第91話 フローレさんの復帰
翌日の仕事は夕方からだ。
朝、母を送り出したあとは掃除や洗濯をして時間を過ごす。掃除はまあまあ好きだけど、洗濯は嫌いだ。今はまだ夏の終わりで気温が高いからいいけど、冬の洗濯は水の冷たさがナイフみたいに鋭くて、本当に辛いのだ。水を吸った洗濯物を干すのも重労働だし、取り込んで畳むのも面倒だし……と不満を言いだしたらきりがない。
日が傾いてきた頃、ようやく出勤だ。昼の仕事を終えた人々と通りですれ違う。みんな仕事から解放され、どことなく足取りも軽そうだ。通り過ぎるパン屋をちらりと見ると、もう商品はほとんどなく、店じまいの準備をしている。店に掲げられた看板はずいぶん長い間傾いたままで、私はいつもいい加減早く直せばいいのにと思う。
大通りを過ぎ、街の中央広場へ差しかかると多くの人で賑わっていた。アコーディオン奏者の軽快な音楽に体を揺らせる人、ベンチに座っておしゃべりをする人たち。ドラゴンの目覚めの噂があるとは言え、まだ人々の間に混乱が起きていないことが分かる。でも本格的に目覚めることが分かれば、きっと街の人たちも混乱するだろう。
どうしてこのままじゃいられないんだろう。ドラゴンはなぜ、私たちに試練を与えるんだろう。その答えを知る者はいない。教会に行って聖女ウィンドさんに話を聞いてみようか、なんてふと思ったりした。彼女にもきっと、答えは分からないだろうけど。
♢♢♢
着替えを終えて監視班の部屋に行く。いつも私に情報を教えてくれる監視班のビルさんも、最近はずっと表情が暗い。
「エルナ、今日は夜からかい?」
「そうなんです。ビルさんはもうすぐ仕事終わりですか?」
「まあ、一応はね。でも今日、仲間がアルーナ山から戻ってくるはずだから、それまでは待とうと思ってるんだ」
アルーナ山の様子を見に行った監視班とアレイスさんは、今日戻ってくるらしい。アレイスさんに少し話を聞けるといいんだけど。
ビルさんに周辺の状況に変化がないか尋ねる。魔物がアルーナ山から逃げてきている状況に変化はない。今日はミルデンの街の近くまで『ワイバーン』が来ているのが見えたらしい。ワイバーンはドラゴンより小さくて数も多いけど、人々が暮らすところにはあまり近寄ってこないから、ワイバーンが街から見える位置まで飛んでくるのはとても珍しい。ワイバーンもドラゴンから逃げているのだろうか。
監視班の部屋を出たあと、受注担当官のバルドさんに挨拶をしに行くと、バルドさんと話すフローレさんの後ろ姿が目に入った。
「おお、来たかエルナ!」
バルドさんが私に気づき、続いてフローレさんも振り返る。艶やかな長い銀色の髪を二つに分け、三つ編みにしている。銀縁の丸眼鏡をかけ、とても小柄で一見少女のような見た目だ。
「エルナ、今日から受付嬢としてここで働いてもらうフローレだよ」
バルドさんに促されたフローレさんは、私にペコリと頭を下げた。
「今日からお世話になります! フローレです。エルナさんのことは、クロウハート支団長からうかがってます! よろしくお願いします」
「エルナです。ミルデンにようこそ! これからよろしくお願いします」
フローレさんは「ハイ!」と元気よく返事をした。礼儀正しくて可愛らしい子だ。偽物のフローレさんとは随分雰囲気が違う。
「ミルデンはとても穏やかで素敵な街だと聞いてたので、ミルデンのギルドで受付嬢を募集していると聞いたとき、すぐに立候補したんです。思った通り素敵な街ですね!」
「ありがとうございます。フローレさんは若いのにこんな遠いところまで一人で来るなんて、立派ですね」
「私のことはフローレ、とお呼びください! 私、ルナストーンのギルドであまり馴染めなくて、ちょっと浮いてたんです。だから環境を変えたかったというわけなんです」
「浮いてた?」
思わず疑問を口にすると、フローレは気まずそうな笑顔を浮かべた。
「ルナストーンの受付嬢に、古株でちょっと怖い人がいまして……私その人に嫌われちゃったみたいで……すみません、立派だって言っていただいたんですけど、本当は一刻も早く別のギルドに移りたかったんです。クロウハート支団長からのお話は、私にとってもありがたい話だったというわけです」
私は思わずバルドさんと顔を見合わせた。まだ若いフローレが自らミルデン行きを名乗り出るなんて、立派な人だと思ったけど、そういう事情があったのか。
「ミルデンのギルドは、アメリアさんが職員のことをとても大事にしてくれるんです。受付嬢の間でトラブルがあったら、すぐに私でもバルドさんでもいいので話してくださいね」
「エルナの言う通りだ。何かあればすぐに相談して」
「ありがとうございます!」
フローレは背筋をピンと伸ばして答えた。他のギルドのことは分からないけど、古株が新人をいびるというのはよく聞く話だ。母の薬師ギルドでもそういう人がいて、母は新人の頃にいじわるな古株に随分いじめられていたらしい。母は古株に負けじと気が強い人なので、仕事で見返そうと頑張っていたら、いつの間にか古株の方が大人しくなってしまったそうだけど。
ミルデンには幸いそういう人がいなかったけど、ギルドによって雰囲気の違いは色々あるのだなと思う。多分、支団長が誰かによってもだいぶ変わるんじゃないだろうか。
自己紹介も終わり、昼の受付嬢と交代して私とフローレは受付に入る。彼女は見るからに緊張した顔で、何度も眼鏡を触ったり、討伐者情報が書かれたリストを見たりしていた。
「夜はそんなに混雑しませんけど、今日は監視班がアルーナ山から戻ってくるはずなので、賑やかになると思います」
「あ、ハイ! ドラゴンの監視から戻るんですよね?」
「ミルデンに来たばかりなのに、ドラゴンが目覚めるかもしれないなんて……大変なときに来ちゃいましたね」
「いえ、受付嬢としてギルドに入った以上、こういうことは覚悟の上ですのでご心配なく! 仕事を始める前、教会にお邪魔して過去のドラゴン被害についても学んできましたので!」
フローレはそう言って胸を張った。私が心配するまでもなく、彼女はとうに覚悟を決めていた。異端討伐者に誘拐され、怖い目にあったというのに、もう心を切り替えている。
ホッとしながら受付に立っていたら、飛行船乗り場へ通じる扉が開いて、ガヤガヤと人がなだれ込んできた。見ると彼らは全員監視班の人たちだ。
「お帰りなさい!」
ようやく彼らがアルーナ山の監視から帰ってきたのだ。ソワソワしながら、戻ってくる人たちを見ていると、一番最後にアレイスさんが姿を現した。




