第78話 自覚
翌朝、ぱちりと目を開けた私は、薄暗い部屋の中で起き上がる。重苦しいカーテンの隙間から一筋の光が差し込み、まるで矢のように私の顔を照らしたので、渋々ベッドから降りてカーテンを開けた。外の明るさに一瞬目を閉じ、再び開けると、古びた窓枠に何やら紙のようなものが挟まっていることに気づいた。
「何これ?」
それは折りたたまれた手紙だった。開いてみると、私あてのメッセージが書かれている。
『エルナへ――
昨夜の男は衛兵が捕まえたよ。気になるなら詰所に行ってみるといい。
――アレイス』
「これ……アレイスさん!?」
メッセージを読んだ私は慌てて支度をする。アレイスさんが私の部屋の場所を知っていたことがふと気になったけど、今はそれどころじゃない。
急いで着替え、朝食も取らずに家を出た。父に挨拶していなかったことに気づいて、慌てて家に戻り、早口で父の絵に「行ってきます!」と挨拶をする。母はまだ眠っているのか、それとも温室で植物の世話をしているのだろうか。温室を覗くと、母は起きていて、植物に笑顔で話しかけていた。
「お母さん、私ちょっと急用があって、もう出るね」
「あら、エルナ。こんな早くに?」
「うん。朝ごはんは悪いけど一人で食べて。じゃあ行ってきます!」
母の返事を待たずに、私は家から駆けだした。衛兵の詰所は街の広場のすぐ近くに建っている。分厚い木の扉の前には鋭い目をした衛兵が立っていて、通りがかる人を睨むように見ている。何も悪いことをしていないのに、つい背筋を伸ばしてしまう。
「あの! 昨夜捕まえた男がここにいるって、アレイスさんに聞いたんですけど」
緊張しながら見張りの衛兵に声をかけると、衛兵は私をじろじろと頭からつま先まで見た。
「あんた、討伐者ギルドの受付嬢か。アレイスは夜中からずっとここにいるよ」
「アレイスさんが中に?」
「入って奥の扉だ。地下へは行くんじゃないぞ」
アレイスさんが詰所で夜を明かしたことに驚きながら、私は中に入る。広間の中央には巨大なテーブルがどんと置かれ、その上には食べかけのパンやカードゲームの痕跡が残っていた。壁に沿ってずらりとベンチが並び、その上には当番表が貼ってある。
広間の奥に扉があり、騒ぎを起こして捕まった者はその奥へ連れていかれる。地下には牢屋があるので、捕まった者は一時的にそこへ入れられる。
早朝だからか、衛兵の姿はまばらだ。奥に進んで扉を開けると、さらに長い廊下が続く。廊下に置かれた椅子に、一人ポツンとアレイスさんが座っていた。
「アレイスさん!」
私が声をかけると、アレイスさんは顔を上げて微笑んだ。
「おはよう、エルナ。やっぱり来たね」
「おはようございます。昨日の男が捕まったって、あのあと何があったんですか?」
私はアレイスさんの隣に腰かける。アレイスさんは昨夜と同じ格好をしていて、黒いマントを羽織ったままだ。けれどその顔には少しの疲れも見えない。私だったら一晩徹夜しただけでまぶたが半分しか開かなくなってしまうけど、アレイスさんはいつもと変わらない。
アレイスさんは私に昨夜の出来事を話してくれた。樫の食卓を出て帰ろうとしたとき、偶然男の姿を見つけて後をつけたらしい。男には仲間がいて、二人の会話から男の正体が異端討伐者だと分かったのだという。一人になったところで男を捕まえてここへ連れてきて、男から話を聞きだすためにずっと詰所にいたら夜が明けてしまったのだそうだ。
「あの人は異端討伐者だったんですね。え? 待ってください。じゃあフローレさんも異端討伐者なんですか?」
「いや、フローレは異端討伐者ではないよ。フローレは金で雇ったと話していた。受付嬢をしていた経験があるのは確かみたいだけど、ルナストーンの受付嬢じゃないらしい」
「やっぱり別人ですか……じゃあ、本物のフローレさんは一体どこにいるんでしょう?」
私の疑問に、アレイスさんは首を振った。男は本物のフローレさんについては「知らない」の一点張りだという。どうやら捕まった男は首謀者ではなく、もう一人いた男が首謀者ではないかとのことだった。
本物のフローレさんが無事なのかどうか、それが心配だ。異端討伐者はならず者の集まりだと言われている。彼女が危ない目に遭っていないだろうか。捕まった男が知らないのなら、成りすましているフローレさんに直接聞くしかない。
「フローレの本名は『マイヤ』だと言っていた。この名を出せば、彼女も観念するだろう。男たちは今日のうちに目的を果たして逃げるつもりだったようだ」
「彼らの目的は、何なんですか?」
アレイスさんは前を向き、大きく息を吐いた。
「ドラゴンだよ。男たちはドラゴンの監視情報を得ることが目的だった。異端討伐者のあいだでも、アルーナ山のドラゴンに目覚めの兆候があるという噂は広まっている。ドラゴンの素材は高額で取引されるからね。彼らにとっては宝の山なんだ。ドラゴンが目覚めたらどれだけの被害が出るか……奴らには何の関心もない。奴らが興味を持つのは、金だけだ」
だんだんアレイスさんの声が低くなっていった。彼の口調から静かな怒りを感じ、その横顔を見ていたら、少し怖くなった。
「……彼らにとっては、そこに住む人々のこととか、関係ないんでしょうね」
「ああ。勝手な連中だよ」
睨むように前をじっと見たまま話すアレイスさんを見ていると、私の視線に気づいた彼は笑顔に戻った。
「ギルドにはもう知らせたから、フローレが出勤した時点で捕まえるはずだ。おそらく支団長にも知らせがいっているだろうから、彼女もじきに王都から戻ってくるだろう。もうエルナは何も心配しなくていいよ」
「アレイスさん。いつも助けてくれて、ありがとうございます」
彼は討伐者なのに、いつも手助けしてもらっているのが申し訳なかった。本来ならば、これはギルドの職員で解決しなければならない問題なのに。
「そんなに恐縮しないで。異端討伐者に武器を持たない者が立ち向かうべきじゃない。衛兵だって一人じゃ勝てないと言われてるくらいだ。魔物と戦えるくらい強く、人を傷つけることを躊躇しない連中だよ。こういうときは遠慮なく僕を頼って」
「はい……」
アレイスさんの言う通り、異端討伐者は並みの人間ではかなわないほど強い。普通の人間では勝てない魔物と戦う彼らなのだから当然だ。でもそんな彼らとアレイスさんが接触するということは、アレイスさんにも危険があるということだ。
私はアレイスさんに危険な目に遭ってほしくない。アレイスさんが苦しむ姿を想像するだけで、胸がざわざわする。魔物と戦う彼だから、常に危険と隣り合わせだということは知っている。だからこそ、不要なトラブルには関わってほしくないのだ。
ふと、私は母の顔を思い出した。そうか、こういう気持ちなんだ。
母もきっと同じなのだ。私が苦しむ姿を想像したくなくて、討伐者になることをずっと反対していた。
そして私に愛する人を失ってほしくないから、討伐者と結ばれることに反対している。
「どうしたの? ぼんやりして」
アレイスさんの優しい声を聞き、私は彼の瞳を見た。吸い込まれそうな深い青。その表情は穏やかで、彼を見ているだけで胸が締めつけられそうになった。
「……なんでもないです。わ、私は急いでギルドに行きますね」
自覚してはいけない感情が、胸の底からどんどん湧き上がってくるのを感じた。私はそれを無理やり押さえつけ、ギルドに向かうのだった。




