第59話 魔術師アレイスとルシェラ・1
アメリアの自宅は、討伐者ギルドの支団長が暮らす家としては小さいものだ。
彼女が一人で暮らす家なので、それほど広くなくてもいいというのがアメリアの考えだった。彼女の為に建てられた家なので、古めかしいアレイスの家とはだいぶ雰囲気が違う。外壁も綺麗だし、床板はピカピカに磨かれている。
アインフォルドからやってきたルシェラは、アレイスが来ると聞きおしゃれに磨きをかけていた。とっておきのワンピースに身を包み、お気に入りのアクセサリーで自らを飾り立てる。侍女のマーニーに化粧をしてもらい、最後に香水を体にたっぷりとつけた。
自分はどこからどう見ても完璧な令嬢だと、ルシェラは自負している。王都の学園に入学した頃は、いったいどんな素敵な男性が自分の前に現れるのだろうと期待に胸を膨らませていた。
しかし現実はルシェラの想像とは違っていた。同級生達は次々と恋を実らせ、そのまま婚約へと進んでいく者もいるというのに、ルシェラは結局卒業まで独りだった。
その理由は彼女の異常ともいえる『面食い』のせいである。我がままな振る舞いは、人によっては魅力的にも映るものだが、ルシェラは近づいてくる男の顔が気に入らないと見向きもしない。どんなにいい人でも、家柄が良くても、ルシェラは顔が好きになれないと男を振ってしまう。そんなわけで彼女の恋はなかなか実らなかった。
学園を卒業し、数年ぶりに故郷であるアインフォルドに戻ったルシェラが見かけたのが、アレイスだった。
ルシェラはアレイスを一目見た時、雷に打たれたような衝撃が走った。肩の辺りまで伸ばしたさらさらの黒髪と、宝石のように輝く青い瞳。顔立ちはどこからどう見ても完璧。おまけに彼はアインフォルドの一級討伐者だという。素性も何も分からない彼に恋をしたルシェラは、早速アレイスに話しかけた。アレイスは笑顔で応じたが、それはあくまでルシェラが『支団長の娘』だったからだ。だがルシェラは彼の態度を見て「彼は私にまんざらでもない」と思い込んだ。
それから、ルシェラはアレイスに付きまとうようになる。受付嬢に命じて、アレイスがどの依頼を受けてどこへ行っているのか、常に報告させた。ギルドの登録情報からアレイスが暮らす家を知り、自宅にいるアレイスを何度も訪ねた。ルシェラは自分が支団長の娘であるという立場を最大限に利用した。アレイスは初めの頃、支団長の娘であるルシェラに気を使い、邪険にしないようにしていた。それが仇となり、ルシェラの暴走は止まらなくなった。
ルシェラは自分の父親に、好きな人ができたと伝えた。娘を溺愛していた父親は大喜びで相手は誰かと尋ねる。その相手がアレイスだと知った父親は、思わずほくそ笑んだ。アレイスが王都から逃げてきたロズヴァルド家の息子であることは、支団長である彼は当然知っていた。ロズヴァルド家は王都で歴史ある魔術師一族で、家柄も申し分ない。父親は娘に「アレイスと結婚させる」と約束してしまったのだ。その言葉を信じたルシェラは、自分とアレイスは婚約したと思い込んだ。周囲に触れ回り、二人の噂はあっという間にギルド中の討伐者が知るところとなった。
何度かアレイスは「結婚はできない」とルシェラに話した。だがルシェラはその言葉に耳を傾けなかった。彼が結婚を躊躇する理由は、自分がまだ十八で若いから、王都にいる家族と上手く行っていないらしい彼が家庭を持つことを戸惑っているから、周囲に冷やかされて彼が照れているだけ……ルシェラは全てを自分の都合のいいように解釈した。
そして、ある日アレイスはアインフォルドから姿を消したのだ。
♢♢♢
応接室で待つルシェラの前に現れたアレイスの表情は硬かった。ルシェラはアレイスを見て目を輝かせたが、彼に続いて入ってくるアメリアを見て眉をひそめた。
「支団長、私はアレイス様と二人で話をしたいのですが」
「私は立会人よ。あなたたちを二人きりにはしません。マーニーさん、あなたもここにいてちょうだいね」
アメリアは部屋を出て行こうとする侍女のマーニーに声をかけた。マーニーは肩をびくりとさせ、おずおずと壁際に立った。アメリアは向かい合うアレイスとルシェラを見守るように、主人の席に着いた。
部屋中に甘ったるい香りが充満している。アレイスは手を口元に当てて軽く咳き込むと、気を取り直してルシェラに話しかけた。
「お久しぶりです、ルシェラ嬢」
「……アレイス様、随分探しましたのよ? 私に黙ってアインフォルドを出て行くなんて。ギルドに何か不満があるのなら、私に言ってくださればよかったのに。父がきっと力になってくれますわ」
「ギルドに不満はありません。僕がアインフォルドを出た理由は、正直に言ってあなたにあります」
「……は?」
ルシェラはぽかんと口を開けた。何を言っているのか分からない、と言いたげな顔をしている。
「僕は何度も申し上げたでしょう。あなたと結婚するつもりはありません。あなたのお父上が何と言おうとね。僕は王宮魔術師を辞め、王都を出た身です。家庭を持つつもりはありません」
「それは分かっておりますが、父が心配はいらないと……」
「ですからそれは、あなたのお父上が勝手に言っていることで」
じっと二人の話を聞いていたアメリアは「ちょっといいかしら」と口を挟んだ。
「何です? 今私は彼と話をしておりますの」
「ごめんなさい、どうも水掛け論になっているみたいだから。アレイスはルシェラ嬢を妻にする気はない、これは確かなのね? アレイス」
「その通りです」
「で、ルシェラ嬢はアレイスと結婚させるとお父様に聞かされた。これも確かね?」
「ええ、お父様に任せておけば何の問題もありませんわ」
はあ、とため息をついたアメリアは眉間に皺を寄せ、アレイスに視線を移す。
「アレイス。あなたはルシェラ嬢だけでなく、誰とも家庭を持つつもりはないということなの?」
「……はい。僕は家族を捨て、名前を捨てました。僕の結婚は誰にも祝福されないでしょう。王都を出ると決めた時、そう心に誓いました」
「そういうことだそうよ、ルシェラ嬢」
アメリアはルシェラ嬢に視線を移した。
「ですからそれは、父に任せておけばいいのです。父がアレイス様のご両親と話をしてくださると……」
「勝手に僕の両親と話すのはやめていただけませんか!」
突然声を荒げたアレイスに、部屋にいる女たちの視線が集中する。
「アレイス様、何があったのかよく分かりませんが、これはご家族と仲直りするいい機会だと思いません? ご両親だって、きっとアレイス様のことが心配でたまらないと思いますわ」
「あなたに何が分かるんです。あなたはいつも勝手なことばかり言って、僕の話は何一つ聞こうともしない。若いお嬢さんだからと遠慮していましたが、もう我慢できない。僕はあなたの顔も見たくないんです。今すぐにミルデンから出て行っていただきたい!」
「な……」
目を大きく見開き、唇をわなわなと震わせたルシェラは、突然両手で顔を覆うと大声で泣き始めた。
「ひどいわ! アレイス様がそんなことをおっしゃるなんて!」
侍女のマーニーは「ルシェラ様!」と駆け寄り、ルシェラにハンカチを差し出した。ルシェラはまるで子供のように泣き続け、アメリアはため息をつきながら首を振る。アレイスはしまったという顔をしているが、もう手遅れだ。
重苦しい空気の中、ルシェラの甲高い泣き声だけが響き渡り、ルシェラの強い香水の香りはアレイスの頭痛を引き起こした。




