表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
残り野菜のスープは、追放聖女と冒険者の縁を結ぶ  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 宿屋の厨房は戦場です


宿場町カレンの門前には、殺気立った空気が漂っていた。

 衛兵たちが、通行人の女性一人ひとりの顔を乱暴に覗き込んでいる。

「次はどいつだ! フードを取れ!」


 私の心臓が早鐘を打つ。

 手配書の特徴は「金髪の聖女」。私の髪は蜂蜜色だが、陽の光の下では金に見えなくもない。見つかれば、王都へ強制送還──最悪の場合、投獄もあり得る。


 私の番が来た。

 衛兵が私のフードに手を伸ばそうとした、その時。

 ぐいっ。

 強引な力で、私は横から抱き寄せられた。

 硬い革鎧の感触。タバコと鉄の匂い。

 ザックが、私の肩を抱き込み、衛兵を睨みつけていた。


「……俺の連れに、手荒な真似をするな」

 低く、地を這うような声。

 衛兵がひるんで一歩下がる。

「あ、怪しい奴じゃないか確認を……」

「新婚旅行だ。田舎から出てきたばかりの、大事な嫁なんでな。他所の男に顔を見られるのを嫌がるんだよ」

 ザックは平然と言ってのけた。

 さらに、衛兵の手のひらにチャリリと銀貨を握らせるのを、私は見逃さなかった。

「……ちっ、好きにしろ」

 衛兵は舌打ちをしつつも、道を開けた。


 門をくぐり、喧騒の中に入っても、ザックの手は私の肩に残っていた。

 市場のスパイスの匂い。焼き串の煙。人々の話し声。

 それらが遠くに感じられるほど、私の意識は肩の熱に集中していた。

「……ザックさん、もう大丈夫です」

「ああ」

 彼はパッと手を離した。

 横顔を見ると、耳の先が少し赤くなっている気がする。

「……悪い。とっさの嘘だ」

「いえ、助かりました。……嫁、ですか」

「他に言い訳が思いつかなかっただけだ」

 彼は早口で言って、さっさと歩き出した。その背中が、いつもより少し強張って見えた。


 たどり着いたのは、路地裏にある「赤猫亭」という古びた宿だった。

 看板の塗装は剥げ、扉を開けると蝶番が嫌な音を立てた。

 カウンターにいたのは、派手な化粧をした中年の女将だった。

「いらっしゃい。……なんだい、貧乏旅行かい?」

 彼女は私たちの服装──泥だらけのブーツと旅装束──を値踏みするように見て、鼻を鳴らした。

「二階の角部屋しか空いてないよ。一泊、銀貨五枚だ」

「高いな。相場は三枚だろ」

 ザックが抗議するが、女将は扇子をバシッと閉じた。

「嫌なら他所へ行きな。最近は検問のせいで足止め食らった客が多くてね、どこも満室さ」


 足元を見られている。

 しかし、私は女将の顔色に違和感を覚えた。

 厚い白粉の下、目の下の隈が酷い。それに、扇子を持つ手が小刻みに震えている。爪の色も紫色だ。典型的な血行不良と、慢性疲労。

 ぐらり、と女将がカウンターに手をついた。

「……ちっ、めまいかよ」

「女将さん!」

 私は駆け寄り、彼女を支えた。身体が氷のように冷たい。

「あんたたち、触るんじゃないよ……!」

「黙って座ってください。厨房、借りますよ」

「はあ!? 客に貸すわけ……」


 私は聞く耳を持たず、ザックに目配せした。

 彼は心得たように頷き、女将を椅子に座らせて威圧感たっぷりに立ち塞がった。

「料理人がやる気になったんだ。大人しく待ってろ」


 私は奥の厨房に飛び込んだ。

 油と焦げた鍋の匂いが染み付いている。清潔とは言えないが、食材は揃っていた。

 生姜、陳皮(干したミカンの皮)、そして私の手持ちの薬草。

 お湯を沸かし、手早く『特製・血行促進茶』を淹れる。さらに、残ったご飯で粥を作り、刻んだネギと卵を落とす。


 十分後。

 私は盆を持ってカウンターに戻った。

「飲んでください。身体が温まります」

 女将は疑わしげにカップを見たが、立ち上る生姜の香りに抗えず、口をつけた。

 一口。二口。

「……あら?」

 彼女の目が丸くなった。

 カッと顔色が良くなり、紫色の爪に血色が戻っていく。

「なんだいこれ……身体の中から火がついたみたいだ。肩の重みも消えた……?」

「生姜と陳皮の効果です。それに、私の『おまじない』も少々」

 ニッコリ笑って粥を差し出すと、彼女は夢中で平らげた。


「……あんた、何者だい?」

 完食した女将は、憑き物が落ちたように晴れやかな顔で私を見た。

「ただの料理好きの旅人です」

「ふん。……宮廷の薬師よりいい腕だね」

 彼女は扇子で口元を隠し、ニヤリと笑った。

「銀貨五枚なんて吹っ掛けて悪かったよ。お詫びに一番いい部屋を用意する。代金はいらない」

「えっ、でも」

「その代わり、夕食もあんたが作ってくれ。私の分もね」

 現金な人だ。でも、悪い人じゃなさそうだ。


 その夜、私たちは最上階の部屋で、ふかふかのベッドと温かい食事にありついた。

 窓からは、夜の宿場町の灯りが見える。

 食後のハーブティーを飲みながら、ザックが窓の外を警戒するように見ている。

「……昼間のことだが」

「はい」

「嫁だなんて言って、迷惑だったか」

 彼は私を見ずに言った。

「いいえ。……頼もしかったです」

 私が答えると、彼は短く「そうか」とだけ言って、カップの中身を飲み干した。

 部屋には静かな時間が流れていた。沈黙さえも、心地よいと感じるようになっていた。


 コンコン。

 ドアがノックされ、女将が入ってきた。手には差し入れのワインを持っている。

「いい夜だね、お二人さん。……ちょっと耳寄りな情報を持ってきたよ」

 彼女は声を潜め、真剣な顔つきになった。

「あんたたち、検問で止められかけただろ?」

「ええ」

「王都から、『聖女狩り』の騎士団が向かっているらしいよ。……なんでも、『逃げた聖女が国宝を盗んだ』って罪を着せられてるんだとさ」


 私は息を呑んだ。

 国宝泥棒? そんな濡れ衣まで着せられているなんて。

「それとね、王都じゃ原因不明の病が流行り始めてるって噂だ。……あんた、心当たりがあるんじゃないかい?」

 女将の視線が、私を射抜く。

 ザックがすっと立ち上がり、私の前に立った。

「……噂好きだな、女将」

「ふふ、商売柄さ。……ま、私は恩人の秘密を売るような安っぽい女じゃないよ。ただ、気をつけな。追っ手は、もうすぐそこまで来てる」


 女将が出て行った後、部屋には重い空気が残った。

 ザックが私の方を向き、真剣な瞳で言った。

「……明日、夜明け前に出るぞ」

「はい」

 私は強く頷いた。

 旅の空気が、変わり始めていた。ただの逃避行ではなく、明確な敵との追いかけっこに。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ