汽車の速度は大陸一の速さを持つ代物である。飛び出すにはかなり勇気のいる行動だ。 乗っていた車両まで後戻り、荷物を持ち直した三人は、いつでも飛び出せるようにと、降り口付近へ移動した。
汽車の速度は大陸一の速さを持つ代物である。飛び出すにはかなり勇気のいる行動だ。
「だけど、良くおわかりでしたね。敵の顔でも知ってらしたんですか」
スピカの小声の問い掛けに、ヴォルラスは目を線にして答えた。
「ブギル・クラフトとその連れですよ。幸い、私と同行してることには気づいていませんでした」
「詐欺師は場所選ばないからな。別に逃げなくても良いんじゃないか」
彼が面倒そうに言い放つと、ヴォルラスとスピカは声を揃えて同じことを言った。
「駄目ですよ。他のお客さんに迷惑が掛かりますっ」
彼はそんな二人に一瞥くれて、何時の間にか速度を落とした汽車のドア視線を移した。
閉められたドアは、手で鍵がかけられているだけで、壊そうと思えばいつでも壊せそうだった。
トアロドシティの駅に着くと三人は足早に汽車を降り、駅を離れた。
その後、今日の宿を決めた三人は、ネット新聞夕刊の記事で自分達が乗っていた汽車で、貨物強盗が起きたことを知ることになる。
『種機科学機関車貨物強盗襲撃事件』
【本日未明、ラグトバークシティ発車の汽車104号において、貨物強盗事件が発生した。
犯人は、無数であり何れも覆面と手袋を填めており、反抗手口極めて鮮やかなものであったと、乗り合わせていた当局の新聞記者は語る。
そのほか、目撃証言によれば、犯人達は乗客に危害を加える様子は無く、貨物車両のみを襲撃し、後に駅員が貨物ナンバーを確認したところ、貨物車両が荒らされていただけで、盗まれた品物は無いと言う。
現在、政府軍警備警察組織と神官兵組織が事件捜査権利の口論をしつつ、事件の概要と被害を調べている】
ネット新聞記者 ハルテア・テノス
「ブギルさん達の仕業でしょうか」
スピカが、パソコンの画面を開いたまま呟く。
「多分そうなるとは思いますが、解決はしなさそうですね」
食後の紅茶を口にしヴォルラスが答えると、スピカは大きな溜め息をついた。
「ラプラスの目的がわからないです」
「そうですね。隊長さんを狙うならわかるのですが」
「まあ、どうでも良いだろ。とりあえず、飲みに行く」
深刻な顔をする二人を余所に、彼は部屋を出ようとした。
「待って下さい。今日はおとなしくしていてください」
スピカが慌てるように言うと、彼は被っていたバンダナを取り外して、振り向いた。
「そう言われても、暇なんだよな。俺」
「お酒なら此処に運んでもらいますから」
スピカの対応は早い。彼とヴォルラスを置いて、部屋を出てしまう。
「それを外したと言うことは、外にでる気は端からありませんでしたね」
「まあな。あいつ偶に、馬鹿だから。それより、なんて名前だっけ。あんた」
初めて、笑うヴォルラスに彼は聞く。
「ヴォルラス・ローレンツです。名乗りませんでしたか」
紅茶カップを机に置き、改まった口調でヴォルラスが答える。
「ヴォルでいいか」
青のバンダナを枕の側に投げ捨てて、ベッドに座り彼は端的に言った。
ヴォルラスは、特に気に掛ける様子もなく頷いて、愛剣レイラを腰から外して側に立て掛けた。
「アスカが通う学校の先生だよな。休暇扱いか」
「そんなところですね。早く終わらせて島に戻りたいのですが」
本音を言い、軽く伊達眼鏡を押し上げたヴォルラスは無視して、置かれた剣を真面目な顔で彼は見据えている。
「なあ。その剣珍しいものだよな」
「実家の家宝で、レイラと言いますが、それが何か」
「何人殺した」
余りにも素っ気ない口調で問われ、ヴォルラスはカップを持ち上げたまま視線だけを彼に移し、閉口した。
「長い間抜いた形跡がないから、随分前の話だろ」
彼の暇から来る洞察力にヴォルラスは、目を細め吐き捨てるように言う。
「よして下さい。余り、良い思い出はないので」
「それなりに、腕はあるとみて良いんだな。それからさ。さっき食堂車に行く振りして、そいつを持って来たんだろ。一体なんの為だよ」
「車内でいざこざを起こしたく無かっんですよ。無駄な被害をだすよりはとおもいましてね。その時、貨物車にはなんの異変もありませんでしたがね」
彼がそう言い、ヴォルラスがカップを机に戻し小さく言ったその時、酒を盆に載せたスピカが顔を覗かせた。
二人のは話はそこで途切れ、これからの針路を決める会議に縺れ込む。
三人が道順を決め、酒の入れ物が空になった頃、月は傾き掛けていた。