第89話 前兆
第3章始まります。よろしくお願いします!
カウンターの傍らにある羽根ペン立てが倒れる。
「――また揺れた!」
突き上げるような揺れに一瞬周囲がざわっとするけど、揺れはすぐに収まった。私は倒れた羽根ペンを元に戻し、少し怯えた顔の討伐者さんに微笑んだ。
「最近多いから不安ですよね。でも心配しないでください。我が『討伐者ギルド』では、既にこの件に関して調査を進めております! 何かありましたら、すぐにお知らせしますから」
ホッとした表情を見せる討伐者さんを見て、私も安心した。ここ数日、今みたいに一瞬地面が揺れることが増えたのだ。夜になると収まるけど、昼間は小さな揺れが何度も起こるので、みんな不安になっている。
「頼むよ、エルナ。もしも『アルーナ山』のドラゴンが目覚めるなんてことになったら……」
「まだ揺れの原因が、アルーナ山のドラゴンにあるかどうかは分かりません。とにかく皆さんには落ち着いていただいて、魔物討伐をよろしくお願いしますね。魔物を倒して欲しいという依頼は、今日もたくさん来てるんですから!」
正直言って不安なのは私も同じだ。でも私は討伐者ギルド・ミルデン支団の受付嬢、エルナ・サンドラ。不安に怯える彼らを安心させ、本来の仕事である魔物討伐をしてもらわなきゃいけない。私は彼らに討伐依頼を紹介し、見送ることしかできないけど、私にできることを精一杯やるしかないのだ。
「では、お気をつけていってらっしゃいませ!」
「行ってくるよ」
まだ少し不安そうな討伐者さんを見送り、私は一息ついた。先日から起こっている揺れについて調べるため、ギルドの『監視班』が現地に行っている。ずっとアルーナ山の異変について調べていた魔術師のアレイスさんも、彼らに同行していった。前回も調査に行っていたけど、その時は空からの調査だった。今回は実際に山に入ってもっと詳しく調べるらしい。
アルーナ山に百年眠ると言われるドラゴン。目覚めると周囲を焼き尽くす炎を吐き、人々の生活に甚大な被害を与えると言われている。ドラゴンの目覚めには前兆と呼ばれるものがあるので、ギルドでは前兆らしき現象を捉えると、すぐに調査して対応に入る決まりがある。目覚めが近づいたら、近くの村に住む人々を避難させる準備を始めなければならない。
そして力のある討伐者たちは、ドラゴンを倒すための討伐隊に入る。ドラゴンというのは気まぐれで、完全に目覚めて大暴れする時もあれば、少し暴れて再び眠りにつくこともある。できれば今回の目覚めは後者であって欲しい。
受付が落ち着いたころ、私の友人で相棒でもある受付嬢リリアが話しかけてきた。
「今日も揺れるわね。ちっとも収まらないじゃない」
「そうね……」
「アレイスさんたち、まだ戻らないの?」
「私に聞かれても、分からないよ」
リリアは私を見ながら意味ありげに「ふうん」と笑う。リリアは私とアレイスさんが仲がいいことを知っているから、こうしてからかってくるのだ。私もお返しに、リリアが最近仲良くしているサイラスさんの名前を出してやろうかなと思ったけど、やっぱりやめておこう。
「依頼の数も急に増えたわよね……しかも、どれもアルーナ地方ばかり」
リリアは受注書の束をペラペラとめくっている。ドラゴンの目覚めが近づくと、察知した他の魔物が山から逃げ出す。普段山の中に潜んでいる魔物が人里に降りてくるので、魔物との遭遇が増えるのだ。殆どは弱い魔物だから、倒すことにそれほど苦労はしない。でも数が増えると、討伐者の手が足りなくなる。
受付ロビーの壁にはお知らせの紙が貼ってある。
『アルーナ地方の依頼について。
魔物の出現が増えているとの報告が入っています。現在アルーナ地方の依頼については、最優先でうけていただくようお願いしております。今だけ報酬金を増額させていただきますので、受注はお早めに!
――討伐者ギルドミルデン支団』
あの貼り紙にどれだけの効果があったか分からないけど、それなりの討伐者がアルーナ地方の依頼を受けていった。討伐者はギルドと契約しているとは言え、基本的にはどの依頼を受けるかは彼らの自由だ。ギルドからここへ行けと命じることは基本的にない。彼らをやる気にさせる方法は、やっぱりお金だ。
アレイスさんはずっとアルーナ山のドラゴンのことを気にしていた。自分でも調べていたみたいだし、監視班に頼み込んで一緒に調査にも出かけている。このまま本当にドラゴンが目覚めたとしたら、恐らくアレイスさんもドラゴン討伐に行くことになる。彼は元王宮魔術師で、今はミルデン支団の二級討伐者だけど、別のギルドでは一級討伐者だった人だ。彼ほどの力があるなら、ギルドも頼るだろうし、彼自身も行くと言うはずだ。
それを分かっていても、やっぱり私の心は重しが乗ったみたいにずっしりと重い。どうしても、嫌な想像ばかりをしてしまう。
なぜなら私の父は、十年前に別のドラゴン退治で亡くなったからだ。
当時の戦いで亡くなったのは、父一人だけ。父は自らおとりになり、命を落とした。父の体は戻ってこなかったから、墓に父はいない。
母は父を亡くしたショックをしばらく引きずった。だから娘の私には、討伐者と結ばれてはいけないと言ってきた。私はずっと母の言葉を守り続けてきた。受付嬢は討伐者と出会って恋に落ちることが多いけど、私は今まで誰ともそのような関係になったことはない。
そのはずだったのに、私は近頃ずっとアレイスさんのことばかりを考えている。
いつも優しくて、私を助けてくれる人。私に絵を描く喜びを教え、彼の部屋をアトリエとして自由に使っていいとまで言ってくれた。
それだけじゃない。私に『お守り』として綺麗なリボンをくれた。彼は生まれを隠しているけど、実は王都の貴族だ。のどかな田舎町のミルデンで暮らす私とは、何もかも釣り合わないことくらいは分かっている。彼がいずれ、王都に帰ってしまうだろうとも思っている。
それでも、彼に対する思いはどんどん膨らむばかりだ。アレイスさんにこのあと、危険なことが起こりませんように。
心の中で祈りながら、私は仕事に励むのだった。
第3章は最終章となります。完結までどうぞよろしくお願いします!




