第九章 シフトの国 後
不思議な国の実体とは……
あなたは、破壊と生存どちら派ですか?
スピカが即座に、少女を追い掛ける。
彼は、その場からバルコニーへと身体を向けズレたサングラスを跳ね上げた。
バルコニーから落とされる黒い眼差しに、余裕綽々としたブギル特有の影がある。
彼にはそれが気に食わない。
「あの竜も、無気味な実体だな」
カゲロウの呟きを彼は眉ひとつ動かさず聞いて、ブギルの佇むバルコニーへと脚力だけで舞い戻る。
ブギルは、白いドラゴンの首根を抑えたまま、部屋へと下がり彼を招き入れる。
部屋では相変わらず形の無い滑稽な代物が浮いていた。
カゲロウの話が本当なら、それは箱であると言う。だが、どんな箱かは想像もつかない場所で、物体は変異を遂げていた。
「あの少女を手に入れる為にはどうしても必要でね」
後退り、間合いを計りながらブギルは言葉を紡ぐ。
「なんでだよ」
彼は流石に聞き返した。
「依頼の数は聞かないでくれ、とでも言うべきかな」
ブギルは、小さく笑い肩を竦めるとドラゴンを揺らして言い放つ。
「セスナあっ」
ドアが開き少女が飛び込んで来ると、ドラゴン、セスナはブギルの手の中でもがきだす。
それを無理やり押さえ込みブギルは、少女に微笑みかけた。
「別になにをするって分けじゃない。少女君に用事があるんだ。私と一緒に、リムへこないかい」
リムと言う響きにスピカと彼は一瞬訝しげな表情を浮かべた。
リムとは、ラッドサンド大陸に伝わる伝説の都である。名前事態は有名だが、その都の本質は未だに立証されていない。
「夢物語もいい加減にしろよ。詐欺師。流石に、笑えない」
彼は、踏み込む一歩手前で踏みとどまっていた。なぜなら、先程から桃色鸚哥が羽をはためかせて彼を見据えていたからだ。「芸術品も、そこへ招くつもりなんだけどね」
セスナをぶら下げてたまま意地悪く笑い、ブギルはここぞとばかりに繰り返してきた目的を口にした。しかし、彼は聞いていない。既に、ブギルに殴り込む隙を淡々と狙っている。
「無駄だよ。この空間は私の管轄にある。それは君たちが良く知っているっ」
言葉尻が消えたブギルが後ろにすっ飛び、物体に激突した。
「痛いっ」 しかし、悲鳴を上げたのはブギルではなく、少女であった。
床にうずくまり腹部を抑えてぐずり出す。
「大丈夫ですか」
「痛いよおっ」
近寄ったスピカにしがみつき、少女はしゃくりあげる。
「隊長。一体、なにをどうしたんですか」
「だから、詐欺師を蹴り飛ばしただけだろ」
「なら、どうしてこの子が痛がらないといけないんです」
スピカの蒼い瞳が彼に問い掛ける。
「知らない。知るかよ。俺は無実だ」
半逆ギレを起こして怒鳴りつけ、彼は起きあがれずにいるブギルへと歩み寄る。
刹那。
桃色鸚哥が彼を横切り、疾風を生み出した。
彼は呆れた溜め息を漏らして、切れたコートを一瞥する。
「高いんだぞ。これ」
出た言葉は、冷たい響き。
「値段んなんか知るわけ無いだろう。手加減、げほおっ」
抗議し起き上がっろうとしたブギルの腹部、先程と変わらぬ位置を蹴り付ける。
だが、今度は何も起きない。
少女もきょとんとした顔で、のけぞったブギルを見ている。 スピカが続け様に攻撃を加えようとする彼に組み付くと、彼は面白くなさそうに動きを止めた。
「関わらずに、もう此処を出ましょう」
「だな。そういえばヴォルは」
「えっ。僕は会ってませんよ」
間髪入れずに交わされる言葉を後目に、少女は、セスナを呼び部屋から出ようとする。
「待てよ」
彼が気づいて制すると、少女はセスナを抱き締めたまま、振り向いた。
少女の瞳孔が一瞬開き、譫言のようになにか呟き始める。
「少女さん、僕達と一緒に着て頂けませんか」
スピカが怪訝な表情を浮かべた後に、本題を口にした。
だが、少女は取り合う様子もなく壊れた響きを呟き続けている。
返事もない少女にスピカが恐る恐る近づこうとするのを、彼が止めた。
彼なりの堪が、少女の背後にある危機を察したのである。
「壊れちゃえ。みんなみんな消えちゃえっ」
「どうしたんですか。今度は」
スピカが慌てふためいて状況を見つめた。 だが、少女はスピカの言葉を認識していない。 少女に触れようとしたスピカを、セスナが威嚇する。
「消えちゃ、え」
茶色の眼差しが、スピカに向けられると、いきなり少女の姿が消えた。
「ええええっ」
驚愕の声を上げたスピカは、眼鏡を摘み少女とセスナが居た場所を見つめる。
「ガキが消えた」
状況を簡潔に説明した彼が、スピカの隣に佇み視線を何もない場所へと移す。
言葉通り消えた空間にはやはり何も異変は無い。
ブギルは、先程の打撃で未だ白目を剥いたままである。
あの不思議な物体は、また、形成を保とうと集まり始めていた。
暫くの沈黙を経て、カゲロウが姿を見せる。
「不確定生物二体、逃走」
彼とスピカは入口に佇むカゲロウに俄かに警戒心を持つ。
「排除の間違いじゃないか。爺さん」
息を吐いて問い掛けた彼に、カゲロウは気味の悪い笑みを返した。
軽く、床をステッキで小突くとあの口では説明し難い螺旋が一本の帯となる。
「爺さん、なに」
とっさにスピカの腕を取り、カゲロウから離れた彼が聞いた。
「管理者。そう名乗ったばかりのような気がするがの」
「なんの」
「国の」
カゲロウの答えは素っ気ない。
バルコニーに追い詰めるよう、光の刃が降り注ぐ。
彼はスピカの腕を取ったまま、刃から逃げていたが、その背中にフェンスが当たると、俄かに眉を潜めた。
中庭には何時の間にか住民の影がある。スピカがちらりと中庭を覗いて、その半端ではない数に苦笑いを浮かべた。
彼はスピカの前に立ちはだかり、爪先で床を軽く蹴り付けると、攻撃を仕掛けてくるカゲロウに殴りかかった。
「隊長っ」
スピカが叫んだ時にはもう遅い。
カゲロウに彼の拳がめり込むような錯覚に襲われた。
「爺さんこそ、不確定生命って言わないか」
殴りかかった彼も、カゲロウになんの打撃も与えられないことに気付いて毒づく。
「お主は、認識範囲圏内。ぎりぎりの」
カゲロウはステッキを振り払った。
しかし、彼にはなんの痛みも走らない。
ステッキは彼をすり抜けて、空に静止した。
物理的攻撃は、互いに無効可だと気付いて二人は離れる。
スピカだけが、事態に追いつけずに、バルコニーの下と戦う二人を交互に見つめていた。
それでも、カゲロウが放つ種力と呼ばれる未知なる力の粒が具現化されると、彼の身体に傷が付く。
「ぎりぎり認識って。コルクが壊れてたりしないか」
「さあの、メンテは数万年前に儂を残した人間がしただけだ」
「爺さん、実は機械か」
再度、身体を射抜こうとする光の束から難なく逃げた彼は、体制を整え直して手を打った。
「そうだったかの」
特に考える間も無く、カゲロウは疑問符を返した。
一般的に見れば広い部屋も、戦闘となれば姿を変える。
カゲロウの度重なる攻撃が、次第にバルコニーに異変をもたらした。
「崩れますよっ」
バルコニーと部屋を繋ぐ場に亀裂を見つけたスピカは、フェンスに捕まったまま、忠告の声を上げた。
しかし、二人には届いて居ないのか、彼とカゲロウの激戦は止まらない。
騒ぎに乗じて、中庭でも野次馬係りが好き勝手に囃し立てる。
スピカはその最中に鐘の音を聞いた。
人々が入れ替わる時、どこからともなく聴こえる音を辿り目線を向ける。
下ばかり気にしていて見えなかった鐘付き堂が、バルコニーから見て取れた。
恐らく、そこに付けられた鐘が、このシフトの国になんらかの影響を及ぼしているのだろう。
バルコニーの亀裂が大きくなり、スピカは俄かに顔を引きつらせた。
動くに動けず、フェンスを握り締める手に力を入れて、スピカは次の衝撃に目を瞑る。
カゲロウの放った光の矢が、バルコニーに止めを突き刺すと、気持ち良い破壊音が鳴り響く。
スピカはそのままバルコニーと落下した。
「副?」
彼の呟きが朧気な意識の奥に響く。
「スピカさん。お怪我は」
その直後に、ヴォルラスの声が降りスピカは目を開いて状況を整理した。
どうやら、ヴォルラスに助けられたらしいと気付いたスピカは、彼とカゲロウの闘いを口早に説明する。
「隊長さんなら、まだ、上ですよ。加勢に行きますか」
ヴォルラスも、闘いが始まった頃から幾分予想を付けていたらしく、音が重なる屋敷に目配せする。
「いえ、この国の実体も良くわかりません。それに、何故、いきなりカゲロウさんが攻撃を仕掛けてきたのかも」
「カゲロウさんとは先程説明に出てきた老人のことですか」
「はい。それに、少女さんとドラゴンも消えてしまいました」
ヴォルラスに抱きかかえられたまま、補足するように言って、スピカは慌てるように
「もう大丈夫です」
と告げる。
「すみません。私も、スピカさんを探す次いでに、国の様子を見ていたのですが、やはり、御伽噺に聞いた『シフトの国』の可能性が高いと判断しました」
スピカは、尚も響く轟音に眉を顰めつつ、ヴォルラスから気持ちひとつ分離れて疑問符を浮かべた。 ヴォルラスが言うには、昔、それも数万年前。
まだ、パソコンが無限記録掲示板装置と長たらしい名前で呼ばれていた時代で、種がまだ、魔法と呼ばれていた世界での話である。
深い森の奥に、国を構えた王が居た。
しかし、王は王の職を誰かに変わってもらいたがっていた。なぜなら、毎日がつまらなかったからだ。
国もひとまず安定期に入った頃、王はひとりの科学者に国を管理するパソコンを開発するように命じた。
その際に、王はとんでもない企画案を掲示したのである。
──国人全員が国の職に関われるようなプログラムを作ってくれないか
──国人全員が国の職に関われるプログラムですか。一体どう言うことでしょうか
科学者が恭しく尋ねると、王は楽しそうに笑い言った。
──生きている内に幾つもの職を経験することは有意義だ。そうだ、鐘の音が良い。鐘が鳴ったら目の前に居る人間と入れ替わり、その仕事を引き継がせる国に私はしたいのだ。毎日、毎日、同じ生活はしたくないからな
科学者は勿論、家臣も重臣も呆れたが、職が入れ替わると言うことはいずれ自分にも王の座が回ると言うことに、欲に目を眩ませた人間達が、王の意志を尊重し、無理やり科学者にそんなプログラムを作らせた。
プログラムができ、法律改定が行われ、それからしばらくはシフトの国として国は存続したのだが、やはり諸々の事情と兼ね合いが計れなくなり、国民が暴動を起こすようになった。
挙げ句の果てに、王が亡くなり、後を次いだ息子がシフト制反対を貫いていた娘に精神的に追いやられ、いよいよ統率は乱れた。
王より長生きした科学者は、そんな国の廃れ具合を嘆いて、死ぬ直前にパソコンに最後のメンテを行った。
メンテとはパソコン機能をより充実させる為に行う作業で、科学者が施した処置は国の状態を一部始終記録できるようにするシステムであった。
そして、科学者はひとつの願いをパソコンに封じ込めたという。
パソコンは、国が完全に機能しなくなってもなお、深い深い森の一角で、その願いが叶うことを待っていると言う。
「科学者が、封じ込めた願いですか」
ヴォルラスの話を聞いてスピカは聞いていた。
その間にも、物理攻撃の効かない闘いが、屋敷を破壊しながら続いている。
時計台の鐘の音も規則正しい音色を奏でて、ホログラフィと呼ばれる幻影を具現化した人間達を次の職へと誘う。
野次馬を抑えていた兵士が野次馬になり、野次馬が兵士と成り代わり、それを人々はなんの疑問もなくやってのける。
その表情は、無表情で、スピカは思わず身震いした。
「その願い、なのですが。一般的には科学者の怨念と聞いています」
「ヴォルラスさん物知りですね」
「兄が民俗文学に凝っているんです。ただ、それだけの理由ですよ。私はどちらかと言うと理系専門ですから」
スピカは頷いて、敵意を持ち取り囲む人々を恐々と見つめた。
「鐘を止めますか。いちいち入れ替わりが起きては面倒ですから」
ヴォルラスの案に便乗し、スピカは鍵詞と呼ばれる種術を簡単に引き出せる呪文を口にすると、鐘付き堂へと走りだす。
「それから、パソコンの名前はカゲロウ。当時の技術では珍しく無い機能を持っていたと書物の端に書いてありましたよ」
ヴォルラスが振るサーベルに似た細身の剣すら効果が無いのか、立ち向かって来る敵に幾ら突き刺しても空を切る感覚が残るだけだった。
自分達にも害は無いのは助かるが、斧や釜が身体を潜り抜ける度に、気持ちの悪い感覚が押し寄せる。
「やはり、管理者、なのですね。カゲロウさんは」
スピカは、振り落とされた鉈に蒼覚めた顔をしながら答えた。
本来の戦闘なら、もう、屍だろう。それを想像してスピカは、泣きそうな顔で鐘付き堂の扉を開こうとした。
しかし、鐘付き堂の入口には見事な鍵が掛けてある。
──あむ
スピカはとっさに手の甲を軽く叩いて鍵開きの呪文を口にした。
鍵開きは、盗賊やそれ鍵屋が専門で使う闇の共通呪文だ。
ヴォルラスには、その知識は無く、普通にそれを受け止めて、鐘付き堂の扉を開いた。
鐘付き堂の中は木造で、からくりで付く鐘の場所まで階段が付けられている。
それは、人の気配が無いことと、鐘が揺れる度に堂が軋むことからすぐに検討がついた。
二階に駆け上がった二人は、少女とセスナと出くわした。
「少女さん」
スピカの呟きに少女は振り返る。
その眼差しには無邪気な笑みがあった。
「いきなり消えてしまって、びっくりしちゃいました。お怪我とかはありませんか」
「ないよ。元気だよ」
「そうですか。それは良かったです。ところでこんな所で何をなさっているんですか」
「あのね。壊して欲しいって頼まれたの」
少女は、セスナを傍らに置いて物騒なことを笑顔で言う。
「あなたは、それを実行しょうとしていたんですか」
「わからない。ただ、望まれたから、応える」
少女は淡々とした口調の中に、無気味な程無邪気な笑みを作り、スピカの問いに答えた。
そこに居る少女は既に、子供の目をしていない。なにかに取り憑かれたような眼差しが、二人を見据えている。
「応えるって、君に壊せるのかな」
流石に、ヴォルラスが割って入る。
少女は小さく笑い首を振った。
「私にはおっきすぎる。だから、呼んだの」
笑う。
ただ笑う少女に、ヴォルラスもスピカも言葉が出ない。
少女の言葉が本当なら、この場に逗留することが最初から仕組まれたことと言うことになる。
しかし、二人は誰かに誘導された覚えが無かった。
「あ、隊長。いや、でも、まさか」
「いえ、可能性は在りますよ。スピカさん。隊長さんなら」
「けど、隊長が誰かに従うとは思えません」
「一種の気紛れではありませんか。ほら、楽しそうだという」
スピカの呟きにヴォルラスが推論を述べ、サーベルに手を掛けた。
少女の背後になにやら途轍もない、黒い歪みが生まれている。
「隊長、戦闘不能でしょうか」
「彼、ですよ。心配入らないでしょう。内部に医薬品を投入させてなければの話しですが」
スピカはヴォルラスを横目に見い遣り苦笑いを浮かべる。ヴォルラスもヴォルラス成りに、彼の情報を得ているのだと関心の意を込めて。
「隊長さんって誰、違うよ。呼んだのは」
少女はそこで言葉を切った。
少女の背後から飛び出したカゲロウを追い掛けて、彼が飛び出してくる。
空間通路とでも呼ぶべき現象を目の当たりしたスピカが、その凄まじい発想にまばたきを繰り返した。
空間術と呼ばれる分類の技術はあるが、場所と場所を繋ぐ効果は余り例が無い。所謂、転移種術と言われる能力は、難易度が高く簡単に扱うことができない。
「カゲロウさん。もう止めて下さい」
スピカが、彼とカゲロウの間に割って入る。
「邪魔」
彼が言い放ち、そのままカゲロウを取り押さえようと組み付くが、物理攻撃にはなんの意味も無いようだ。
「隊長、諦めて下さい。素手では勝てませんから」
スピカが、説得する傍らで少女とセスナが消えた。
ヴォルラスが左右を見渡すが、姿は跡形もなく消えている。
「大体、望みがなんだか知らないが、俺はそんなことに関わってる暇はないんだよ」
スピカとヴォルラスと一応の合流を果たし、彼は言った。
端から、スピカの言葉を聞いていないのだろう。
「隊長さんも、カゲロウさんから聞いたみたいですね」
「はい。だけど、望みはなんなのでしょう」
「破壊。この国の抹消」
振られたステッキが、スピカとヴォルラスに雷を降らせ、鐘付き堂の床に穴を開ける。
間一髪、攻撃を交わしたスピカは、悲しそうにカゲロウを見つめた。
「なら、動くなよ」
彼が、苛立ち紛れに言い放つと伸ばされた手が空間に消えた。
──トルウラピアランス
彼は単文を唱えると、空間から錆び付いた槍を抜き出した。
今にも壊れそうな槍には、七色の光が巻き付いている。
「認識不可能。物質名データ無し。エラー」
「まどろっこしいのは嫌いなんだ。悪いな」
訂正するなら、今の内と遠まわしな表現でカゲロウに槍の先を向けた彼は、冷たく言い放つ。
カゲロウは、抜き出されたその槍に、コルクを弄りその正体を認識しようとしている。
「お主は、認識可能。武器は認識不能」
繰り返し言葉を紡ぐカゲロウに、スピカもヴォルラスも顔を見合わせる。
「あれは、なんです。島では見たことがないのですが」
「僕も初めて見ます」
ヴォルラスは、伊達眼鏡を軽くかけ直し、いきなり身震いし片膝を付いた。
「かなり、危険な物だと言うのはわかりました……スピカさんあなたは大丈夫なのですか」
「え、大丈夫ですけれど」
平然と答えたスピカにヴォルラスは、困ったように眉を寄せた。
「その奇妙な武器はなんだ。青年」
カゲロウが口を開く、それは壊れた機械そのままに。
「仕方ないだろ。勝手に出てくるんだから」
「こ、た、え、ろ」
「その前に、確認する。あんたの願いはこの国の抹消だよな」
カゲロウの言葉には一切答えず、彼は言った。
「制作者の意志。儂の意志はない」
「なら、久しぶりにこいつで破壊活動ができるってわけだ」
彼は槍を壁に突き立て、小さく笑う。
「久しぶりって、僕見たことありません」
「知らなくて良い、見なくて良い。忘れろ」
「と、その前に会話が成り立ってないないような気がしますが」
彼、スピカの発言にヴォルラスは悩ましげに呟いた。
カゲロウはただ、武器について聞き返す。
彼は面倒くさそうに、槍で鐘付き堂を壊そうとする。
その光景にスピカがあからさまに飛び退いた。
「ヴォルラスさん、動けますか」
「無理です、ね」
ヴォルラスは額を抑えたまま、思い出したように答えた。
「隊長、破壊活動するのは、僕等逃げた後ではだめですか」
「あ、もう、遅い」
彼は槍の先で床に何かを刻んでいた。
「遠慮しないからな」
壁や床に書かれている奇妙な文様に、スピカがいち早く危機を察知し、青い顔をするヴォルラスの腕を肩に掛けて、その場を離れようとする。
話しは後回しと鐘付き堂の部屋から出て行こうとするスピカのことなど気にも留めず、彼はカゲロウに笑いかけていた。
「爺さん。あんたはどうなんだ。壊して良いのか」
「さあの」
はぐらかすような答えに、彼は返事をすることなく槍を床に突き立てた。
部屋内に亀裂が走る。 カゲロウは、眉ひとつ動かさずに光景を受け止めた。
「そんなにこいつが気になるか、爺さん」
槍を抜こうとした彼をまじまじ見つめるカゲロウに、楽しそうに言う。
刻まれた文様がゆっくりと光だし、部屋のあちらこちらが軋む。
その時、鐘が鳴る。
鐘を鳴らすために仕掛けられたからくりが、最後の音色を奏でて、天井から降る。
一瞬、彼はまばたくしかない。
カゲロウが鐘に押しつぶされた。
着地した場所で、彼の目前にあった事実はそれだけだった。
敢えて声は掛けずに、槍の先を地面に擦り付けるように移動してスピカとヴォルラスの横を通り過ぎる。
「隊長、本当に壊しちゃうんですか」
彼は無言で、屋敷へと線を引いていく。
「やめませんか、もう、此処から」
退散しませんかと口をつくスピカを無視した彼は、真っ直ぐに屋敷を目指す。
相変わらず顔を歪めたヴォルラスに肩を貸したスピカは、なんとかそれを追いかけようとした。
「お前、先に此処でてろ」
彼がヴォルラスを一瞥して言い放つ。
「その、槍の説明を聴きたいのですが」
苦笑いヴォルラスは言う。
「真実と希望の槍だと、あの人は言ってたな。後から、行くから」
二人を拒むように言い、地面に傷を付けてゆく。
「隊長、種方陣知ってたんですね」
「知らないよ」
「今、描いてるじゃないですか」
「破壊の呪いだよ」
スピカが、地面の傷を見渡して聞けば、彼は素っ気なく答えただけだ。
ヴォルラスは、スピカの肩を借りたまま、二人の会話を聞いていた。 種方陣、元は魔法陣とも呼ばれる呪いをするときに用いる図形である。
彼は、二人を追っ払うように蹴散らして、焼けた屋敷へと消えた。 そして、屋敷から離れられずに佇む、スピカとヴォルラス両者の足下に刻まれた種方陣が、青い光を放ち始める。
「どうしましょう」
あからさまにスピカはそんなことを口にした。
口にしながら頭の中では、壊すことへの疑問が浮かんでいた。
「仕方ありませんね。荷物を回収して、入口でお待ちします」
ゆっくりとヴォルラスがスピカから離れた。
槍が離れた為か、幾分気分が良くなったとヴォルラスは笑ってみせた。
「ごめんなさい。あの」
「隊長さんですからね。大丈夫だとはおもいますが」
謝るスピカにヴォルラスは言って、何十回目の溜息を吐いた。
「では、後程」
スピカは軽く右手を握り締めて胸元に宛てると、そう告げて屋敷へと駆けていく。
屋敷の二階は先程の騒ぎで半壊し、所々が炭に成り果てている。
「芸術品、なんと言うか。随分思い切った発言だね」
あの物体があった部屋から聞こえてきた。
「望みらしい。良く分からないが」
「君らしいよ。うん」
納得するブギルの声に、スピカは壁に寄り添い瞼を伏せた。
「で、詐欺師はどうして居るんだ」
「それは、だね。やはり、花火は最後まで見届けるのが風流だと思わないかい」
彼はその発言には答えずに、尚も形を練り上げようとする物体に槍を突きつけた。
空間が歪み、酷い耳鳴りがスピカを襲う。
「芸術品。後始末は任せたからね」
身を翻して、部屋から退散するブギルを彼もスピカも追わなかった。
何故なら、槍で突きつけられた物体が小爆発を起こし、建物全体がまるで積み木の様に崩れて消えて行く様に、見入ってしまったのだ。
彼が、部屋から出て来る。
壁際のスピカに気付いて足を止め、 スピカも我に返り、彼の顔に瞳を移す。
彼は無言でスピカの腕を取り、消えていく屋敷を足早に出て、尚も光続ける種方陣の跡を避けながら、ヴォルラスの居るだろう入口へと出向く。
──ありがとう。そう言うべきだろうか──
消え行く国の空に浮かんだ文字を、スピカが見つけて指差した。
「隊長、ヴォルラスさん、あれ」
闇に近い空に浮かんだ白い文字。
門前に佇む三人は、音もなく崩れて消えた国跡を、暫くの間見つめていたという。