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ギルド受付嬢は今日も見送る~平凡な私がのんびりと暮らす街にやってきた、少し不思議な魔術師との日常~  作者: 弥生紗和
第2章 魔術師アレイスの望み

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第86話 アトリエで・2

 二階のアトリエに入るのは久しぶりだった。アレイスさんは先に中へ入り、壁掛けランプに火を灯す。魔術で火をつけているのを見ると、やっぱり魔術師らしいなと思う。


「ベッドも用意してあるんだよ。遠慮しないでゆっくりしてね」

「えっ、凄い! わざわざ置いてくれたんですか?」


 部屋の片隅にはベッドが置かれていた。以前ここには布で覆われた家具の山があったはずだけど、それらはすべて片づけられている。


「ゲストルームにあったものをこっちに持ってきたんだ。どうせ使わないし、エルナが来たときに疲れたら休めるようにと思って」

「ありがとうございます……すみません、ここまでしてくれたのに、全然アトリエに来てなくて……」

「僕が勝手にやってることだから、いいんだよ。でもようやく役に立ったね」


 アレイスさんは微笑んだ。とりあえず屋根のある場所で一晩過ごせればいいと思っていたから、ベッドがあるのはありがたかった。


「そうだエルナ、お風呂は入った?」

「まだですけど……」

「今用意するから、待ってて。着替えは持ってきた?」

「持ってきましたけど、そんな、お風呂なんて! そこまでお世話になるわけには」

「入ったらすっきりするよ。僕もあとで入るつもりだし、ついでだから」


 アレイスさんは「準備ができたら呼ぶから」と言い残して部屋を出て行った。アトリエを使わせてもらうだけのつもりが、お風呂まで借りることになってしまった。

 やっぱり私は少し冷静さを欠いていたのかもしれない。お金はかかっても、宿屋に行くべきだった。


 落ち着こうとベッドに腰を下ろす。部屋の中は殺風景で、中央に絵を描くためのテーブルと椅子があるほかは何もない。画材は持ってきたけれど、心の中がざわついていて、とても絵を描く気分にはなれなかった。


 頭に血が上っていたとはいえ、アレイスさんの家に泊まるなんて、なんて大胆なことをしてしまったのだろう。恋人でもない男性の家に泊まるなんて、母が知ったら……。いや、今は母のことは考えるのをやめよう。私はもう大人で、自分の人生は自分で決められる。


 いろんな考えが頭の中をぐるぐると渦巻いていた。コン、コン、と扉をノックする音がして、ようやく我に返る。


「用意ができたよ、エルナ」


 知らせに来たアレイスさんと一緒に一階へ降り、お風呂へ向かう。広い更衣室にはタオルが置かれていた。


「ゆっくり温まるといいよ。出たら知らせて。僕は部屋にいるから」

「はい、ありがとうございます」


 アレイスさんに礼を言い、私はお風呂に入った。自宅の倍はありそうな広さだ。大きな浴槽にはたっぷりとお湯が張られている。

 洗い場にある石鹸はいい香りがして泡立ちも良い。きっと高級品なのだろう。浴槽に体を沈めると、心地よい湯の感触に包まれ、こわばっていた心が少しずつほぐれていく。足を伸ばせるほどの広さが嬉しくて、思わず顔がゆるんだ。そういえば、どこか花の香りがする。お湯に香油を入れているのかもしれない。


 改めて、アレイスさんは貴族なのだと実感した。討伐者たちはいい意味で豪快で、お風呂にすら入らない人もいる。独特の体臭に思わず息を止めたこともある。あまりにも匂いが酷いと他の討伐者から苦情が出るので、そういうときはさすがに注意するけど。


 香油の甘い香りに包まれているうちに、次第に気持ちが落ち着いていった。アレイスさんが「入ったらすっきりするよ」と言っていたけれど、その通りだ。

 今夜はここでゆっくり休み、明日は家に帰ろう。母にちゃんと自分の気持ちを話せば、きっと分かってくれる。私がアレイスさんに抱いている感情は、憧れ以上のものだ。できれば母にも、アレイスさんの良さを知ってもらいたい。そして、私のこの気持ちを理解してほしい。


 たとえ彼と結ばれなくても、彼を想う気持ちは大切にしたい。


 

 ♢♢♢


 

 お風呂から上がった私は、アレイスさんの部屋へ行き、扉を叩いた。返事があり扉を開けると、アレイスさんは机に向かって本を読んでいた。


「どうだった? お風呂」


 アレイスさんは振り返り、椅子から立ち上がる。部屋の中は以前と変わらない。机の上には無造作に本が積まれ、床にも本が散らばっている。殴り書きされた紙があちこちにあり、ソファの上には服らしきものが山積みだった。


「広くて、いい香りがして、すごく気持ちよかったです。ありがとうございました」

「そう、少しは気分がよくなった? 香油はたまに入れるんだ。緊張がほぐれて、よく眠れる効果があるんだよ」

「いいですね、私も使ってみたいな」

「後で分けてあげるよ。沢山あるから」


 立ち話のままだったので、アレイスさんが「そこに立っているのもなんだから、ここに座ったら?」と言い、私は部屋の中に入った。アレイスさんはソファの上の服を軽くよけ、私の座る場所を作ってくれる。


「ごめんね、散らかってて。何か飲む?」

「いえ、大丈夫です」


 アレイスさんは「そう」と言って私と向かい合うように腰を下ろした。


「エルナ。お母さんと喧嘩したの?」


 私は苦笑しながら「……はい」と答える。


「ジェマさんは僕のことが嫌いだから、あんなに怒っていたのかな」

「それは違います! 別にアレイスさんのことが嫌いであんな態度を取ったわけじゃありません」


 しょんぼりしているアレイスさんを、私は慌ててフォローした。


「母は……討伐者の父をドラゴン討伐で亡くしているので、娘の私に同じ思いをしてほしくないと思っているんです。だから、討伐者と……必要以上に仲良くしてはいけないと……」

「そうか。ジェマさんは僕がエルナに近づくのが嫌なんだね」

「……母は、私がいつまでも幼い子供だと思っているんです! 私が誰と仲良くして、誰と結婚しようと母には関係ないんです!」


 思わず「結婚」という言葉を口にしてしまい、私は焦った。


「あ! 今のはたとえ話というか……別に今、誰かと結婚したいとかそういう話ではなく……」

「エルナはやっぱり、いずれは結婚したいと思ってる?」

「え?」


 ふとアレイスさんの顔を見ると、笑みを浮かべながらも、どこか寂しそうに見えた。


「それは、いずれは……まだ全然そういうことは考えてないですけど。そもそも相手もいませんし」

「そう」


 アレイスさんは目を細め、いつもの穏やかな笑顔に戻った。


「さっきまではずっと腹を立ててたんですけど、お風呂で考えて少し落ち着きました。明日は家に帰って、母とちゃんと話をしようと思ってます」

「それがいいね。ジェマさんは悪い人じゃない。エルナのことが心配でたまらないんだよ。エルナが辛い思いをしたり、悲しんだりする姿を見たくないだけなんだ。縛りたくないと思っていても、つい縛ってしまうんだよ……きっとね」

「そうですね。私も、母のことが嫌いなわけじゃないんです。母が私を心配する気持ちも、分かるんです」


 私が微笑むと、アレイスさんも同じような笑顔で頷いた。


「それじゃ、私はそろそろ戻りますね。明日は早朝に家を出ます。仕事は休みなんですけど、出勤前の母と話したいので」

「分かった。僕のことは気にしないで」

「はい、おやすみなさい」

「おやすみ、エルナ」


 アレイスさんにおやすみを告げて部屋を出る。扉を閉めるとき、隙間から見えたアレイスさんは、じっと私を見つめていた。


 その表情を見て、今夜自宅まで送ってもらったときのことを思い出す。私のリボンに触れたアレイスさんは、あのまま私の顔に触れようとしていた。


 勘違いかと思ったけれど、あのときの彼は今と同じ顔をしていた。

 何か言いたげな、そんな顔をしていた。

次回はアレイス視点のお話です。2章は残り2話です!

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