第77話 魔術師アレイスはいつも見守る・2
ゆっくりと手を上げ、納屋の扉に狙いをつける。彼の手が怪しく光ったあと、放たれた風が蛇のようにうねり、扉をいとも簡単に吹き飛ばした。
「な、なんだ!?」
納屋にいた男は驚いている。だが扉の向こうで怪しく微笑むアレイスの姿を見ると、素早く腰に下げていた短剣を抜いた。
「僕は、ミルデンが好きなんだよね」
アレイスは微笑みながら、一歩一歩男に近づく。
「近寄るな!」
「ミルデンの人たちを困らせてほしくないんだよ」
「こっちへ来るなと言ってるだろ!」
男は短剣を構え、近づくアレイスに威嚇した。
「目的は何かな? 魔物の情報? それとも魔物の素材そのもの?」
「近寄るなって言ったのが聞こえなかったのか!」
「それはこっちの台詞だよ。ミルデンのギルドに二度と近づくんじゃない」
アレイスはすっと真顔に戻ると、手のひらを男の体に向けた。男が短剣を突き出す瞬間、アレイスの手のひらが光った。
ドンという衝撃音の直後、男は硬直したまま後ろにばたりと倒れた。
「僕はエルナの『お守り』なんだ。悪いものは僕が全部退治しないとね」
アレイスは冷たい表情で男を見下ろした。男は仰向けのまま横たわり、棒のように固まったまま動かない。かろうじて口をパクパクと動かしているが、言葉が出ない。
「無理に動かない方がいいよ。しばらくしたら元に戻してあげる」
そう言ってアレイスは男のそばにしゃがみ、男の服の中に手を突っ込んだ。外套の裏やズボンのポケットをごそごそと探り、中身をすべて取り出す。出てきたのは、紙に包まれた草のかすのようなものや、銀貨や銅貨などのお金だった。草は異端討伐者のあいだで出回っている、興奮作用があるものだ。恐怖心を消せるので、力のない異端討伐者が格上の魔物と戦う際に使うと言われている。依存すると体を壊すため、討伐者ギルドでは使用を固く禁じられているものだ。
「やっぱりね……」
この男は異端討伐者に間違いない。アレイスは男の硬直した顔を見た。男は目玉だけをぎょろりと動かし、必死に何かを訴えようとしている。
「そんなに話をしたいなら、話せるようにしてあげようか」
男は何度もまばたきをしてアレイスに訴えた。アレイスは男の要望に完璧な笑顔で応えた。納屋に置いてあったロープで男の手足を縛ったあと、男の体に手をかざし、魔術を解いた。
「――てめえ! こんなことしてただで済むと」
「せっかく口をきけるようにしてあげたのに、随分威勢がいいね。君が今置かれている状況を分かってる?」
魔術が解かれ、口が利けるようになった男はアレイスに息巻いていた。アレイスはそんな男に動揺することもなく、平然と笑みを浮かべている。
「お前、ミルデンの討伐者だな? どうやってここを見つけた」
「そんなこと、どうでもいいじゃない。君は今、生と死の狭間にいるんだよ?」
男の顔に焦りが浮かび、額には汗がにじむ。
「お前、俺を殺す気じゃないだろうな?」
「はっきり言うけど、僕は君の未来に興味がないんだ。でも、そうだな……君が何故ギルドにフローレと名乗る女を送り込んだのか、その理由は聞いておきたいんだよね」
「クソッ、あいつ、裏切ったな! どうも信用できん女だと思っていたが……」
男はフローレが裏切ったと思い込み、悪態をついている。アレイスは目を細め、更に男に詰め寄った。
「明日にはこのことがギルド中に知れ渡るだろう。異端討伐者は多かれ少なかれ、色々な場所で罪を重ねているものだ。僕が手を下す必要もなく、君は捕まって牢屋に送られるだろうね」
「そんなのは覚悟のうえだ。捕まることが怖くて異端討伐者なんかやれるか」
「へえ、さすがだね。それで、フローレに何を探らせていたんだい?」
男は急に無言になり、ぷいと顔をそむけた。
「何か調べたいことがあったんだろう? でもこの辺りに、そんな貴重な魔物がいたかな……」
異端討伐者は金のためならどんな危険も冒す連中だ。だからといって、ギルドの中にわざわざ入り込むことまではしない。彼らは彼らなりにギルドと距離を取っている。そんな彼らが身代わりまで立ててギルドに侵入するということは、よほどの利益を見込んでいないとあり得ないのだ。
アレイスはハッとなった。エルナに聞いた、ギルドで起こったある異変。数の合わない回復薬はともかく、彼が気になったのは書庫でなくなったという本である。その本はアルーナ地方の歴史について書かれたものだとエルナが話していた。
「まさか……アルーナ山のドラゴンについて、君たちも調べているのか?」
男はアレイスの顔をじっと見て、不敵な笑みを浮かべた。その表情が答えだった。
「仮にドラゴンが倒されれば、素材は全て高額で取引される。君たちの狙いはそれだね?」
「お前らにドラゴンの利益を独り占めにはさせねえぞ。ようやくアルーナ山のドラゴンが目覚めようとしてるんだ。待ちかねたお宝なんだよ、他の魔物じゃ比べ物にならねえ」
アレイスの表情がみるみる険しくなる。アレイスにとってドラゴンというのは、大地そのものである。その圧倒的な力で周囲を燃やし尽くし、再び眠りにつくドラゴン。倒しても灰の中から再び生まれる彼らの存在は、人類が抗うことのできない『災厄』の一つだ。
この国の王はドラゴンを全て絶滅させることが、王国の平和と繁栄に繋がると考えている。だがアレイスは、ドラゴンを絶滅させるべきではないと思っている。ドラゴンが燃やし尽くしたあとの大地は、豊かな土地に生まれ変わる。ドラゴンの体の中にある魔石は、巨大なエネルギーの源となる。ドラゴンが目覚めたら人々を避難させなければならないが、ドラゴンの存在は人々の生活を豊かにするものだ――アレイスの主張は国王はじめ、王宮の人間には受け入れられなかったが、今も彼の考えは変わっていない。
「君たちはドラゴンをただのお宝だと考えているんだね。討伐者ギルドは魔物を倒すけど、それは人々を守るためなんだ。利益だけで動いているわけじゃない」
「綺麗ごと言いやがって、結局お前らも金が儲かるからやってるんだろ? つまらん連中から英雄みたいに持ち上げられて、いい気になってるだけだろうが」
「綺麗ごとで何が悪いんだ。僕はミルデンの街をドラゴンの炎で焼かれたくない。それだけだよ」
アレイスは手のひらを男に向けると、再び魔術を使った。男は目を大きく見開いたまま硬直し、再び動きを封じられた。恨みがましい目で男はアレイスを睨んでいる。
男の顔をまるで汚いものをみるような目で見たアレイスは、納屋の外に出ると、外れて落ちた扉を元通りにした。観音開きの取っ手に箒を通し、中から開かないようにする。
再びアレイスは夜の闇に浮かび上がり、街の中心部へと飛んで行った。




