第3話 薬草知識とプロの仕事
朝霧が、森を白く染めていた。
テントから這い出すと、ひんやりとした湿気が頬を撫でる。下草についた露が、ブーツの爪先を濡らした。
焚き火の跡はきれいに埋められ、ザックは既に荷造りを終えていた。
彼は大剣についた何かを、布で拭き取っているところだった。
「……おはようございます」
「ああ。出発するぞ」
彼が振り返る。その顔色は普段通りだったが、拭き取っていた布には、どす黒い液体──魔物の血痕らしきもの──が付着していた。
昨夜、私が眠った後に何かがあったのだ。
ふと、彼が右腕を動かすとき、僅かに顔をしかめるのに気づいた。二の腕のあたりの服が、少しだけ破れている。
「ザックさん、怪我を?」
「かすり傷だ。気にするな」
彼は短く遮ると、私に背を向けた。
「それより、朝飯用の草を採ってくるんだろ。早くしろ」
私は口を噤んだ。彼はプロの護衛だ。余計な心配はプライドを傷つけるかもしれない。
私はリュックを背負い、朝の森へ足を踏み入れた。
湿った土の匂いと、若葉の香り。
私の目には、森が「食材庫」に見える。
「これは『月光草』、傷薬になる。こっちは……ああ、『偽ヨモギ』ね」
一見すると薬草のヨモギにそっくりだが、葉の裏に微細な棘がある。食べると激しい腹痛と麻痺を起こす毒草だ。
私は慎重に、本物の薬草と、スープの具になる山菜を選別して摘んでいく。
街道に戻ると、ちょうど一台の商隊馬車が通りかかった。
御者台の男性が、青ざめた顔で私たちに声をかけてきた。
「すまん、冒険者の方か!? 薬を持ってないか!」
馬車の荷台から、女性の悲鳴に近い声と、子供の苦しげな呻き声が聞こえる。
ザックが瞬時に警戒態勢を解き、駆け寄った。
「どうした」
「息子が……急に腹を抱えて倒れたんだ! 朝飯を食った直後に!」
私はザックの背後から荷台を覗き込んだ。
七歳くらいの男の子が、脂汗を流して体を丸めている。唇が紫色になり、呼吸が浅い。
母親が泣きながら背中をさすっていた。
「変なものは食べさせてないんです! ただのパンと、道端で摘んだ薬草茶だけで……!」
薬草茶。
私は散乱している茶葉の残りを手に取った。
ザックが私を見る。
「……わかるか?」
「はい」
私は葉の裏を指先でなぞった。微かなチクリとした感触。
「『偽ヨモギ』です。本物と間違えて煎じてしまったんですね」
「毒か!?」
「神経毒です。でも、まだ飲み込んで時間が経っていない」
私はリュックからスパイスポーチを取り出した。
中から『火喰い鳥の羽』の粉末と、岩塩、そして先ほど摘んだ『月光草』の絞り汁を混ぜ合わせる。
水筒の水で溶き、強烈な匂いのする液体を作った。
「これを飲ませてください。すぐに吐き出します」
「そ、そんな怪しいものを……!」
父親が躊躇する。当然だ。私は聖女のローブも着ていない、ただの旅人なのだから。
しかし、ザックが低い声で告げた。
「飲ませろ。こいつの鑑定眼は確かだ」
その言葉の重みに、父親はハッとして私を見た。
私は迷わず、子供の口に液体を流し込んだ。
数秒後。
子供は激しく咳き込み、胃の内容物をすべて吐き出した。
毒草の混じった液体が地面に広がる。
吐き終わると、子供の顔色がみるみるうちに戻っていった。紫だった唇に、赤みが差してくる。
「……かあ、ちゃん……」
「ああ、よかった……!」
両親が泣き崩れるのを、私はほっと息を吐いて見守った。
礼金はいらないと言ったのに、商人は無理やり銀貨を渡して去っていった。
再び二人きりになった街道を歩きながら、ザックがぽつりと言った。
「……魔法も使わずに治すとはな」
「毒を消したわけじゃありません。出しただけです」
「それが難しいんだ。普通の聖女なら、祈って終わりだ。手遅れになることも多い」
彼は珍しく饒舌だった。
「お前は、ちゃんと見てるんだな」
その言葉が、胸の奥を温かくした。
ふと、ザックが足を止めた。
腰のポーチから、小さな丸い缶を取り出して私に放った。
「……やる」
受け取ると、それは冒険者たちが愛用する高級な傷薬入りハンドクリームだった。
「え?」
「手が荒れてる。さっきのガキの口をこじ開けた時に、爪が当たっただろ」
言われて手元を見ると、確かに指先に赤い擦り傷があった。採取の時の泥汚れや、乾燥によるひび割れもある。
「……見てたんですか」
「護衛だからな。依頼主の状態異常には敏感なんだ」
彼は顔を背けて歩き出した。
私は缶の蓋を開けた。ハーブの清涼な香りがした。
指先に塗り込むと、ピリピリとした痛みが消えていく。
「ザックさんも、塗りますか? その右腕」
私が尋ねると、彼はぴくりと肩を震わせた。
「……バレてたか」
「護衛対象ですから。護衛役の状態異常には敏感なんです」
私が彼の言葉を真似すると、彼は微かに口角を上げたようだった。
「……宿場町に着いたら、俺も手当てしてくれ」
「はい。特製の栄養スープも付けますよ」
私たちは並んで歩き出した。
お互いに、ただの「荷物」と「運び屋」ではなく、背中を任せられる「プロ」としての敬意が、そこには生まれていた。
やがて、街道の先に石造りの壁が見えてきた。
宿場町カレンだ。煙突からは朝食を作る煙が立ち上り、活気のある声が風に乗って聞こえてくる。
しかし、町の門の前には長い行列ができていた。
いつもなら素通りできるはずの検問が、今日はやけに厳しい。
「……何かあったのか?」
ザックが目を細める。
門番が手に持っているのは、羊皮紙の手配書のようだ。
風に乗って、衛兵の怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい、そこの女! フードを取れ! 『金髪の聖女』を探しているんだ!」
私の心臓が跳ねた。
ザックが素早く私の前に立ち、視線を遮るように背中を見せた。
その手は、無意識のうちに剣の柄にかかっていた。




