第6話 スパイス煙幕と護衛の剣
雨上がりの森に、下品な笑い声が響いた。
洞窟の入り口を塞ぐように、五人の男たちが立っていた。泥だらけの革鎧に、錆びついた剣。典型的な街道荒らしだ。
「へへ、ツイてるぜ。雨宿りしてたら女連れのカモを見つけるとはな」
先頭の男が、黄色い歯を見せて笑う。
「おい、兄ちゃん。怪我したくなかったら、その姉ちゃんと荷物を置いて消えな」
ザックが、無言で大剣を抜いた。
黒い刀身が、夕暮れの光を鈍く反射する。
「……消えるのはお前らだ」
彼の殺気に、盗賊たちが一瞬たじろぐ。だが、すぐに数を頼んで散開した。
「やっちまえ! 五対一だ!」
金属音が交差する。
ザックは速い。最初の一人を一撃で吹き飛ばし、二人目の剣を受け流す。
だが、残りの三人が彼の死角へ回り込もうとしていた。さらに一人が、私の方へ視線を向けている。
「エマ、下がってろ!」
ザックが叫ぶ。
いつもなら、私は足手まといにならないよう震えて隠れていただろう。
でも、今は違う。
(風向きは……洞窟から外へ)
私はリュックのサイドポケットに手を突っ込んだ。
取り出したのは、料理用の小瓶ではない。護身用に調合しておいた、特製の袋だ。
中身は、激辛の赤唐辛子『ドラゴン・ペッパー』を微細な粉末にしたものに、乾燥胡椒を混ぜた「激辛ブレンド」。
私は袋の紐を解き、大きく振りかぶった。
「ザックさん、伏せて!」
私の声に、ザックは振り返りもせず、即座にその場に低い姿勢で屈んだ。
信頼してくれている。
私は袋の中身を、風に乗せて思い切りぶちまけた。
バフッ!
赤い粉塵が、突風に乗って盗賊たちの顔面を直撃する。
「ぐあっ!?」
「め、目が……!?」
「ゴホッ、ガハッ……!」
効果は劇的だった。
盗賊たちは剣を取り落とし、両手で顔を覆ってのたうち回り始めた。涙と鼻水が止まらず、呼吸すら困難なようだ。
「か、辛……! なんだこれ……!」
「料理人の武器を舐めないでください!」
私は咳き込みそうになるのを袖で押さえながら叫んだ。
その隙を、ザックが見逃すはずがない。
彼は低い姿勢から飛び出し、大剣の腹で盗賊たちの後頭部を次々と打ち据えた。
ドカッ、バキッ。
鈍い音が響き、数秒もしないうちに、五人の男たちは全員、地面に伸びていた。
静寂が戻った。
聞こえるのは、盗賊たちの呻き声と、遠くで鳴く鳥の声だけ。
ザックが剣を納め、ゆっくりと振り返った。
「……派手にやったな」
「ザックさんが一箇所に集めてくれたおかげです」
私が答えると、彼は苦笑した。
そして、大股で近づいてくると、私の両肩をガシリと掴んだ。
「怪我は」
「ありません。スパイスがちょっと目に入ったくらいで……」
言いかけた言葉は、彼に強く抱きしめられて途切れた。
雨と汗、そして微かな血の匂い。
彼の心臓の音が、私の耳元で激しく打っていた。
「……無事でよかった」
震える声だった。
「お前を狙う奴がいた時、一瞬、昔のことを思い出した。……だが、お前は守られるだけの姫様じゃなかったな」
彼は少しだけ腕の力を緩め、でも離さずに続けた。
「助かった。いい連携だった」
胸が熱くなった。
私は彼の背中に恐る恐る手を回し、ポンポンと叩いた。
「相棒ですから。……それに、晩ご飯の材料を守らなきゃいけませんし」
「……そこかよ」
彼は呆れたように笑い、ようやく私を解放した。
夕焼けが、街道を赤く染めていた。
私たちは手分けして、気絶した盗賊たちをロープで縛り上げた。
ザックが彼らの荷物を改めていると、頭目の懐から一枚の羊皮紙が出てきた。
「……なんだこれ」
彼が眉をひそめる。
私も覗き込んだ。
そこには、見覚えのある紋章──王都騎士団の剣と盾のマーク──が記されていた。
そして、走り書きのような文字。
『金髪の女を始末せよ。報酬は弾む』
背筋が凍った。
これは、ただの強盗じゃない。
「……俺たちを、最初から狙っていたのか」
ザックの声が低くなる。
彼は書状を握りつぶし、冷たい目で北の方角──王都の方角を睨んだ。
「教会だけじゃない。騎士団の一部も噛んでいる。……エマ、お前は一体、何を知っているんだ?」
私は首を振った。何も知らない。ただ、美味しいご飯を作って静かに暮らしたいだけなのに。
でも、世界はそれを許してくれないようだった。




