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テンシ ノ ツバサ  作者: 唐錦
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第一話

 その日はとても寒くて、その町では珍しい大雪の夜だった。

 雪に濡れた翼は重たくて、僕はつい人間の民家の窓辺に降り立ってしまった。降り注ぐ雪の結晶。不規則な軌道を描きながら落ちてゆく白い光に目を奪われる。僕の住んでいるところにはない、この世界にしかない美しい光景だった。

 あまりに見惚れていたせいか、僕は背後の窓が開かれたことに気付かなかった。

 「テンシさん?」

 声に振り向く。栗色の丸い目をした少女は、背伸びをして窓から顔の上半分を覗かせていた。

 「キレーな、はねだね」







  『第一話』







 「どうしておこしてくれなかったの!?」

 初夏の日差しのもと、学校への道を走りながら、彼女は胸のポケットにいる僕へ怒鳴る。

 「起こしたよ。それに、君のお母さんだってあんなに……」

 「おきてなきゃいみないの!」

 彼女が初めて学校へ上がってから、朝のこのやりとりは日常になっていた。

 「これは今日も遅刻だね」

 彼女は小学生にも関わらず、遅刻の常習犯となっていた。その日の学校も、先生からの怒りの声から始まった。


 「ねえ、ここがわからないの。まえの人の見てきてよ」

 テスト中に、彼女は小声でそんなことを呟いた。この国の言語、『漢字』の読みを当てる問題の一つを指差した。机の端に腰掛けて、羽根の手入れをしていた僕は彼女を見上げる。

 「またそれかい? 何度も言うけど、ずるはよくないよ」

 僕がそう言うと、彼女は拗ねたように口を尖らせ、けち、と囁いた。

 僕は彼女以外の人間には姿が視えない。声を聴くことも出来ない。つまりその気になれば他人の解答どころか、教師の答案を覗くこともできる。でも僕はそれをしない。僕は彼女に力を貸すつもりはない。それに、彼女のためにもならないと思ったからだ。

 僕は彼女の話し相手。彼女は僕の観察対象。それが僕らの関係。


 こちらの世界に来てから、彼女のような人間に出会ったのは初めてだった。今までいくつかの天使も人間と接触したことはあるらしいが、極僅かな例。

 好奇心。最初に僕を突き動かしたのはその感情だった。人間の世界にはずっと前から興味があった。そしてやっと来れたこの世界。そこで出会った、僕を視ることが出来る少女。全くの偶然だったが、僕の彼女に対する興味には、抗えないものがあった。

 彼女が僕を認識できる理由は分からない。でもおそらく、彼女の意識、性格、情緒、そういったものが、数奇な均衡を保って、他の人間には無い、特別なものを生み出しているのだと思う。


 学校からの帰り道、僕は彼女の胸ポケットで丸まっていた。ふと歩行のリズムが止まり、僕は胸ポケットから顔を出す。透き通るような青い空。僅かに見える薄い雲は、流線型を描いて漂っていた。

 「どうしたの?」

 そう僕が問いかけても、彼女の爛々とした目は、道路の脇に広がる藪の中へと向けられている。彼女の背丈ほどはある細長い葉が生い茂り、その先に数本の並木が見えた。

 僕が訝っていると、彼女はそのまま藪の中へと足を進めた。迫る草の山に、僕は思わず顔を引っ込める。

 しばらく草を掻き分ける音が聞こえたあと、ポケットの中の重心がやや前方へと落ちる。彼女が屈んだのが分かった。

 「みてみて」

 聞こえた声に顔を出し、外を見下ろす。木々の隙間から差す、数々の小さな光のもと、彼女の膝の前に、ところどころに赤い実をつけた葉が広がっていた。

 「これは……?」

 「草イチゴだよ。たべれるの。まだちょっとはやいけど」

 そう言う彼女の言葉通り、その実は赤い実よりも、やや黄色がかった実の方が多く見られた。

 「ごめんねイチゴさん。ひとつだけ味見するだけだから、ゆるしてね」

 彼女はそう言いながら顔の前で手を合わせると、ひときわ赤くなっている実をひとつ摘み取った。

 ふっ、と彼女が実に息を吹きかける。そのまま口に運ぶのかと思いきや、彼女の手は下降し、僕の目の前で止まった。

 「え……?」

 「あげる。たべたことないでしょ?」

 「君はいいの?」

 「あたしはたべたことあるもん」

 僕はしばし彼女の顔を見上げたあと、目の前の実に手を伸ばした。彼女の指先にあった実は、僕の両手に納まった。小さな粒が集まって形を成しているそれは、強く掴むと潰れてしまいそうで、微妙な力加減で持たなければいけなかった。実からは、ほのかに甘酸っぱい香りがした。

 「ありがとう」

 僕がそう言うと、彼女は目を細くして笑った。

 「じゃ、いこっか」

 彼女が勢い良く立ち上がる。瞬間、彼女の体に衝撃が走った。急な振動は僕にも伝わり、思わず手の中の実を落としそうになる。

 彼女は再び座り込み、震えながら頭を押さえた。どうやら立ち上がった拍子に、頭上の枝に頭をぶつけたようだ。目に涙を浮かべながら、口元に笑みをつくった。

 「てへへ。イチゴのおかえしだね」

 頭を撫でながら今度はゆっくりと立ち上がると、彼女は元の道へ戻り始める。僕はまたしばらくポケットの中へと引っ込み、道路へ出たのを確認すると、頭を出した。いつもの道を歩き始める。

 「まだ赤い実はたくさんあったよ?」

 僕は手の中の実を見つめながら言った。

 「だめだよ。あたしがぜんぶとったら、鳥さんや虫さんのぶんがなくなっちゃう」

 でも、君の分はないじゃないか。そう言いそうになって僕は口をつぐむ。彼女が何故僕のことが視えるのか、また少し分かった気がした。

 「そっか……」

 そんな返事をして、またポケットの中にもぐる。




 好奇心。興味。それ以外の感情が、僕の中に芽生え始めていた。それはだんだんと広がり、頭の中を侵食していく。そうまるで、この手の中の、赤い草イチゴのように。






読了感謝。

      つづく

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