第63話 怪我
ゆっくりと目を開けると、私はベッドの上に寝かされていた。
ここはギルドの診療所だ。医師が常駐していて病室も完備されている。討伐者と職員のための施設で、診察室の隣に病室があり、広い部屋の中にはベッドが四台並んでいる。横を見ると怪我人はおらず、ベッドに寝ているのは私一人だった。
「目が覚めた? 気分はどう?」
私の顔を心配そうに覗き込んでいるのは、医師のレイチェルさんだ。私は「大丈夫です」と返し、体を起こそうと右手で支えようとしたが、ズキッと痛みが走った。
「気をつけて。まだ起きない方がいいわ」
「私、どうなったんですか……?」
起き上がるのを諦め、私は横になったままレイチェルさんに尋ねた。
「あのお騒がせなお嬢様に鞄を投げられたのは覚えてる?」
「はい……なんとなく」
「お嬢様の投げた鞄があなたの右腕に当たったの。幸い折れてはいないけど、しばらくは右腕を使わないようにね」
「えっ!?」
私は慌てて右腕を見た。制服のジャケットは脱がされ、ブラウス一枚だ。袖は肩の上までめくられ、二の腕から肘にかけて包帯でぐるぐる巻きにされている。
「あなたは鞄に当たって倒れ、気を失ったの。見たところ腕以外に異常はないけれど、しばらくは安静にして。私はアメリアさんを呼んでくるから、ちょっと待ってて」
レイチェルさんはキビキビとした動きで病室を出て行き、私は一人残された。意識がはっきりするにつれて、腕の痛みが強くなってきた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。ルシェラ嬢はどうなったのか。昨日のアレイスさんとの話し合いは上手くいかなかったのだろうか。疑問ばかりが頭を巡る。誰かにこの状況を詳しく説明して欲しい。リリアは受付の仕事中だろうか……それより今は何時なのだろう。ここには時計がないから分からない。
アメリアさんはすぐに病室にやってきた。
「レイチェル、ありがとう。仕事に戻っていいわ」
「はい、アメリアさん。あとでまた来ます」
レイチェルさんは軽く頭を下げて戻って行った。アメリアさんは私のベッド横の椅子に腰を下ろす。
「気分はどう?」
「平気です。あの……ルシェラ嬢は?」
「今は別室にいるわ。本音を言えば衛兵に突き出したいところだけど、あれでもアインフォルド支団長の娘ですからね」
アメリアさんは苦笑しながら、私の腕の包帯に視線を落とした。
「ごめんなさいね、エルナ。あなたが巻き込まれてしまったわ」
「大丈夫です、大した怪我じゃないですし」
「でも、その腕じゃしばらく仕事は無理ね。治るまでは家で休んでいなさい」
「大丈夫ですよ、指はこの通り動きますから」
私は慌てて右手を握ったり開いたりして見せた。
「指は動いても、その腕じゃ仕事にならないわ。気にしないでゆっくり休みなさい。あなたずっと働きづめなんだから、休暇だと思って。ね?」
特に体調が悪いわけでもなく、腕が痛いだけだから仕事はできると思う。でもアメリアさんがそこまで言うのならと、私は彼女の言葉に甘えることにした。
「ありがとうございます。できるだけ早く戻ってきます」
「いいから気にしないで。今回の事件は、私にも責任があるの。彼女の心を見誤ったわ。すっかり落ち着いたと思っていたのに」
「昨日のアレイスさんとの話し合いは、どうだったんですか?」
私が疑問を口にすると、アメリアさんは苦笑を浮かべた。
「アレイスが説得して、一度は納得したのよ。アレイスが帰ったあと、ルシェラ嬢は『もう迷惑をかけない、明日家に帰る』と言ったから私は安心して仕事に戻ったの。今朝は早くギルドに向かったから、彼女とは会っていなくて……」
「一度は納得したんですね。なのにどうして、あんなに怒ってギルドに押しかけてきたんでしょう」
「ルシェラ嬢は錯乱していてまだ話を聞けないから、侍女のマーニーからの話だけど。どうやら昨夜、彼女の父親に『伝話』をしたらしいの。そこで父親に『アレイスは別の女に心変わりしたのだろう』と言われたそうで、かなり落ち込んでいたみたい」
「そんなことがあったんですか」
私は思わずため息をついた。つまり、彼女がギルドに押しかけてきたのは根拠があったわけではなく、ただの思い込みだったのだ。そういえば以前、騎士のジュストさんが「ルシェラ嬢は思い込みが激しい」と言っていた気がする。ああいう性格なら、確かにアレイスさんは逃げたくなるだろう。
「ドレイクバーグ支団長ったら、余計なことばかりするのよね……全く。手紙で苦情を入れておくわ。アレイスと関わりがある女性となると、討伐者かギルド職員。ギルドの誰かがアレイスの心を変えたと思い込んだルシェラ嬢が、誰なのか突き止めようとしてギルドに来た。そこであれこれ言われて頭に血が上った……事情はそんなところね」
たぶん、それはリリアが喧嘩を売ったせいだろう……と思ったけれど、そのことはアメリアさんに言わないでおこう。誰だってあんな言い方をされたら頭にくるのは当然だ。
「それで、ルシェラ嬢はどうなるんですか?」
私は一番気になることを尋ねた。説得も聞かず、アレイスさんが直接言っても効き目がない。ルシェラ嬢は完全に意地になっている。
「このまま飛行船でアインフォルドに送り返すわ。私が書いたドレイクバーグ支団長宛ての手紙を持たせてね。それと今後一切、彼女にミルデンの地を踏ませることはありません」
アメリアさんの表情には静かな怒りがあった。ここ数日、ルシェラ嬢に振り回されて彼女も相当頭にきているのだろう。
「ルシェラ嬢は私の大切な部下に怪我をさせた。飛行船はもちろん、陸路でもミルデンに入れないよう衛兵に頼んでおくわ。彼女にはギルドを混乱させた責任を取ってもらいます」
アメリアさんはルシェラ嬢のことを話すとき、とても怖い顔をしていた。彼女はギルドの支団長であり、領主様の親戚でもある。衛兵に話を通すことも容易いだろう。
ルシェラ嬢が街を去ると聞いてホッとしていると、病室の扉が勢いよく開いてアレイスさんが飛び込んできた。
「ルシェラ! 無事かい!?」
「アレイスさん」
アレイスさんは息を切らせ、後ろで一つに結んだ髪は乱れていた。




