消えゆく記憶
次の村まで、また距離があり2度目の野営だった。
そして、ふと気が付いた。
前の世界の記憶が、薄れ始めているのを。
家族や友人の顔がおぼろげで、名前もハッキリと思い出せない。
どうしよう…なんで?
嫌だ…忘れたくない。
もうあの世界に戻れなくとも、これは私の生きてきた証なのだ。
異世界だから時間軸が違う影響なのかもしれない…
転移すると…こうなるのだろうか。
過去の記憶が消え、自分が何者か存在意義を問い直すことも出来ないまま、
この世界で、生きていかなければならないのか。
「夕食の配膳終わりました。私達も食べましょう!」
「えっ!あ、うん…」
エリカさんに声を掛けられ我に返る。
後でステラ師団長に相談してみよう…
グレンさんと話した、前の世界の家族に私の無事を知らせる方法も含めて。
「次の浄化先の村は火山地帯付近で、温泉あるらしいですよ?」
「温泉?ほんとに?」
「ええ、観光名所にもなっている湖みたいな
凄く大きな乳白の水色の温泉なんです。楽しみですねぇ!」
懐かしい…この世界にも温泉あるんだ。
「次の村では、少し余裕のある宿泊スケジュールにしますので、
皆さんも温泉で、疲れを取ってください」
「セオドア様…はいっ。楽しみです!」
「野営辛くはないですか?
女性陣には、ご不便をおかけしていますね…申し訳ありません」
「いえ、私は全然大丈夫です。外で寝るなんて新鮮で楽しいですものぉ」
「サトミ様は平気ですか?」
「はい、私も楽しんでいます。
前の世界にも、こういう趣味の一貫でキャンプって、いうのがあったんです」
「そうですか。初体験ではないのですね。良かったです。
何か不自由があれば、いつでもお声掛けください。
話変わりますが、スパゲティミートソースでしたっけ…あれ美味しいです」
「新メニューですよぉ。私も大好物です」
「これ前の世界でも人気あるんです。
私も大好きなので、皆さんの口にも合ったみたいで良かった」
「ステラ師団長も驚いていました。サトミ様の考案した料理は、
みんな美味しいって。あんな皮肉屋が誉めるのは珍しいことなんですよ」
「ふふっ、そうですか。所でステラ様は、今どこにいらっしゃいます?」
「テントの中で食事しながら、何か調べ物してましたね。
ほら、あの青いテントです」
夕飯も食べ終わり食器を片づけて、
ステラ様のテントを訪ねた。
「どうぞ、1人用なので狭いですが…
えーと…今座れる場所作りますね。少々お待ちを…」
「お邪魔します。急にすいません」
魔法陣を描いた沢山の紙が床に散らばり、
それをかき集めて端に重ねて積み上げた。
「サトミさんが打ち上げた花火を術式の魔法陣で
再現しようとしていたんですが…なかなか難しくて…はははっ」
詠唱や魔法陣無しで魔力を使うのは、やはり特殊らしい。
異世界転移者特典なのか…魔術師にとっては喉から手が出る程、
欲しくて堪らない恵まれた特質なのだろう。
「それで、お話とは?グレン団長が言っていた件でしょうか?」
「それもあるんですが…それとはまた別の件で…」
「他にも、気になることがあると?」
「はい。実は…前の世界で関わりのあった人達の記憶が、
薄れてきているんです…」
「ほう。それは、どんな感じですか?」
「名前や顔がすぐに思い出せなくなっているんです。
過去の出来事も少しずつ…
戻れないのは理解してるのですが…
私の生きてきた証ですから、やはり忘れたくないんです。
異世界に転移すると、こういう症状がでるものなのでしょうか?」
「……なるほど…それは不安になりますね。
ただ…申し訳ありませんが、稀人が稀有な存在で、
前回の聖女は百年以上前の方なので…文献以外の情報と記録が
圧倒的に少なくてですね…生き証人がいない状態も相俟って、
残念ながら、今は明確な返答が出来ません」
「そう、ですか…」
「お役に立てなくて、申し訳ありません」
「いえ、何となくは分かっていました。
こうして話せただけでも大分楽になりましたから、
謝らないでください」
「私だったら…耐えられるか自信がありません…」
「…え?」
「私がサトミさんの立場だったら、こんなに落ち着いていられないでしょう…
不安で不安で、理不尽さに怒り、暴れてしまうかもしれない…」
「………諦めているからです…そうした方が楽だから。
本当は…私は、ちっとも前向きじゃありません。
だって、泣き叫んでも、暴れても…戻れないのですもの…
無駄な抵抗で労力を使いたくないだけなんですよ」
「…………」
平気なわけがない。
私は、また彼女に無神経な言葉を投げてしまった。
自分の心を守るために壊れない為に、彼女なりの自己防衛なのだ。
しかも、彼女の転移は理不尽そのものだった。
何処に怒りをぶつけていいのかも分からないのだろう。
いや、そんな気力もないのか…
それなのに、彼女はいつも健気に役目を全うしようとしている。
私がサトミさんに出来ることは、不安な心に寄り添い安心させて、
この世界で暮らしていけるように、尽力する事。
彼女は肩を落とし、うつむき加減に力無く微笑んだ。
黒髪がサラリと肩から流れ頬を覆う。
透明感のある美しい黒い瞳の睫毛の向こう側には、
少し潤んだ涙が浮かんでいる。
いくら周りが親切に接しても、
ここには彼女と繋がりのある人物は1人も居ない。
違う世界で、たった1人…
どんなに心細くて、恐ろしくて、不安だろうか。
「サトミさん…その…もう一つの件ですが、多分可能です。
研究には、まだ時間は掛かりますが…座標を割り出して物理的な物でなければ
贈り届けられるかと…時差が出来かもしれませんが、可能だと思います。
あなたが無事を伝えたい特定の方に、睡眠中にサトミさんの映像を
見せる感じです。つまり夢の中で伝える方法ですね」
「ほんと…ですか?」
「はい。そして、記憶が無くなるのが不安でしたら、
いつでも思い出せるように、あなたの前の世界での思い出を
映像ごと記録魔法で保存して残しておけます。
睡眠中の夢を複写する魔法があるので、それを応用して利用します。
記憶が薄れる前に、今現在可能な対策はしておきましょう。
不鮮明な記憶の原因については、まだ時間がかかりそうなので…」
「ありがとうございます……私が無事だと知らせられれば…
家族も安心してくれると思います。
戻ってこない者を…生死も分からない状態で、ずっと待つのは…
本当に苦しくて辛いですから…私は、それだけで充分ですっ」
人の痛みが分かる女性だ。
だから、聖女として膨大な魔力を与えられたのだろう。
だが、特別視してはいけない。
彼女は私達と同じ1人の人間だ。
強いかもしれないが、傷つかない訳ではない。
それを絶対忘れてはならない。
こうして、不安な彼女の為、遠征の時間の空いた時に、
こまめに記録魔法で保存を進めた。
これくらいしか出来ない自分を不甲斐なく感じながら。
* * * * * * *
「サトミさーん!久しぶり!」
ステラ様のテントから出て、自分の馬車に戻る途中に、
アレンくんに声を掛けられた。
「あ、何か久しぶり。アレンくん」
「あ~やっと会えた!
俺、ずっと前方部隊の支援担当で、全然こっちと合流出来ないんだもん!」
「ふふっ、お疲れ様」
「昨日の花火綺麗だった!流石サトミさん!………あれ?」
「え?」
「何かあった?元気ないね」
「あ…ううん。大丈夫だよ?」
「…疲れてる?」
「ううん」
「………そっかぁ…
グレン団長とレイ副団長、今周辺の見回り行っていないんだ」
「うん、知ってる」
「じゃあ、ちょっと飛んでみようか?」
「は?」
「はい、お手をどうぞ?姫君」
「…飛ぶって……なんっ‼︎」
粋なり、腕を引き寄せられて素早く横抱きにされ、
真っ暗な夜空の中を垂直に浮かび上がった。
「へっ?何、何これっ!ちょっと!上がってる、上がってるってぇっ‼︎」
「わぁっ!暴れないで、大丈夫だからっ!
俺の首の後ろに手回して、しがみついて!落ちる落ちる!」
あっという間に、夜空に浮かび上がり、今にも衛星に届きそうだ。
そうか、アレンくんは風魔法で浮かんだり、早く走れたりするんだった。
「ほら、あっち見て」
「……明かりが…見える…村?」
「昨日いた村だよ。サトミさんが土地浄化した」
「あ……」
「サトミさんが、助けた人達の生活してる家の明かり。綺麗だね…」
「……うん…」
「俺、家の明かりが灯っているの見ると、ホッとするんだよね。
何か、家に命が吹きこまれたみたいに見えて…」
「そうね…うん。そう見える……
所でアレンくん…」
「ん?」
「私…重くない?」
「あっはっはっ!心配するとこそれ?全然、軽すぎ!余裕余裕♪
あ、あとこれ内緒ね?」
「なんで?隠してる能力じゃないでしょ?」
「いや、そっちじゃなくて…俺がサトミさん抱き上げてるの知られたら、
グレン団長に殺される…」
「…え…そ、そんな事しないでしょ?」
「いやいや、サトミさん知らないだけだしっ…」
「分かった。黙っておく、ふふっ」
もしかして、私が元気がないのに気が付いてるけど、
私が誤魔化したから、気づかない振りして慰めてくれてるのだろうか。
あの家の明かりの命を繋いだ私を
さりげなく賞賛してくれている。
「俺ずっと見たいな、この何でもない家の明かり。
この平和な景色をこれから先も…ねっ?サトミさん」
「うん…そうだね」
時々発作のようにくる、このどうしようもない感傷は、
いつになったら、落ち着いてくれるのだろう。
落ちているのか、浮かんでいるのか、分からない暗闇の中で、
私はただ、遠くの明かりをすがるように見つめていた。
* * * * * * *
「温泉って…あれが?」
「そうです!煙が凄いですねぇ!」
「湖にしか見えないけど…大きすぎない?」
「ほら、あそこ、誰か入ってますよ!」
「…ほんとだ…」
「楽しみですねぇっ!今度、彼氏達と一緒に来たいです!」
次の土地浄化の村に到着すると、火山地帯だけあり、凹凸のある丘が多く、
道には大きな岩がゴロゴロして馬車が大きくガタガタと揺れる。
馬車の窓から見えたのは、すり鉢状のぽっかりと開いた円形に広がる、
大きな水色の湖。
これが温泉だと、にわかに信じられなかったが、
すぐ横には大きな宿が隣接されており、
そこから屋根付きの長い廊下が湖まで延びていた。
宿からそのまま、温泉に入れる作りになっているらしい。
「今回は、あの宿に泊まるらしいですよぉ?」
「ほんと?」
「はい!温泉で疲れを取るのが目的みたいです!」
「あれ?混浴?」
「はい。混浴ですけどぉ、裸ではなく湯着があるので大丈夫ですよ。
洗い場は男女別々で、温泉は浸かるだけのようです」
「あ、なるほど…」
「お料理も畜産が盛んで、肉料理も豊富、他にも奥深い山々の幸が豊富で、
色んな素材盛り沢山で、凝った料理が美味しいらしいですぅ!」
「詳しいね、エリカさん」
「ここは楽しみだったので、色々事前に調べしましたぁ!」
大きな観光用の宿なだけあって、広くてお城のような作りで豪華だった。
余裕があるので今回は1人部屋。
騎士団員達も久々の1人部屋で大喜びだった。
この村には、長期の2週間滞在予定で随分余裕がある。
コンコンとノックされ、ドアを開けるとグレンさんが立っていた。
「疲れてない?」
「うん。大丈夫」
「馬の相乗りで、少し周辺を見て観光しないか?」
「行ってみたいけど…いいの?」
「北の辺境とは違う、絶景の景色が沢山あるんだ。サトミに見せたい」
「ありがとう…じゃあ、楽な服に着替えるね?
あ、ケープいるかな?」
「ケープはいらないよ。景色見るのに邪魔だろう?
今はプライベートだから必要ない。かえって目立つよ」
そういえば、グレンさんも騎士服じゃなかった。
私は動きやすい普段着ているワンピースに着替えて、
グレンさんの愛馬に相乗りして宿を出た。
大きな木もなく遮蔽物が殆どなくて、
草原のような景色が無限に壮大に広がっている。
ゆるく波打つ地面を駈けながら進んでいくと、大きな窪みが見えてきた。
美しい緑色の湖に見えるが、これも温泉だそうだ。確かに湯気が上がっている。
ただし、ここは温度が高すぎて人間は入ることが出来ないとか。
温泉地だけあって硫黄の臭いが充満している。
なつかしい臭いに、前の世界が頭をよぎる。
さらに進んでいき、ゆるい階段状になっている坂道を上ると、
今までは、ほとんど岩とちょっとした草花と森林だったが、
その丘の上から見た景色は、鬱蒼としたジャングルのような森林と、
豊かな水量の大きな川が流れ、まるでオアシスのように中心から円形に
広がる町が栄えていた。
そこには、白い四角をいくつも積み上げたブロックのような家で、
統一感があり可愛い雰囲気だった。
最初に訪れた村とは違い、随分栄えているように見える。
「…あそこが中心街?」
「いや、もっと向こうにある。ここは外れの方だ。
右側を見てご覧」
「右?……あ…木がない所?畑かしら?」
「あの辺だ。浄化をする土地は」
「そうなの?あまり瘴気の気配を感じないけど…」
「うん。ここは大したことはないんだ。
本当は浄化しなくても影響はない」
「えっ?」
「浄化は建前で、聖女の君が来たっていう事実が欲しかったんだよ。
観光地として浄化済みで安全だっていう宣伝にもなるし箔も付く。
それに、国王陛下の従兄がこの村の領主で王族の血縁関係者だそうだ。
本当なら断る案件だが、温泉施設2週間無料貸切という交換条件で
受けたらしい」
「…それなら…仕方ないかも。皆に体を休めて欲しいし…」
「だから、ここでは力を抜いて気楽にしてればいい」
「うんっ」
「じゃあ、デートしようか?」
「へっ⁉︎ 」
そのまま、色んな美しい景色を見に連行され強制的に連れ回された。
もしかして、グレンさんも私に元気がないのに気づいている?
でも、私が自分から話さないから、
追求しないで側に寄り添ってくれているんだ。
……私…人間兵器として転移されたのは、運が悪くて最悪だったけど…
結果的には恵まれてるじゃない。
例え過去の記憶がなくなっても、ここで生きていけるじゃない。
「君は聖女の称号を持っているけど、俺達と同じ1人の人間だ。
俺が愛する女性も、サトミただ1人。俺は君には笑っていて欲しい…」
「グレンさ…」
馬の相乗りをしながら景色を見ている時に、ふいにそう言われ、
後ろからフワッと抱きしめられた。
彼を見上げると同時に、顔が近づき額に口付けが落とされる。
「君のためなら何だってする…だから…
何処にも行かないでくれ…」
…あ……
私の迷いが…不安が…
彼の心も不安にさせていたんだ…
「どこにも行かないよ?私はっ……」
彼に安心して欲しくて、必死に言い訳しようとしたが、
言葉がうまく出てこない。
この人は、私の過去なんて知らない。
そんなの関係なく今の私を愛してくれている。
前の世界の思い出にすがるのは、もうやめよう。
過去の記憶が消えてもいい…もう…私はここで生きていく。
グレンさんと騎士団員の皆んながいる。
過去の記憶なんて…ステラ様の提案した記憶録画の魔法で保存すればい。
もう、悩むのはやめよう。彼を不安にさせるだけだ。
グレンさんだって、怖いんだ…
私が、ここの世界の人間じゃないから、
前の世界のように、ある日突然消えてしまうのかもしれない。
もし帰る方法が解明されたら、私が帰ってしまうかもしれない。
彼もそんな恐怖を抱えながら、私と向かい合ってくれているのだ。
「明日浄化の仕事だけど、領主も同行するらしい。
王族だけど、気さくで気取ってない方だ。
また、セオドア文官が代表挨拶するから、心配しなくていい」
「うん、分かった」
私に余計な負担をかけまいと、守ってくれる彼等には感謝しかない。
特に王族や貴族の権力者とは、お近づきにならないよう、
予防線を張ってくれている。
そして、これは後に知ったのだが、
王宮の方に、聖女との親睦を深める目的で、大量に贈られてくる、
お茶会や貴族の舞踏会の招待状は、全てブロックしてくれているそうだ。
知らないところで、私は非常に守られているのだ。




