第8話 古傷に沁みる特製ポトフ
季節外れの雪だった。
国境へ続く山岳地帯は、夜になると別世界のような寒さに包まれる。
私たちは、街道脇に見つけた古い石造りの小屋──かつての監視小屋だろうか──に逃げ込んだ。
「……ふう。屋根があるだけマシですね」
私はかじかんだ手で、暖炉に火を熾した。
煙突は詰まっていなかったようで、すぐに煙が吸い込まれていく。
パチパチと薪が燃え始めると、ようやく生きた心地がした。
「……ああ」
ザックが、重そうに荷物を下ろした。
その動きが、いつもより鈍い。
彼は左肩を押さえ、顔をしかめていた。脂汗が滲んでいる。
「ザックさん? 傷が痛みますか」
「……気圧のせいだ。雪が降ると、疼くんだよ」
彼は強がって笑おうとしたが、頬が引きつっていた。
私は何も言わず、小鍋を取り出した。
リュックの底に残っていた根菜──カブと人参、そして塩漬けの豚肉。
水を入れて、暖炉の火にかける。
コトコト、コトコト。
静かな廃屋に、煮込みの音が優しく響く。
ローリエの葉と黒胡椒を加え、じっくりと煮込む。
野菜の甘い香りと、肉の旨味が溶け出し、湯気となって立ち上る。
「……できましたよ。特製ポトフです」
私は木の器にたっぷりとよそい、彼の前に置いた。
ザックは無言で器を受け取り、スープを啜った。
熱い液体が喉を通り、胃に落ちる。
彼の呼吸が、少しずつ深くなっていく。
「……美味い」
「カブは身体を温めますから。痛みも和らぐはずです」
彼は黙々と食べ進め、最後に器の底に残ったスープまで綺麗に飲み干した。
暖炉の火を見つめる彼の横顔は、炎に照らされて赤く染まっている。
「……昔、守れなかった奴がいた」
唐突に、彼が口を開いた。
私は手を止めて、彼の言葉を待った。
「俺の慢心だ。罠に気づかず……その子は、俺を庇って死んだ。俺は生き残り、この傷だけが残った」
彼は左肩の服を少しだけ捲った。
そこには、焼け爛れたような醜い古傷があった。刃物傷ではない。呪いか、魔法による傷跡だ。
「この痛みは罰だ。……忘れるなという、死んだあいつからの」
重い沈黙。
窓の外では、雪混じりの風がヒューヒューと鳴いている。
私はそっと手を伸ばし、彼の剥き出しになった肩の傷に触れた。
「っ……」
彼がビクリと震える。
私の手は荒れているし、冷たいかもしれない。でも、私は掌全体でその傷を覆った。
「罰じゃありません」
「……何?」
「痛むのは、貴方が生きているからです。その子が守った命が、今もここにある証拠です」
私はまっすぐに彼の目を見た。
「私は、貴方が生きていてくれて嬉しい。……貴方がいなかったら、私はとっくに野垂れ死んでいました」
ザックの瞳が揺れた。
彼は何かを言おうとして、口を噤んだ。
そして、私の手の上に、自分の大きな手を重ねた。
「……お前の手は、温かいな」
ポツリと漏れたその声は、泣き出しそうなほど弱々しかった。
「……こうしていると、痛みが引いていく気がする」
私たちはそのまま、暖炉の火が燃え尽きるまで寄り添っていた。
言葉はいらなかった。
ただ、互いの体温だけが、冷たい夜の中で確かな現実だった。
翌朝。
雪は止み、一面の銀世界が広がっていた。
出発の準備をしていると、一羽の鳩が窓辺に舞い降りた。足には赤いリボンが結ばれている。冒険者ギルドの緊急伝書鳩だ。
ザックが手紙を解き、一読する。
その顔から、昨夜の柔らかな表情が消え失せ、戦士の顔に戻った。
「……急ぐぞ、エマ」
「何が?」
「国境の関所が封鎖された。……王都からの正規軍が到着したらしい」
私の心臓が凍りついた。
ついに来た。
逃避行の終わりが、すぐそこまで迫っていた。




