第94話 心配
ロビーに入ると、リリアが受付に立っているのが見えた。ロビーの一角に、頑丈な装備品を身に着け、張り詰めた空気を隠そうともしない討伐者たちがいる。彼らは全員一級討伐者だ。これからアルーナ山に出発するのだろうか?
「あれ? エルナ。こんな早くにどうしたの?」
手が空いたリリアが、私に気づいて目を丸くした。
「家にいるとなんだか落ち着かなくて来ちゃったの。リリア、そろそろお昼でしょ? 一緒に食べようと思って」
「いいわね! 一緒にお昼食べるの久しぶりね」
リリアは嬉しそうに笑う。私とリリアはコンビで受付に立つので、普段休憩は交代で取る。二人一緒に休憩に入れることはほとんどないのだ。
「そういえばエルナ、今日アレイスさんと話した?」
「アレイスさんと? 話してないけど……」
「アレイスさん、今朝アルーナ山に出発しちゃったのよ」
「えっ!?」
アレイスさんがもう出発した……? リリアの思わぬ言葉に、私は頭が真っ白になった。
♢♢♢
「私がギルドに来たときには、もう飛行船が飛んだあとだったの。バルドさんとアメリアさんが彼を見送ったらしいわ」
私はリリアと二人で職員食堂にいた。テーブルの上には美味しそうな食事があるけど、私の心はずっとざわざわしていて食事どころじゃない。
「アレイスさんは一人で出発したの?」
「彼の他には監視班が二人同行したみたい。ギリギリまで監視するって聞いたわ」
「そう……でも、もう討伐隊が現地に向かうでしょ? アレイスさんはきっと、そのまま現地に残るつもりなのよね?」
「そのつもりじゃない? 討伐隊が集合したら、あとはドラゴンの目覚めを待つだけだし……終わるまで戻ってこないと思うわ」
私の心はずしりと重くなる。討伐者の無事を願う私が、一番見送りたかったのは彼だった。それなのに、アレイスさんは私に何も言わずに行ってしまった。
ひょっとしたら彼は、私のことを……なんて考えが頭をよぎったこともあったけど、やっぱり私の勘違いだったかもしれない。ドラゴン退治に行く前に、せめて一言無事を願うと伝えたかった。どこかで私はアレイスさんが出発する前に、彼と話ができると思い込んでいた。
アレイスさんが何を考えているのか、よく分からない。彼との距離がだいぶ近づいたと思っていたけど、彼にとってはそうではなかったのだろうか。
「残念ね、エルナ。アレイスさんと話したかったでしょ?」
リリアは心配そうに私の顔を覗き込む。私は慌てて笑顔を作るけど、リリアはそんな私を見ながら首を振った。
「無理しなくていいわよ、エルナ」
そう言ってリリアは私に顔を近づけて声をひそめた。
「好きなんでしょ? アレイスさんのこと」
「えっ!?」
動揺して、思わず大きな声を上げてしまった。私の声は思ったよりも食堂内に響いてしまい、周囲の注目が集まる。私は慌てて愛想笑いでごまかし、リリアよりさらに声をひそめる。
「……いきなり変なこと言うから、びっくりしちゃったでしょ」
「あら、変なこと? だってエルナがいつまでもはっきりしないんだもの。もういい加減認めなさいよ」
リリアはすました顔で水を一口飲んだ。もうこれ以上、ごまかし続けることは無理だと覚悟を決める。
「分かった……認めるけど、絶対に他の人には言わないで」
「言わないってば。でもどうしてそんなに隠したがるのよ? ジェマさんが反対するから?」
「まあ……そんなところ」
リリアも、うちの母が討伐者と結ばれることを反対しているのを知っている。でも理由は他にもある。アレイスさんとの生まれの違い、彼がいつか生まれ故郷に帰ってしまうかもしれないこと。アレイスさんに対して積極的になれない理由はたくさんある。
「ジェマさんは話せば分かってくれる人だと思うけどね? エルナが好きになった人なんだもの、悪い人のわけがないじゃない」
「ありがとう、リリア」
リリアの言葉に、私の心が救われる思いがした。少し食欲が出てきて、ようやく私は昼食に手をつける。今日のメニューはキノコとサツマイモのシチューと、豆と野菜のサラダ。すっかり冷めてしまったシチューを食べ、リリアとおしゃべりを楽しんだ。束の間の楽しいひと時だ。
食事が終わり、リリアは受付に戻っていった。私は仕事まで時間があるので、書庫にでも行こうと食堂の外へ出た。
ギルド内はみんなどこか落ち着きがない。忙しそうに早足で歩きながら、何かを話し合っている。彼らとすれ違い、書庫へ入る。ちょうど読みたいと思っていた本があった。偽物のフローレさんが盗んでいた『アルーナ地方の歴史』だ。学校に通っていたころにアルーナ地方の歴史については学んでいるけど、もう一度詳しく読んでおきたい。
本を借り、書庫を出て廊下を歩いていると、大きな箱を抱えた物品班のクリフさんが声をかけてきた。
「エルナ、仕事は夜からじゃなかったのかい?」
「夜からですよ。早く来ちゃって、リリアとご飯食べてました」
「はは、仕事もないのに職場に来るなんて、エルナは変わり者だねえ」
「今日はたまたまですよ。それにしても、すごい荷物ですね?」
「ああ、これ? ドラゴン討伐用の支給品だよ。薬師ギルドから届いたばかりなんだ」
クリフさんは箱を「よいしょ」と抱え直し、忙しそうに去って行った。ふと気になって中庭を覗いてみると、そこには多くの木箱が積まれていた。職員たちが箱の中身を確かめている様子が見える。
「なんだいこのテント、穴が開いてるじゃないか! 急いで縫わないと……」
「毛布の数が足りないよ。あと十枚……いや、二十枚は必要だ、すぐに手配して!」
彼らは討伐隊の野営地に必要な品を確認しているみたいだ。討伐者たちはアルーナ山のふもとに野営地を建てる予定だ。討伐者が滞在するために必要なものは、ギルドが全て用意する。彼らは現地に行って、急いで野営地の設営をしなきゃいけない。時間がないのか、みんなどこか殺気立っている。
ついでに調査班の倉庫ものぞいてみた。中に入ると、数人が集まって真剣な表情で話し合っている。
「ドラゴンの外皮を剥がすときは、少しコツがいる。ワイバーンとはまるで違うから、慎重に取り扱うように」
「分かりました!」
「ドラゴンの解体には、専用の道具を使う。今から使い方の説明を――」
彼らは討伐後のドラゴンを解体し、調査する大事な役目がある。解体されたドラゴンの素材は売りに出され、討伐者ギルドに多大な利益をもたらすと言われている。人生で一度あるかないかの大仕事だ。みんな緊張していて、私が気軽に話しかけられる状況じゃないみたい。そのまま倉庫をそっと出ることにした。
最後に飛行船乗り場に立ち寄った。ギルドの中はどこも騒がしいので、ここのベンチに座って本を読もうと思ったのだ。飛行船乗り場には、出発を待つ飛行船があった。ドラゴン討伐のため、飛行船はアルーナ地方行きが優先されるという。昼以降の出発は、ほぼ全てがアルーナ地方行きになる。
街を見渡せる高台のベンチに腰かけた。私はそこで本を開いたけど、ちっとも文字が頭に入ってこない。ただひたすら、文字の形をしたものを目で追っているだけだ。
アレイスさんのことが心配で、つい彼のことばかりを考えてしまう。もしも、このまま彼と会えなくなったら……そんなことを想像しては、慌てて首を振る。
父が亡くなったのは十年前で、まだ幼かった私は、父ともう会えなくなるなんて考えもしなかった。危険な仕事をしているのは知っていたけど、父はいつもニコニコしながら家に帰ってきたから、今回もそうだろうと思っていた。
でも、父は帰ってこなかった。父の代わりに、当時の支団長と彼の仲間が神妙な顔で私の家を訪ねてきた。
嫌なことをまた思い出してしまった。私はなんとか本を読もうと努力するけど、結局ほとんどの時間をぼんやりとしたまま過ごした。




