第52話 新しい夢
「ラウロ! 待って!」
私はつい、ラウロの後ろ姿を追いかけていた。受注書を盗んだラウロが衛兵に捕まった時、私は彼と話すことができなかった。その後もアメリアさんから状況を聞いただけで、結局ラウロとは会えないままだった。
人混みを縫うようにラウロは逃げていく。私は名前を呼びながら追いかけたが、大通りの石畳は所々割れていて、割れ目に足を取られ思い切り転んでしまった。
「いたっ!」
派手に転んだので、周囲の視線が一斉に集まる。見ると膝から血が出ていた。この年で膝を擦りむくなんて恥ずかしい……と思いながら立ち上がると、目の前にラウロが立っていた。
「血、出てる」
「あー、そうね……大丈夫、ハンカチ持ってるから」
「水で洗ったら?」
意外にも、ラウロは私の傷を心配してくれていた。嬉しくなって笑顔を見せると、ラウロもほんの少し口元を緩めた。
♢♢♢
私とラウロは広場に戻った。中央には噴水があり、鳥の像から絶えず水が噴き出している。私は噴水のふちに腰かけ、ハンカチを水で濡らして傷を拭いた。
「大丈夫?」
ラウロは心配そうな顔で立っていた。
「大したことないから大丈夫。ねえ、ちょっと座って話さない?」
隣に座るよう促すと、ラウロは無言で頷き、私の隣に腰かけた。さっきまでいた子供たちはもういなくなっていた。ベンチでお喋りを楽しむ人々の声や、音楽家が奏でるアコーディオンの陽気な音が広場を包んでいた。
「今日はギルドの見学会だったの。さっきは見学に来てた子供たちを見送ってたところ」
「……へえ」
「知ってる? ギルド見学会。時々やってるのよ」
「……さあ」
ぶっきらぼうに返すラウロ。けれど多分、彼は知っている。子供だけが招待され、ギルドでは美味しい食事も出ると評判だ。ミルデンで暮らす子供なら、一度は耳にしているに違いない。
「ひょっとして、ギルドに興味がある?」
私の言葉にラウロは明らかに動揺し、目を泳がせた。やっぱり見学会が気になっていたのだろう。盗みを働いた過去があるせいで、参加をためらっていたのかもしれない。
「そういうわけじゃないけど、前に言われたんだよ、あんたのボスに」
「ボスって、アメリアさんのこと?」
ラウロは頷き、衛兵に捕まってギルドに連れて行かれた時のことを話した。ラウロはアメリアさんと会い、彼女から色々な話を聞いたらしい。ギルドが設立された目的、討伐者が日々魔物と戦っていること、そのためにギルド職員が魔物の情報を命がけで集めていることなど。
『――あなたがきちんと反省をして、もう二度と同じことをしないと約束してくれるのなら、我々ギルドとしてもこれ以上あなたを責めないつもりよ』
『約束、します。もうしません』
『よろしい。今度うちのギルド見学会にいらっしゃい。年に数回、街の子供たちを集めてギルドの中を案内しているの。あなたに私たちの仕事を見てもらいたいわ』
「そうだったの……アメリアさんがそんなことを」
ラウロが私達を見ていたのは、やはり見学会が気になっていたのだ。でもラウロは申し込むことに躊躇したのだろう。彼は目を伏せてしょんぼりと俯いていた。
「……なあ、ちょっと聞いてもいいか?」
「何?」
ラウロは顔を上げ、思い切ったように口を開いた。
「討伐者になるのって……大変か?」
「ラウロ、討伐者になりたいの?」
驚いて聞き返すと、ラウロは恥ずかしそうに顔を背けた。
「なりたいっつうか……討伐者になれば、沢山お金稼げるんだろ?」
「そうね……確かに、実力次第だけど。お金には困らないかもね」
「討伐者って、どうやったらなれるんだ?」
今度は身を乗り出して私に聞いてきた。ラウロは貧しい暮らしをしていて、年の離れたお姉さんがラウロの面倒を見ていると聞いていた。受注書を盗んだ理由も、受注書を売ってお金を稼ごうと思ったからだったらしい。討伐者は完全な実力主義で、力さえあれば生まれは問わない。ラウロのような者にはうってつけの職業だ。
「討伐者になるためには、訓練学校に入学して学ぶ必要があるの。学校には十五歳から入れるから……ラウロは今、いくつだっけ?」
「十二」
「じゃああと三年ね。今、学校は行ってるの?」
ラウロは無言で首を振った。やはり、と思った。普段は荷馬車に荷物を積み込む仕事をしていて、学校に通う暇などないのだろう。
「……やっぱり、学校に行ってないと訓練学校には入れないのか?」
ぽつりと呟いたラウロを見て、私は思わず彼に向き直った。
「大丈夫! なんとかなるわ。街の教会では週に一度、休息日に『勉強会』を開いてるの! そこで聖女が、学びたい人を集めて授業をしてくれるのよ」
「勉強会……? でも、俺授業料なんてはらえな……」
「問題ないわ! もちろん無料よ。そこで読み書きを習えば、訓練学校に行っても困らないはず」
「で、でもさ……訓練学校に入るのも、金が……」
「任せて!」
私はつい興奮して声を大きくしてしまった。驚いて目を丸くするラウロに、畳みかける。
「確かに入学金と授業料は必要。でもね、討伐者ギルドはお金に困った人を助ける制度を用意しているの! 家族以外の大人が『この子は見込みがある』と推薦状を書いて、学校の面接に受かれば、費用は免除されるの」
「推薦状……? 無理だよ、俺には姉ちゃん以外の大人の知り合いなんて……」
「ここにいるけど?」
私は笑いながら自分を指した。
「……お前が?」
「お前じゃなくエルナ、ね? もちろん条件はあるわ。今後三年間、週に一度勉強会に通って読み書きを覚えること。盗みは絶対に絶対にやらないこと。この二つの条件を守ってくれるのなら、私が推薦状を書いてあげる」
ラウロは私の申し出にポカンと口を開けていた。
「……本気か?」
「ええ。討伐者ギルドはやる気のある若者を歓迎してますから!」
最初は戸惑っていたラウロだったけど、次第に嬉しさが沸き上がってきたのか、みるみる顔に笑顔が戻ってきた。
「俺、絶対に盗みはしないし、勉強もやるよ」
「よく言った! 頑張ってね」
「頑張るよ。でもさ、なんでエルナは俺に協力してくれるんだ? あんなことしたから、俺のこと嫌ってると思ってた」
「嫌ったりなんてしないわよ。私ね、お父さんを十二歳の時に亡くしてるの」
「え……」
「親を亡くして生きていくのは大変よね。ほんの少しだけ、気持ちが分かるの。あの時、結局ラウロと話せないままだったし……ずっと気がかりだったから」
「エルナの父ちゃんは、なんで死んだんだ? 俺の父ちゃんと母ちゃんは荷馬車の事故だったんだ」
「そう、事故だったの……お気の毒に。私のお父さんはね、討伐者だった。魔物と戦って死んだのよ」
魔物と戦って死んだ、という言葉を聞いたラウロは息を飲んでいた。彼が討伐者を目指す以上、知っておいてもらわなければならないことだ。
「討伐者になるということは、こういうことも覚悟しなきゃならないわ。それでもラウロは、討伐者を目指す?」
「……なる。俺は討伐者になりたい」
ラウロの決意を確認した私は、嬉しさで口元が緩むのを感じた。
「それじゃあ、早速教会に行ってみようか。まだ勉強会をやってる頃だと思うから、見学させてもらおう」
「えっ、今から!?」
今日は見学会の案内役なので受付の仕事はない。戻るのは少し遅くなるけれど、後で説明すればいい。それよりも今は、ラウロのために動く方が大事だ。
私はラウロと一緒に街の教会へ向かった。教会は広場から北に進んだ先にあり、周囲を木々に囲まれた場所にひっそりと建っている。そこでは聖女と呼ばれる女性たちが、神に仕え、悩める人の話を聞いたり、勉強会を開いて貧しい人々に読み書きを教えたりしている。聖女は心優しい人たちだ。きっとラウロのことも受け入れてくれるに違いない。




