第71話 深夜の秘密
フローレさんと組んで仕事をする最後の夜。
男性の討伐者たちがフローレさんを質問攻めにしている。
「ねえフローレ、彼氏はいるの?」
「いませんよ」
「ミルデンに来たばかりだよね? 今どこに住んでるの?」
込み入ったことを聞く彼らにハラハラして、会話に割って入ろうかと思ったけど、当のフローレさんは平然としていた。
「まだ家が決まっていなくて……今は『樫の食卓』で宿を取ってます」
「へえ、樫の食卓にいるんだ!」
「なら、今度樫の食卓で俺らと一緒にご飯食べない?」
フローレさんは微笑んで「ごちそうしてくれるなら、いいですよ」と答える。彼らは「やった!」と大喜びだ。
大丈夫かな、フローレさんは特に嫌がっている様子はないけど、討伐者からのしつこい誘いは受付嬢にとって迷惑行為にあたる。ひどい場合は討伐者に処罰が下されることもあるのだ。
手続きを終えて彼らが帰ったあと、私はフローレさんに声をかけた。
「さっき、大丈夫でした? もしも迷惑なら、バルドさんに報告した方がいいですよ」
「何がですか?」
フローレさんはきょとんとした顔で私を見る。
「ほら、食事に誘われていたじゃないですか」
「ああ……あれくらいどうってことないですよ。タダで食事をごちそうしてくれるんですから、むしろ助かります」
「あ、そう……それならいいんですけど。たまにしつこい人がいますから、困ったらすぐに誰かに相談してくださいね」
フローレさんは、私を見てフッと鼻で笑った。
「エルナさんって真面目なんですね。ああいう人はうまく利用した方がいいですよ? 受付嬢なんて給料安いんですから」
私は彼女の言葉に少しの違和感を覚えた。
何だろう? 今まで抱いていた彼女の優等生的な印象と、ちょっと違う気がする。討伐者さんを利用する、なんて言葉が彼女の口から出てきたことに、戸惑ったせいかもしれない。
♢♢♢
その日の仕事がようやく終わった。討伐者ギルドは一日中開いているけど、深夜から朝にかけては受付業務を閉じるし、隣の食堂も無人になる。ギルドに残るのはわずかな職員だけだ。稀にだけど深夜に魔物討伐へ向かうことがあるため、そのためギルドではいつでも誰かが対応できるようにしている。
「お疲れ様でした、エルナさん」
「お疲れ様でした。私は明日から昼の担当に戻りますので、フローレさんは一人で夜の担当をしてもらうことになりますけど、フローレさんなら大丈夫だと思います」
「はい、今までありがとうございました」
フローレさんは最後まで礼儀正しかった。さっきは少しイメージが違ったけど、やっぱり彼女はしっかりした人だ。
制服から私服に着替え、ようやく私はホッとする。フローレさんは先に着替えて帰っていった。
私もさっさと帰ってお風呂に入りたい。深夜のギルドはどこもかしこもしんと静まり返っていて、昼間の喧騒とはまるで別世界のようだ。暗黙の了解で、暇な時間に少しずつ交代でサボったりもするので、夜のギルドにはほんのりと背徳感の匂いがある。昼の活気あるギルドも好きだけど、実は夜のギルドの雰囲気も嫌いじゃない。
そういえば、書庫でなくなった本は見つかったのかな。休憩の時間、他の人に少し話を聞いてみたけど、まだ見つかった話は聞いていない。それどころか「そういえば、私のハンカチ、どこかで落としちゃったみたいなの。エルナ、知らない?」と逆に相談されたりした。
今はもう書庫の担当者はいないはずだし、明日また書庫へ行って聞いてみよう。そんなことを考えながら更衣室を出る。書庫は廊下の奥にあり、帰る方向とは逆にある。なんとなく書庫の方角に目をやると、角の向こうに消えていく人影が一瞬見えた。
「……?」
本当に一瞬だったけど、その姿は金髪の女性に見えた。金髪といえば真っ先に浮かぶのは、さっきまで一緒にいたフローレさんだ。彼女は先に帰ったはずなのに。
見間違いだろうと思ったけど、どうしてもさっきの人影が気になってしまった。私は靴音を立てないように、そろりそろりと歩いて書庫の方へと足を進める。
曲がり角に着き、そっと顔を出して向こう側をのぞく。廊下を照らす弱々しい壁掛けランプの明かりが、床に濃い影を落としている。一番奥にあるのが書庫の扉だ。そこは倉庫や物置が並ぶ区域で、深夜に用があるような場所ではない。
さっきのは見間違いかな? それとも、まさか幽霊……?
背筋がぞくっとして、私は不安を振り払うように首を振った。
奥へ行ってみようか迷っていたときだった。
ガチャ、と奥から音がした。私はとっさに頭を引っ込める。続いて扉が閉まる音、そしてコツ、コツと靴音がこちらに近づいてくる。
どうしよう、このままだと靴音の主と鉢合わせてしまう。
私はとっさにその場で靴を脱ぎ、靴を抱えて音を立てないように廊下を走り、更衣室の中に飛び込んだ。幸い扉は少し開けたままだったから、そのまま閉めずに隙間から様子をうかがう。
靴音の主がゆっくりと、前を通り過ぎていくのが見えた。黄金色の髪を後ろで一つにまとめ、ひらひらしたスカートを揺らせながら歩いていく――フローレさんだ。
やっぱりさっき見かけたのはフローレさんだったのだ。私の胸は早鐘を打つ。彼女は何の用があって書庫に行ったのだろう。しかも、今は書庫に行っても鍵がかかっていて入れないはずなのに。なぜ彼女が書庫に出入りできるのだろう。
フローレさんは私に気づく様子がなく、そのまま通り過ぎて行った。彼女がいなくなったことを確認してから、私は急いで書庫へと向かう。
書庫の前に着き、震える手で扉に手をかけた。
「……開かない」
扉にはしっかりと鍵がかかっていた。フローレさんは書庫の鍵を持ち、勝手に出入りしている。
ということは、書庫でなくなった本を持ち出した犯人は――私の頭に嫌な想像が浮かんだ。




