第56話 迷惑な訪問者・3
ルシェラ嬢が別室で待機している間、ギルドの職員は振り回されっぱなしだった。
寒いと言われて膝掛けを用意したり、暑いと言われて冷たい飲み物を持って行ったり、退屈だと言われて本を届けたり……。私とリリアはずっと受付で働いていたから幸いルシェラ嬢と関わることはなかったけど、みんな大変だったようだ。
お昼休憩の時間になっても、アレイスさんは依頼先から戻らなかった。もう、いっそ今日はこのまま戻ってこなければいいとすら思ってしまう。ルシェラ嬢も諦めて、アインフォルドに帰ってくれるといいんだけど。
そんなことを考えながら、私は一人で昼食を取るために職員食堂へ向かった。ここでも他の職員たちのぼやきが、あちこちから聞こえてきた。
「――あの令嬢には参ったよ……」
「魔術師アレイスの婚約者なんだって? 彼はいつ戻るんだ?」
「いい加減あの令嬢を引き取って欲しいよな……」
やはり、ルシェラ嬢はアレイスさんのことを婚約者だと話しているらしい。このままではギルドどころか街中にまで噂が広まってしまいそうだ。
「アレイスさんの婚約者なんですって、あの人」
「貴族なんでしょう? ということは、アレイスさんも実は貴族だったのかしら?」
「あり得るわね。あの人、どこか品があると思っていたもの」
女性の職員たちは、アレイスさんの噂話を熱心にしていた。彼が王都の貴族だということが知られてしまわないかと心配になる。評価の高い討伐者は国王から爵位を授けられる場合があり、一代限りの貴族となるのは珍しいことではない。仮にアレイスさんが貴族だと知られたとしても、家の名さえ分からなければごまかせるかもしれない。自分のことではないのに、私はアレイスさんのことが心配で気が気でなかった。
私はあちこちから聞こえる噂話に耳をそばだてながら、昼食を食べていた。今日の献立はトウモロコシのポタージュとチキンのグリル、大量の茹でたカリフラワーとパン。いつも通りどれも美味しいけど、今日の私はなんだか食が進まなかった。
もそもそと食事を進めていると、ふいに後ろが騒がしくなって振り返った。ちょうど食堂にアメリアさんが入ってきたところだ。周囲の職員たちが一斉に彼女の周りを取り囲む。
「ルシェラ嬢が来ているんですって?」
「そうなんです、アメリアさん」
どうやら副長から事情を聞き、様子を見にやってきたようだ。アメリアさんは周囲からルシェラ嬢についての話を頷きながら聞いていた。
「……ドレイクバーグ支団長の末娘ね。それで、当のアレイスはいないというわけね?」
アメリアさんはやれやれと首を振った。事情を知っているはずだから、事態の飲み込みは早い。そもそもルシェラ嬢から逃げるために、アレイスさんをミルデン支団へスカウトしたのがアメリアさんだったのだから。
「ルシェラ嬢には別の場所に移ってもらいます。いつまでもここに置いておくわけにはいかないわ。みんなの仕事を邪魔しているもの。ちょっと彼女と話してきますから」
そう言い残して、アメリアさんは食堂を出ていった。私は反射的に立ち上がり、急いで食事のトレイを返却するとアメリアさんを追いかけた。
「アメリアさん!」
廊下で呼び止めると、アメリアさんは振り返り笑みを見せた。
「エルナ。どうしたの?」
「あの……アレイスさんとルシェラ嬢とのこと、私も知っているんです。アインフォルドで色々あったって」
「まあ、そうなの。彼に聞いたのね?」
「……はい」
アメリアさんは一瞬考えるように視線を上へ向けた後、私に微笑んだ。
「そういうことなら、私と一緒に来てちょうだい」
「いいんですか?」
「ええ、もちろん。事情を知っているのは、ここでは私とあなたしかいない。あなたがいてくれると助かるわ」
「分かりました!」
背筋をピンと伸ばして答えると、アメリアさんは笑顔で頷いた。
♢♢♢
私とアメリアさんはルシェラ嬢の部屋を訪ねた。ルシェラ嬢はゆったりとした一人掛けソファに座り、膝掛けをして優雅に紅茶を飲んでいた。あのソファは私が運んだ椅子ではない。椅子が気に入らなくて他の人に運ばせたのだろう。侍女のマーニーさんは部屋の隅で、小さな椅子にじっと座っている。
「ルシェラ嬢。ミルデン支団長のアメリア・クロウハートです」
「まあ! 父から噂は聞いておりました。若くして支団長となり、ミルデン支団をまとめていらっしゃる方だと」
ルシェラ嬢はアメリアさんを見ると、まるで人が変わったように目を輝かせて椅子から立ち上がった。私たち職員に対する態度とは随分違う。愛想よくアメリアさんと会話を交わしている様子は、はたから見れば感じのいいお嬢様といったところだ。だけど、ルシェラ嬢は私の顔をちらりとも見ない。まるで私が部屋にいないかのような態度だった。貴族にこういう態度を取られることは珍しくないけど、やっぱりいい気分はしない。
「――アレイス様が突然私の前から姿を消してから、私はずっと彼のことが心配で。アレイス様は、もっと自分の力を高めたいと思われたのでしょう。私はせめて彼の居場所が知りたいと、ずっと探しておりましたの。まさかこんな小さな街に来ていたなんて。彼ほどの魔術師が来るような場所ではないはずなのに……」
ミルデンをなんとなく馬鹿にされたような気がしたのは、私の考えすぎだろうか。私はアメリアさんの様子が気になったけれど、彼女は平然としている。
「アレイスに会いにきたという事情は分かりました。残念ながらアレイスがいつ依頼先から戻るのかは分からないの。いつまでもここで待つわけにもいかないでしょうし……どうかしら、私の家にいらしては?」
「支団長のお宅ですか?」
「ええ。私一人で暮らす家だから遠慮はいらないわ。アレイスを待つ間、そこで滞在してはどうかと思って」
アメリアさんの提案に、ルシェラ嬢は少し考えているようだった。アメリアさんの家は、アレイスさんも暮らす北の住宅街にある。彼の家よりもさらに先に進んだ所にあるらしいけど、私は行ったことがない。ギルドからは少し遠いため、帰宅せずにギルドに泊まることもよくあるようだ。
「……でも、ここにいなければアレイス様に会えないかもしれませんわ」
「アレイスが戻ったら必ずお伝えします。ここは環境も良くないし、長居をすべきではないわ。私の家でゆっくり休んだ方がいいと思うの」
「いいえ、私はここで待ちます。これも試練だと思えば耐えられますわ」
「あなたの試練のために、私の大切な部下を顎で使うことは許可できません」
アメリアさんは笑顔を浮かべたまま、ルシェラ嬢にピシャリと言い放った。ルシェラ嬢はアメリアさんからそんなことを言われるとは思っていなかったようで、一気に顔が青ざめた。
「……わ、分かりました」
渋々といった顔で頷くルシェラ嬢。アメリアさんは後ろに立つ私をちらりと見て、何事もなかったように笑顔を見せた。
「分かってくれて嬉しいわ、さっそく手配しましょう。エルナ、申し訳ないけれど私の家に『伝話』でルシェラ嬢のことを伝えてちょうだい。それと馬車を一台用意して」
「は、はい!」
私は急いで部屋を出て、職員食堂に置いてある『伝話』でアメリアさんの自宅に連絡を取った。応対した使用人に伝言を伝え、通話を切る。ギルドにはアメリアさん専用の馬車があるので、次に私はギルドを出て馬小屋へ行った。馬にブラシをかけていた御者にアメリアさんの伝言を伝え、すぐに馬車を用意してもらう。
アメリアさんがルシェラ嬢に毅然と怒ってくれたことが、私は嬉しかった。私たちのことをいつも大事に思ってくれる人だからこそ、私はここで働き続けたいと思うのだ。今日は色々あったけど、アメリアさんの一言で私は報われる思いがした。
ルシェラ嬢はようやくギルドから出ていくことになったけど、アレイスさんの顔を見ずに帰るつもりはないだろうし、二人は一度会って話さなければならないだろう。
問題は、むしろこれからだ……と私は気を引き締めた。




